第39話 夏休みの一歩前
高岡朱織は窓の外に入道雲を見つけて「もう高二の夏か」と心の中で思った。受験は少し不安が残るものの、苦手な英語を克服できたおかげか、勉強そのものに対する苦手意識が減り、こんなものかとあっさり身についた。
(あれもこれも、駒井優のおかげ、なんて思うのは癪なんだけど)
6年間探し続けた初めてのライバル、荒井友里の恋人である駒井優に英語を教わっている。最初は憎まれ口を叩いていたのだが、案外とそれが上達の秘訣で、向上心を刺激された。高岡に足りないのは怒りだった。すべてのモチベーションは、怒りを根本にすると、がぜんやる気が満ちる。駒井優の整った笑みを思い浮かべ、奥歯をかみしめた。
(どうもあいつの顔を思い浮かべると、ムカムカするのよね)
友里に忘れられていた腹いせとはいえ、攻撃をした高岡に対して、駒井優がし返した事は、実はそんなに怒ってはいない。むしろ友里のために、敵意をむき出しにした駒井優を、評価しているぐらいだ。
(でも友里に対して、いつでも身を引こうと思っているように見えて、友里が絶対的に自分を見捨てないってどこかでおもってるっていうか、奢ってるのよ、あの人は)
一年の付き合いで、かなり相手の性格を把握してしまった。友里には見せない部分も、高岡には見せている気がして、ムムッとまゆを寄せて、持っていた教材を握りしめた。
(いけない)
教師に頼まれて、社会科の地図を運んでいるところだったことを思い出した高岡は、少しだけ小走りに休み時間中の廊下を進んだ。
女子の集団をちらりと見て、(よくもまあ話すことが続くわね)などと思う。多少の羨望もある。高岡には、出来ないことだ。
「駒井優ってさ、ぶっちゃけキモいまであるよね」
「!」
雑談の中に知った名前が出てきて、高岡は足を止めた。
「わかる。あの位の背の子けっこういるのにさ、もてはやされて『王子』とか、今時いう?一部の子たちがきゃあきゃあ言ってるの、ちょっと寒いもん」
「見れば普通の女の子だよね、つか、細すぎ。男に見えるとか言う人、おかしいよね」
「まあ整ってる顔はしてるけど~、芸能人とおもえば普通、てきな?」
(なによそれ)
高岡はいら立ちを感じた。
(悪口言うならもっと、ズバッと言いなさいよ!)
彼女たちは、剣呑な口調ではあるが、駒井優にたいして「芸能人に見まがうほど整った顔をしていて、よく見れば普通に華奢な女の子」と言っているのだ。ここに友里がいれば、「やっぱ優ちゃん可愛いよねえええ!」と目を輝かせるところだ。
(もっとほら、表情筋しんでる!とか、友里以外の人間には興味もない外道!とか!!ケダモノ!とか!!あるでしょ!?)
加勢したいぐらいだと思った。
「つか、髪ショートにしてんのも、女にもてたいんじゃね?」
「あ、わかる、ガチ感あるよね」
(それは違うわ!あれは自分自身がオバケに見えるから、切ってるだけ。友里にだけモテればいいんだから、駒井優は。ほんとは友里の好みに合わせて髪を伸ばしたいのよ)
事実と違う部分にはイラッと来て、思わず声に出そうになったが、自身を思いとどまらせた。
友里であれば、突撃してあっという間にその場の雰囲気を変えてしまうと思ったが、高岡にはそれは無理だった。きっとさらに悪化させてしまうだろう。駒井優ならば、このぐらいの悪意は当たり前に受け流せると思い、背をむけて教室へ歩み出した。
「つか、正直、よくわかんねんだけど、女にもてて嬉しいわけ?」
「囲ってる女も、どうせ今だけのオモチャでしょ?かわいそ、「駒井く~ん」」
「あはは!ウケル囲みの真似うまいじゃん!やってた?」
「キモいこというなし……まじ。滅んでくれないかなぁ、ちやほやされてえなら特進やめろって感じ」
「お前まだ特進おちたの恨んでるわけ?」
「だってあんなきゃあきゃあうるさいの引き連れてさぁ。テスト落ちたの絶対あれのせいだよ。マジうざい、マジ邪魔!駒井優のせい!あ~なんか弱み握れねえかなぁ」
「そいやさ、あいつ付き合ってる女子がいるんじゃなかったっけ?」
「え!?マジで?やばくない!?」
「夏休み前だしさぁ、なんかやっちゃう?」
高岡は不穏な気配を感じ、ちらりと靴をみる。上履きのラインは一学年上の友里と優の同級生をしめしていた。
(もしも、駒井優の唯一無二だと、友里が悪意に晒されたらどうしようかしら)
高岡は嫌な予想をした自分に、腹を立てた。最近、友里と優が付き合っていることが、全校に知れ渡ったのだ。
「ちょっとあんた、さっきから何睨んでるわけ?」
