第6話 いいふうふの日
「いいふうふの日」──11月22日は、そう呼ばれることもある。
お付き合いをはじめた10月30日、その1週間後に告白をしあって、正式に付き合うことを決めた優と友里は、11月になるとそわそわと毎日が記念日のようなことを繰り広げていた。高校生の時から、何年たっても。
ふたりが東京から、地元に帰った後、結婚式を挙げてから、3カ月後、その日はやってきた。
(なにも友里ちゃんに伝えてないけど、いいよね)
小さなホールケーキの入った、直径15センチほどの箱を持って、優は思った。普通に過ごしてもいい日だけれど、(結婚をして家族になった喜びを分かち合って、これからもよろしくねと言おう)と、優は、暖かな想いで、帰宅の途を急いだ。
そこで、優は自分の家族が同居していることを思い出した。もしかして、母の芙美花は父との夫婦の日を盛大にお祝いするかもしれないと思った。イベント好きな家族の存在を、今の今まで忘れていた。
(一応、確認するか)
妻である友里に、連絡をする。家の近くのケーキ屋さんで、追加で買おうと思った。
『あ!優ちゃん、いま連絡しようとしてたの』
友里の明るい声に、何度も恋をしたような気持ちになる優は、通話越しだというのに破顔してしまう。
『あのね、芙美花さんたちが、外でごはん食べてくるんだって。わたしたちだけになっちゃうんだけど、優ちゃん、どうする?今日はカレーなんだけど、保存もできるし、わたしたちも外行く?』
友里の声に、優は「自宅でカレーがいい」と答えた。ケーキが無駄にならずに済みそうだと、小さなサプライズに胸が弾む。
『わ、良かった。じゃあ、わたしたちだけの分にして、あとは冷凍しておくね、もう帰ってくる?』
すぐそこまで来ていることを告げると、友里が喜んで、『はやくあいたい』という。
『でもなんで、急に外食なんだろ?』
「母も、今日会社に行って思い出したんじゃない?」
『なにを?』
「いいふうふの日だから」
優はふたりで過ごせるようになって良かったねと追加して、「あと10分で着く」と告げると、通話を切った。
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「どうしよう!高岡ちゃん!!!」
友里が、優からの通話を切ってすぐ、高岡に叫びながら通話をした。
『友里、まずは落ち着いて』
親友のあわてふためく声に、すっかり慣れた高岡朱織は、画廊の仕事に向かう途中だった。白いヒールを履きながら、真白の玄関で、スマートフォンをハンズフリーにして、耳にイヤホンを入れた。
「優ちゃんと、いいふうふの日の記念日、すっかり忘れていつものカレーにしちゃった」
『喜ぶんじゃない?駒井優って、日常をすごく大事にしてるし。「友里ちゃんと過ごせる毎日が、記念日だよ」とか言うわよ』
「すごい似てる~~!!」
高校時代から度々披露される高岡の駒井優モノマネは、すっかり板についている。
『あと10分で出来る支度なんて、なにもないわよ。せいぜいメッセージカードでも渡せば?』
「あ、この間ちょうど使い切って、クリスマスとお正月用しか手元にない。買い足しとけばよかった!」
『それなら、あなたがいつでも刺繍しているハンカチとか』
「いまキノコにハマってて、エリンギとベニテングダケしかない」
『それ欲しいから取っておいて』
高岡は、自分用の小さな車に乗り込んで、はあとため息をついた。19時に画廊に着かねばらないので、運転中も友里の会話を聞いていたいが、違反になってしまう。
『でも、駒井優のことだから、友里自身がプレゼントっていうだけで喜びそうだけど』
「わたし?」
『そう、大きなリボンでも体につけたらいいのよ』
「リボン」
『仕立て屋さんなら、真っ赤なリボンぐらいありそうだけど、ないのかしら?』
「あ、ある、あるけど。恥ずかしくない?」
『友里なら、そのぐらいへっちゃらでしょう』
高岡はそれだけ言うと、通話を切った。普段着の上から、リボンをつけるイメージで、友里の緩やかで長い髪に付けてもいいし、ワンポイントとして、上着に巻いてもかわいい。その様子を思い浮かべて、宿敵のように思う、友里の妻の優に思った。
(感謝しなさいよ、駒井優)
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優は、予定通り10分後、友里の実家の前を通って、角を曲がり、駒井家へ帰ってきた。チャイムを鳴らすと、ドアホンから友里の声が聞こえる。
『優ちゃん、おかえりなさい!鍵を開けて入ってきて~』
玄関先で待っていてくれると思った自分に少しがっかりしつつ、それでも、友里が手が離せない状況なのかもしれないと思い、夕食の手伝いがすぐにできるよう洗面所で手を洗い、コートなどをかけて、台所のある居間に向かった。
「友里ちゃん、ケーキを買ってきたから、あとで食べようね」
冷蔵庫にしまおうとして、優はあわや、そのケーキの箱を落としそうになった。
