第40話 前どり

 10月のはじめ。優と友里は柏崎写真館へたどり着いた。

 「さむいよ~、ヒナちゃん!!」

 出迎えた柏崎ヒナに抱き着くように友里が言うと、ヒナはくすりと笑った。

「久しぶりに逢ったのに!昨日まで一緒だったみたいに話さないでよ」

 そこが友里のいいところだけどねえと言いながら、友里の柔らかな冷たい背中と髪を撫でる。

「よーしよしすっかり冷えて。あたためてあげようねえ」

「あったかい」

 ヒナは後ろに立つ178センチの優に気付いて、「おっと」と口を閉じた。

「お久しぶり!相変わらずの美形」

「……」


 ヒナは無言の優に少しの冷や汗と共にニヒヒと笑った後、お詫びとばかりに、ふたりに暖かい紅茶を振舞う。


「つい先日まですごく暑かったのに、もう暖房が必要かも。でも日中は暑さがぶり返したりね、やだよね。東京のほうが、暑くない?」

「すべてに冷房が効いている感じだよ、あっちは。地下通路も多いし」

 友里は寒がりの優のために、常に白い長そでシャツを用意している話を付け足す。2人が地元を離れて暮らしている様子を感じ取り、ヒナが「うらやましいなあ」と自分の片思いを嘆いて唸る。

「その後、高岡ちゃんとはどうなの?」

 友里があっさりと聞いてくるので、(思ったことを口にする性格は変わらないんだな)と、ヒナはパートナーの優をすこしだけ睨んだが、優は(そこが可愛いでしょう)という顔で澄ましていて、逆にノロケに被弾してしまった。


「なにも変わらないよ、夕飯を一緒にたまに食べてもらうだけ。こっちは浪人生だし、あっちは大学生だし、まあ……うん、まあ、のんびりやるの!」

「惚れっぽいのに、高岡ちゃんにはずいぶんご執心だね」

「優さん、声を発したと思ったら!!」

「暖かい紅茶でもまだ暖まらないな」

「ぐぬぬ」


「ヒナちゃん惚れっぽいの?」

「!」


 友里は、ヒナが友里に片思いしていたことを知らない。そしてその恋が終わる前に、友里の親友の高岡に気持ちが移ったことも、優だけが知っている。


「えーあー?ねえ、もう、優さん、いじめないでよ」

「まさか……。でも高岡ちゃんのことは、わたしは妹みたいに思ってるから」

「えー!そうなの?優ちゃんってば!高岡ちゃんに言おう!!」

「わたしは良いけど、本人は嫌がるだろうから、やめてあげて」


 この場にいない高岡朱織は、小さなくしゃみをして「急に気温がさがったせいね」と独り思った。


 ヒナの姉のキヨカが、今日のスケジュールを伝えながらメニュー表を友里と優に手渡した。


 着付けと、撮影後、カタログの中から、形式を選ぶ流れ。

 今日は、ふたりで成人式の前撮りをする。


「もってきてくれたみたいね」

 にこにことキヨカが言うので、友里は頷いた。

「うん、お着物は、入り口で真帆さんに渡したよ」

「そうじゃなくて、指輪!結婚指輪!!」


 ヒナが言うと、優がポッと頬を染めた。


 優が用意した指輪が、ふたりの左手の薬指に光っている。

「もう、家からつけてきた」

 言いながら、「えへへ」と友里が笑うと、おずおずと優も指輪を撫でた。


「綺麗だねえ!日頃からつけておけばいいのに」

「なんだか、気後れしちゃって……」

 友里が言うと、優もこくりと頷いた。


 撮影のための着付けに移動する。優は自分で着つけられるため、友里の着付けは真帆が行った。

「結婚しているようなものなのにどうして指輪を付けないの?」

 襟芯を留めながら何の気なしに真帆に言われ、友里が困っていると、優が答えた。

「無くしたら怖いからだよ」

 優の言葉に、友里も少し頷く。傍で聞いていたキヨカが、アハハと豪快に笑う。

「そしたら、なくしても大丈夫用の指輪を付けたら!?」

「キヨカ!」

 怒りだした真帆にキヨカが「ヤベ!」という顔をした。ふたりは当たり前のように結婚を意味する指に、お揃いのリングが光っている。優と友里は困ったようにお互いの指輪を見つめた。