真ん中で駒井優の悪口を言っていた女生徒に気付かれ、高岡は顔を上げた。さらりと黒髪が、夏休み前の熱気をはらんだ校舎に入る風に揺れた。
「別に睨んでなんかないわ」
「睨んでるつの。まじ、そういう顔付だとしたらご愁傷様だけどさ」
アハハ!と周りの女生徒が笑った。
高岡は、じとりとした肌の汗を今更感じた。友里の周りの女子達の穏やかさに慣れていた分、自分が歩んできた、いつも通りの治安の悪さを思い出して小さくため息を吐いた。
「あ?なにバカにしてんの?」
「息を吐いただけですけど」
「生意気なんだけど!二年のくせに!てか、おまえさ~」
チラチラと女生徒が嫌な顔つきで高岡を見る。スマホを取りだして、画面を見た。
「ほら、駒井優のオキニイリとか言う女じゃない?掲示板で見たんだけど」
「ウケル!お姉さまの悪口聞いて怒っちゃいました!?つか、あんたがつきあってたりする?!」
「え~ないっしょ、いくらなんでも趣味悪すぎ!!!」
アハハと大袈裟な笑い声が、廊下に響く。
「あなたたち、駒井優を褒めたたえすぎよ」
高岡が口を開くと、三人の女性はポカンと口を開けた。
「陰口の語彙が甘いのよ。それではまるで駒井優に非の打ちどころがないみたいだわ。欠点だらけなのに、気付かないのね」
少し表情が和らぎ、「なんだよ、お前も駒井優嫌ってんの?それなら話はかわるじゃん」と一歩歩みよってきたが、高岡は顔をしかめた。
「あなたたちと一緒にしないでほしいけれど」
「は?バカにしてんの?!」
「ああ、脳直でお話をする人としゃべると、とても疲れるわね」
一部の過激派のおかげで、優のお気に入りの下級生という箔がついている高岡は、ちょっとした有名人になっていた。なぜか、有名税だから、からかっても良い相手と言う態度をとる者が数名いた。そういう相手にきっちりとお返しをしているため、少ない友人の気配すら、全く失ってしまったのだ。
(友里のように、良いように言葉を捕らえたりできれば、相手も毒気を抜かれてしまうのでしょうね)
親友の友里がいたら、きっとと思ってしまう。けれど、高岡は友里にはなれない。火には油を、毒にはさらなる毒を。
「私は本人にちゃんと言うわ。あなたの存在がうざいのよ!って」
「は、は??」
「陰でコソコソとみっともない!本人を前にして言えない事なら、言わないほうがいいわ!」
「お前!」
女生徒の手が高岡の長い黒髪を掴んだ。少し怯んで、しかし高岡は睨み返した。
「高岡ちゃん」
その時、毎晩8時頃、(時間は不定期だが)10分ほど英語を聞いている、甘い声が降り注いだ。
見上げると、長身の駒井優がこちらを見ている。少し走ってきたのだろう、乱れた前髪が、サラサラと元の位置に戻っていく。その間から見る切れ長の瞳は鋭く、黒く光っていた。整った姿は、まるでビスクドールのようで、表情がない。高岡の髪を掴んだ女子の手首を、そっと掴み、高岡の髪を元通りに撫でた。
「ひえ」
先に声を上げたのは高岡で、三人の女生徒たちは顔面蒼白で息をのんだ。
気付けば、高岡の髪を掴んだ女子以外、逃げて行った。周りにギャラリーが出来ていて、その様子を、シンと静まり返った様子で眺めている。
「どうしたの?」
これほど冷たい声が、あるだろうかと高岡は思った。普段、友里に問いかける「どうしたの?」とは、温度が80℃は違うと思った。
「あー、あ、こいつが!この二年が!駒井さんの悪口を言ったから!」
女生徒は、優に手首を掴まれながら、もう片方の手で高岡を指さしながら自分の悪事をすべて高岡に擦り付けた。
「欠点だらけとか!」
嘘の中に本当を紛らわす手管に、高岡は感心する。
優と高岡は目も合わさず、
「その通りだね、高岡ちゃん」
「わかってるじゃない」
言い合い、女生徒に分が悪いことを知らしめた。
「わたしを庇ってくれたの?でも、暴力はダメだよ」
優は女生徒に柔らかな口調で言いながら、握った手を放し、そっと自分の大きな手でその手を包み込んだ。
「この女が、駒井優に言いたいことがあるんですって。ほら、言いなさいよ、髪型がなんですって」
高岡が促すが、女生徒は、唇を真っ青にして震えている。本人を目の前にして、言うような言葉ではないと、頭ではわかっているのだ。
「二年の時、一緒のクラスだった常盤さんだよね。体調が悪そうだから、保健室へ連れて行こうか?」
「いいいい!!いいです、無理」という常盤の肩を優が抱くと、先ほどまでの虚勢はどこへやらという様子で、優の胸に大人しくおさまる様子に、高岡はあっけにとられる。なんのことは無い、憧れをこじらせていたのだと思った。
(それとも、今落ちたのかしら?)