赤い大きなリボンを、裸体に巻いただけの、友里が待っていた。
「わ、わたしがプレゼント……なんて」
駒井家は全館空調なので、寒くはないはずだが、友里は少し震えて、恥ずかしそうにもじもじとしていた。
「でもよく考えたら、もうとっくに優ちゃんのモノだよね!?時間が無くて、その、というか、今日が、そういう日って、忘れてて」
友里が、カレーと一緒にたくさんの副菜を並べたテーブルをちらりと見た。
「本当に普段通りなの」
「友里ちゃん」
「いわないで!やってからすごいはしたないなって思ったよ、もう着替えてくるね」
優が言うだろう言葉を先に発して、友里が慌てながら、2階の自室へ行くために、優の脇を通ろうとして、優に捕まえられた。
「うう……」
羞恥で唸る友里の肩に、優は口づけをした。
「これどうなってるの?ちゃんと洋服みたいに見えるね」
「え、えっとネットで調べて、大きめストールでドレスをつくるの。こうして……」
友里は少しだけ胸のリボンを外して、輪っかを作るとそこに頭を通し、背中でクロスして、胸の前で綺麗なリボンに結び直した。
「どうして、下になにも着てないの?」
「え、ええ……と、リボンで飾ることしか考えてなくて」
「どうして、そんなことしたの」
「記念日なのに、なにもプレゼント用意してなかったから」
友里は困惑しつつ、冬の外の匂いのする優に身をゆだねた。ぎゅうと抱きすくめられると、優自身のバラのような香りが全身をくすぐる。
「優ちゃんまるで、赤ずきんちゃんみたいに質問ばっか。わたしが、悪さをしてる狼だわ。狼、きっとドキドキして答えてたよね」
「どうして、そんなにかわいいの……」
「う」
唇にキスをされて、友里は戸惑った。してしまってから、気付くことの多い友里は、このままここで、そういうことをする状況を自分で作ったことに、黒曜石の瞳に熱を帯びた優を見て、ようやく気付いた。
(ご飯食べてから、お風呂に入って、出る時にすればよかった!)
そう思っても、後の祭りだった。
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遅い夕飯をようやく食べ始めた優と友里は、それでも、甘い空気が消えないので、手をつないだり、小さなキスをしたりして、ふたりきりの夜を過ごしていた。優が買ってきてくれたケーキを開いて、ハート型のイチゴや、チョコに照れながら、ほとんどを友里が食べた。その様子を、優が紅茶を飲みながら楽しむ。
「その、上着に少しリボンをつけたりしたら?って意味だったんじゃないかな、高岡ちゃん」
優が、着替えた友里に、思ったことを口に出すと、友里が頭をおさえた。
「絶対そうだ……。高岡ちゃんに、言わないでね、優ちゃん」
「どうしよう、言ってしまうかもしれない。この間は、友里ちゃんに素敵なアドバイスをありがとう、って」
「やああ」
自分の親友と仲の良い優に、友里は困惑気味に眉を八の字にした。
「言わないよ、どうせわたしが怒られるもの。友里ちゃんが間違えてるって気付いたら、正してあげるのが愛情よ、って」
「……」
「ごめんね、綺麗な愛じゃなくて」
「でも、気持ちよかったよ」
「……っ、食事時にする会話じゃないね」
優は食べきった食器を片付けて、洗う。食洗器に入れることもできるが、気分転換のために洗うことも多い。
友里がそんな優の背中にそっと抱き着いて、ゴロゴロと喉を鳴らす。
「結婚してくれて、ありがとう。優ちゃん」
「こちらこそだよ、毎日が夢みたい」
「夢じゃないよ」
ぐりぐりと友里が背中に頭を押し付ける。
「痛くないから夢かもしれない」
優がふざけると、友里が「え!」といって、もう少し力を強めた。優が「いたた」と虚偽の申告をして、ふたりで笑いあった。
「あのね、優ちゃんはきれいだよ」
「……」
「優ちゃんの愛情も、ずっと綺麗だし、大きいし、わたしが上手に受け止められなくて、困っちゃうのかなって思ってる」
「ありがとう、友里ちゃん」
「今回は、わたしがほんとうにバカでごめんね」
「ううん、すごい可愛かった。あのでもね……友里ちゃんの素肌が、最初から見えているのすごく恥ずかしいけど」
「そうよね!?反省!ちゃんと服を着ます!」
「また、したい」
「……!」
友里がなにか答える前に家族が帰って来てしまい、友里が、縦に激しく頷いて、優に抱き着く状況を見た家族たちは、回れ後ろをしてまた外出しようとしたが、優が慌てて引き留めた。
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後日、高岡とのクリスマスお泊り会で、友里がうっかりばらしてしまい、やはり優が怒られたのだが、嬉しそうに怒られているので、高岡には、「怒るのもばかばかしい」と呆れられた。
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