 撮影が始まった。


 ペアで撮るものは、あとでしてもらうことになり、友里が先にカメラマンのキヨカの前に立った。


 要求通りに動きつつも、どこかぎこちない友里の笑顔に、優が苦笑していると、真帆が「友里ちゃん可愛いね」と言いつつ優の傍に来た。


「なんで指輪、こわがってんの?」

「う、どうしてそう直球なのかな、真帆は」

「面倒なんだもん」

 優は骨格がだけが似ていると友里には言っているが、性格もどこか似ているのではないかと真帆に思っている。しかし、友里とは圧倒的に違う部分がある。

 友里をまっすぐに見つめながら話を続ける。


「したいことは、すぐする主義なの」

「嘘つき、逃げるほうが得意なくせに」


 友里は相手が逃げるほど、立ち向かう。だから、下手に逃げないほうが友里の目に留まらないのに、真帆とキヨカ、ヒナが指輪の件を続けることに優は内心困っていた。


「ねえ優、悩んでるなら聞くよ?」

「……ありがとうね、真帆、気持ちは嬉しいけど。前にネックレスをプレゼントした時にね、わたしに縛り付けているような気持ちになったって言ったの覚えてる?」

「友里ちゃんに異物を追加しているってやつか」


 友里をじっと見つめながら、優が言うと、真帆がため息をついた。


「ははん、柔らかい友里ちゃんをどこまでも味わいたいのね」

 にやりと真帆は笑い、「優ったら、えっち」と添えた。

「な、!!!そ、そういう意味じゃなくて!!!!」

 優が大きな声を出すと、カメラマンのキヨカが柔らかいが静かな怒りを含んだ声で、ふたりをしかりつけた。


 怒られ、優と真帆は黙り込んだ。


 真帆が、自分の薬指のシルバーリングをじっと見つめ、小さな声で言った。

「そうね、こーんな、小さなものなのに、つけたり外したりするだけで、意味があるような気がするのは、どうしてなのかしら」

「……」

「キヨカのばか!って思うと外したりね、あ、でも単純に飲みすぎで、むくんでも外すけど、キヨカのやつ気にしてたりするのかな」

 カラカラと真帆が笑う。

「……自分の気持ちを込めて、つけるから。意味があると思うのかも」

 真帆の頷きに、優は暗に(恋人がどう思うかは相手の自由じゃない?)と言われたようで、「わかってはいるけど」と口ごもる。


「ねえ、優の振袖、友里ちゃんの手作りなんでしょう?」


 友里が寝る間も惜しんで、様々な人の協力を仰いで半年かけて作り上げた振袖は、ターコイズブルーとブラックを基調にした、シックな装いのもの。優の誕生日を終え、この前撮りのために実家に戻った時に盛大にプレゼントされて、優は驚き、感激で泣いた。


「普段着だって。全部友里ちゃんが、優を想って贈ったモノ。それって異物なの?」

「……!」

「ねえ、ほら。優はいま、頭の中で、なにをおもった?友里ちゃんも同じように思うんじゃない?」


「……」

 優の撮影の番が来て、優は友里と同じように何ポーズか撮った。その間も、真帆の言葉をかみしめる優は、友里をじっと見た。友里は、先ほどの優のように真帆の横に立ち、優の目線に気付くと、小さく手を振った。


 ふたり撮影が始まり、優と友里は、大きな番傘を持ったり、竜胆の花を持ったりして、見つめ合った。茶色い小さな椅子にふたりで腰かけた。振袖の裾を真帆が美しく直し、柄をよく見えるようにした。


 左手の薬指がよく見えるように、指示をされ、友里が緩く編んだ髪を撫でる素振りをした。優も、友里のひざに手を置いた。

 空いた右手で、友里が指を絡ませる。優が慌てて友里を見ると、友里がニコリと笑った。

「優ちゃん、つかれちゃった?」

「……ううん、ちょっと考えごとしてた。友里ちゃんは大丈夫?」

「わたしはすっごいげんき!たのしい!!幸せ!結婚式、和装もいいよねとかおもってた」

「ふふ」

 笑顔を向けると、キヨカが「いいよ」と言った。慌てて優は、友里から目をそらし、前を向いた。このままでは、全ての写真が友里を見つめているものになりそうな気がした。

「自然に話してて、ふたり」

 キヨカがそういうので、友里は素直に優を見つめた。


「優ちゃん、お着物、にあっててうれしい」

 パシャパシャとカメラ音が鳴り響くが、優には友里の柔らかな声が鮮明に聞こえた。


「うん、友里ちゃんが仕立ててくれたから……本当にありがとうね、大変だったでしょう」

「ううん、わからないことは村瀬さんのおばあさまにすぐ教えてもらえたし、刺繍がないから、いつもよりは時間がかけられなくて。……優ちゃんの一生に一度の為ってのもあって、アドレナリン出まくって、比べてはだめかもだけど、楽だったよ」