高岡は思ってから、背筋がゾッとした。
「ちょっと駒井優、その女に、お姫様抱っことかしないでよね!?」
「え、出来ないよ、重いもの持てないもの」
「なにそれ!か弱いふり!?もてるくせに!!!」
「どっちなの。もう。高岡ちゃん。ところでそれ、次の授業のものなんじゃない?」
優に促され、高岡は握りしめた社会科の教材を持つ手が、震えていることに気付いた。
いかに気の強い高岡も、驚けば泣いてしまう己のもろさは知っていた。あわてて目頭を拭う。
それをみないふりをして、優が唇を開く。
「ありがとうね、怒ってくれて」
高岡は、にくき駒井優に全てを把握されていることに気付き、頬を紅潮させた。
「クラスに戻って」
「言われなくてもそうするわよ!」
フン!と高岡は踵を返す。
(駒井優め、そつがなくてムカつく)
歩きながら、高岡は思った。
優が見ていたのはきっと、高岡が三年生に歯向かった辺りだろう。それまで、廊下に人はいなかった。騒ぎを聞きつけ、様子を見て、あの状況で高岡が一方的に悪いとは思わず、礼までのべるとは。
(駒井優なら、自分への悪意まで把握済みだったんでしょうね)
元々、常盤という女生徒が自分に対して悪意を持っていることを、きっと優は気付いていた。そんな常盤に、高岡が怒鳴っていたら……と言うことなのだろうと、高岡は思ってから、自分が、駒井優に対して優秀だと思っている気がして、少しイラついた。正しいのだが、認めたくない。
(なによ、全面的に自分のために動くと思われてるわけ?!この私が!……腹立つ!)
友里の恋人でなければ、優にこれほど感情が動くことはない。それは優も同じで、友里の友人だからと良くしているのだろうと高岡は思っていた。
(もしかして、私が怒ったのは友里のためってとこまで気付いてるかもしれないわ。駒井優は友里に対する悪意を本当に容赦しないから。あの三年の女子、なんでもないといいけれど……)
しかし、借りを作った気がして、その日は友里に、「駒井優もいいところあるわね」と伝えてみた。友里が大喜びしたことは間違いない。
『高岡ちゃん、友里ちゃんになにかすごい呪文でも言ってくれたの?』
夜の英会話通話で、心なしか弾んだ声の駒井優の声を聞いて、高岡は(言わなければよかった)と多少後悔をするのだが、今日だけは見逃してやろうと思った。
「ところで、あの女、なにか言ってた?」
『常盤さん?今度お勉強を教えてって言ってたよ』
罵詈雑言を期待していた高岡だったが、想像通り、駒井優に良いように事が運んだようで、しらける。
「あっそ、ふーん」
『でも断ったよ。わたしは、大事な子にだけ時間をつかいたいから』
「……」
『わーい高岡ちゃん、お勉強 頑張ってね!』
「!」
友里の声がして、高岡はハッとした。
「駒井優ってほんとムカつくわ」
ため息交じりに日本語で呟くと、友里は慌ててなにか言い訳をはじめ、後ろで駒井優が大笑いをした。
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