「あはは」

「それにね、わたしは駒井家の振袖を、着せてもらうってことにもなってたし、なんていうのかな……お嫁さんになるんだな~ってじんわりしちゃってて、あんまり記憶がないくらい、気付いたら、できあがってた!!」


(そんなばかな)と優は思ったが、思わず噴き出した。

「ふふ、優ちゃんが笑ってくれると、わたしすごくうれしい」

「友里ちゃんはいつでも、わたしを笑顔にするよね」

「それが使命だと思ってますからね!」


 優は、友里の指先をキュッと握った。


「友里ちゃん」

「うん」


「わたし、友里ちゃんから貰ったものは、何もかも、友里ちゃんの気持ちがこもっていて、わたしに勇気をくれるっていつも思ってるんだ」


 なのに、自分が贈ったものは異物だと思ってしまうことを謝ろうとして、口をつぐんだ。友里にとっても、指輪がそうだと思われていたら、つらい。

(勝手だな)優は思って、友里を見つめた。


「わたしも!」

「……え?」

「勇者の装備なの!これを付けてるとね、優ちゃんのこと大好き!って気持ちが何倍にも膨れ上がるんだ~」

「……」

「それはね、優ちゃんが……」

「ん?」


 優は、友里の言いかけた言葉を待った。蜂蜜色の友里の瞳が輝いたようで、泣きそうに感じて、優は友里の指先をキュッとにぎった。


「笑顔いいね」

 キヨカが声をかけ、優は撮影中だと言うことを思い出した。

「ふたりきりの時に、いうね」

 友里がそういうので、優は少し照れて頷く。



 撮影はつつがなく終わり、ふたりは、さらにそこから写真を数点選びがはじまる。三枚つづりの物と、撮影したほとんどの写真をブックレットにすることにして、あれでもないこれでもないと考えているうちにあっという間に夕方になった。


「優ちゃんだけのブックレットをつくりたーい!」

「友里ちゃんだけのものを作らせてくれるなら、いいよ」

「う、うぐう」


 自分の映った写真を嫌がる友里が、欲と天秤にかけて迷っている。外に出ると、秋どころではない真冬並みの寒さに、優と友里は驚いた。


「そうだった、こっちって、そういうことがあるんだった!」

 ほんの少し別の土地に暮らしているだけなのに、友里が言うとキヨカが笑った。


「もうお客様来ないし、送ってくよ~」


 チャリチャリと車のカギを揺らして、優と友里の返事も待たず、赤いスポーツカーの狭い後部座席に、優と友里はぎゅっと入り込んだ。


「そういえば、友里ちゃん免許取ったのに、車で来なかったんだね?」

 キヨカと真帆にお世話になって、中古の軽を購入した友里だったが、今日は徒歩と電車だった。

「乗ろうとしたら、バッテリーが上がってて……」

「直列で、兄に直してもらったんですけど、車を東京に持って行こうと思ってたし、明日も友人と会うから、バッテリーを交換してくれるというので、預けてきました」

「あっはっは、ついてなかったね!!」

 キヨカが笑うと、友里と優もはにかんだ。

「電車で大荷物だから、今日、指輪を付けてくるのもちょっと怯えてて~……」

 友里が言いかけて、左手の薬指を撫でると、そのまま黙り込んだ。

「どうしたの、友里ちゃん?」

「ない」

「え!」

「え、ちょ、まって!」

 友里が辺りをきょろきょろするも、友里の指に指輪はついていなかった。

「気を付けてたのに……どうしよう」

 震える友里の肩を、優が抱きしめる。

「落ち着いて、友里ちゃん、写真館にあるよ、絶対。キヨカ、戻ろう」


 キヨカが途中のコンビニに入り、柏崎写真館へUターンする。

 玄関先に真帆が待っていた。


「良かった、今、優のスマホに連絡したんだけど」

 言われて、優がスマホを見ると、真帆からの着信があった。

「ごめん」

「あんなぎちぎちの後部座席じゃ、スマホ見ないよねって言ってたの」

 笑うヒナに、優はぺこりと頭を下げた。ヒナが余裕な様子に、優は先に安堵した。そして、やはりヒナが、ハンドタオルにくるんだそれを、友里に渡した。


「お化粧、落とした時に、タオルの上に置いたんだと思うの、そんで、ワタシが洗い物だと思って片づけちゃったから!」


 洗濯籠の中から出てきた時はキモを冷やしたとヒナが続ける。友里の指輪は、無事に友里の元に戻ってきた。友里の青い顔はパァッと華やいで、指輪を抱きしめた。


「わーん、ヒナちゃん!」

「ごめん友里~~~!!」

 ヒナと友里が抱きしめ合って、お互いに労いあうのを見て、優は胸をなでおろした。


「ごめんね、優ちゃん、お揃いなのに」

 友里がしょんぼりという。優はふるふると首を横に振った。


「見つかって良かった」

「失くさないようにするね」


「……失くしたら、また新しいものを贈るよ」

 優が言うと、友里は怪訝な顔をした。

「失くさないってば」

「もしも失くしても、友里ちゃんへの気持ちは、変わらないから」


「ええ?!不安になっちゃう!」

「モノは、なくなっても、大丈夫なんだよ、だって」

「だから、失くしさないよって話なの!」

 エスカレートしているふたりに、「落ち着いて、ふたりとも~~~!!」と、真帆が割って入った。


「優ごめん、さっきわたしがいろいろ言ったせいね」

「……真帆」

「友里ちゃん、優は大好きすぎて、むしろ、友里ちゃんを自分が縛り付けてるんじゃないか不安なの」

「真帆、やめてってば」

 優が手を振るが、真帆は止まらない。


「自分は友里ちゃんが作ったもので、全身を包んでいるのに勝手よね」


 友里が、優を見つめる。そして優に一歩踏み出すと、胸にそっと寄り添い、きゅうっと抱きしめた。

「……」

 優が人前を気にして、少しきょろきょろとするが、友里は続ける。


「あのね、真帆さん!わたし、優ちゃんから貰ったもの全部、宝物で、強くなるアイテムみたいに思ってるの」

 先ほどの会話を思い出して、優は黙る。友里の言葉を、全員が聞いている。


「優ちゃんを、攻略するためのアイテムみたいな」

 真帆は、友里をまっすぐ見てから、顔を上げると真っ赤な顔でうろたえている優を見て、自分が言いすぎたことにようやく気付いた。友里は全てわかっていて、優の気持ちを汲んでのことだった。


「優ちゃんが、わたしをすきってわかってる。身一つで、優ちゃんに挑んでも大丈夫って優ちゃんは言ってくれるけど、わたしが、不安なの」

「友里ちゃん」


 友里は少し俯いた。


「たまに、ほんとうにすこしね。わたしだけが優ちゃんを好きなのかなって思う時があって、優ちゃんに踏み込んだらいけないのかなって思う時があるの」

「友里ちゃん、ちがうよ、物なんて」

 優が口を挟もうとするが、友里はぎゅっと抱きしめて優の言葉を遮った。

「優ちゃんからのプレゼントは全部、優ちゃんがわたしを大好きって思ってくれている証みたいなものなんだ。自信をもらえるから頑張る力が湧いてくるの。だから、無くしたらショックで、みつかったらやったー!ってなる」

 優の胸にしばらく落ち着いて、友里は優を見上げた。


「だから身に着けなくても、あるってことが大事なんだ」


「ごめん、贈っておいて、わがままで」

「かわいいからいい」

「ぜんぶそれなんだから」

「ぜんぶそれなんです!」


 ぎゅうっと抱きしめ合って、優と友里は想いを確認し合った。


「また確認してる」

 ヒナの声がして、ふたりでハッとそちらを見た。優だけが、だらだらと汗をかいたような顔になり、友里は「仲直りした」と笑顔でヒナにピースサインをした。


 そして友里は優を見上げた。


「優ちゃん、おねがいしてもいい?」

「!」

 友里が小さな手を優に差し出した。その意図がすぐに分かった優は、手を取って、友里の薬指に少しだけ緩くなった指輪をはめた。


 見つめ合ってはにかむ。


「今日の撮影会は、成人式の前撮りじゃなくて、結婚式の前撮りみたいね」

「チューしろ~」


 外野の無遠慮な声がして、優はしかめっ面をしたが、友里が「お家に帰ったらしまーす!」と答えて、優は真っ赤な顔になった。

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