第2話 勉強

「あ、あ~!理解!わかりやすい!」

 友里は思わず声を上げて、それから書き込んだノートをもう一度読んで、ふふと頬を赤く染めた。優もそれを眺めて、嬉しそうに頷く。ノートから目を離し、優を見つめる友里に、優はドキリとした。


「優ちゃんって、教え方が上手ね。授業では、黒いもやみたいなものが、突然光ったみたいな感覚」

「ある程度、先生が説明してくださったことを友里ちゃんが理解してたからだよ。ほんの少しずれた考えを正しい位置に戻した感じ」

「自分で解けるようにしてくれた!」

「自分で理解したほうが、この先もいいでしょ?」

「たしかに!優ちゃんに同じこと何回も聞くの申し訳ないしね」

「いやそれは、全然いいよ。かわいいから」

「かわいくなくなったら面倒になるの」

「それはないだろうな」

「!」

 ううんと腕組みをして真剣に言う優に、友里は恥ずかしくなって赤くなった頬を手のひらで仰いだ。


「受験勉強なんだけど、まるで夏休みの宿題みたいだね」

 友里が話をそらすように言った。こどものころから、優の部屋に来ては、3日ほどかけて、宿題を優に見てもらっていた。最初はたくさんの友人が来ていたが、次第にふたりきりになって、それは今も、恋人になってからも、続いていた。


「友里ちゃんは、丸写しとか絶対しないから、本当に偉いよね」

「優ちゃんの丸写しなんてしたら、そっこー先生にバレるもん!」

「そういう意味だったの?」

「どういうことだとおもってたの?」

「苦手なところも、自分でちゃんとやりぬこうとしてるところ、尊敬していたのにな」

 しょんぼりとした気がして、友里は慌てて手を振った。

「ええ、じゃあ、そっちのままでいて!」

「もう無理だよ。友里ちゃんをちょっといいように、思いすぎてたのかなあ」

「ええ」

 友里だって、自分の力で解く大事さは知っている。優に教えてもらいつつも優にみっともないところは見せられないと思っていたことは事実だ。眉を八の字にして、優を見つめると、優は白い歯を見せて笑った。

「でもそういうとこもかわいい」

 からかわれていることに気付いた友里は、「もう」と鳴きながら、横に座っている優の腕を柔らかく押した。


 他の問題もササっと解いてしまうと、自分の勉強に取り掛かっていた優の背中に抱き着いた。

「友里ちゃん」

「お勉強、続けるみたいだから、ここにいてもいい?」

「良いけど……、なんだか落ち着かない」

「わたしは落ち着くんだけどなあ、いい匂い」

 背中にピタリとくっついて、「じんわりする」だの「あったかい」だのと言って、友里は優のおなかに手を回した。

「……っ」

「優ちゃん、おへそくすぐったいの、慣れないね」

「こういうのって、慣れるもの?」

「わかんない。確かに、触られるたびに、くすぐったいだけだったとことかも、どんどんえっちな気持ちになる気がする」

 友里の言葉に、優は持っていたシャーペンを置いた。

 ノートはそのままにして、友里の手のひらをポンと柔らかく撫でる。

「……友里ちゃん」

「ん?」

「もしかして、誘ってる?」

「……えーと」

 友里は図星をつかれて、言いよどんだ。

「違うの、いちゃいちゃをね?いちゃいちゃが苦手だから、っていうか、すぐ、えっちなことしちゃうから、スキンシップの練習!」

「そう?じゃあ、わたしは、どうしていたらいい?」

「優ちゃんは、お勉強してて。わたしが、抱きついているだけ、ってのは、どう?」

「うん、じゃあ、おためしで……」


 優の表情は背中越しで見えなかったが、たしかに試しているような声だった。友里は途端に恥ずかしくなり、優に抱き着くのをやめようかと後悔が襲ってきたが、優は宣言通りにカリカリとノートに筆を走らせている。そのピンとした背中に顔をうずめて、スリと頬を揺すった。

 友里の手の甲を、優の左手が包み、指先でときおり友里の骨の間を、撫でる。それは中指、薬指とピアノを弾くようで、適度な刺激に友里は楽しくなってきた。

(次は、どっちの指かな……あ、薬指。集中してると、止まるみたい。シャーペンの音と連動してるのかな?あ、解けて、次の問題に行く度に叩いてる感じ?ふへ、かわいい)


 土曜日の昼下がり、真夏にはまだ遠いが、梅雨も明け、暑い日々が続いていた。

 優の部屋は通年適温で、毛足の長いサラサラしたカーペットは、優の母の芙美花が選んできた夏用のもので、クッションもナシにそのまま座っても快適だった。

 友里に合わせて勉強机ではなく、ローテーブルで勉強を続けている優に感謝をしつつ、友里はまどろむような気持ちになっていった。

「しあわせ」

 思わず呟くと、優がピクリと震えた。

「?」

「──ねえ、友里ちゃん、いちゃいちゃって、キスはしてもいいの?」

「い、良いんじゃないかな?」

「じゃあ、問題が解けるごとに、キスしても良い?」

 指を弾かれていた頻度で、くちづけをされることに気付いて、友里は頬を赤く染めた。

「え、えっといいけど、その場合は、前にいたほうがイイ?横かな?出来れば、くっついていたいんだけど」

「……お膝かな?」

「あ~、おひざね!おけおけ」

 水色のノースリブシャツの肩に手を回され、友里はドキリとした。身軽な様子で優の膝にストンと座るが、目が合うと照れてしまう。

 乗っておいてなんだが、いまさらに友里は(すごく邪魔では?)と反省した。しかし目が合った優は、嬉しそうに微笑み、友里の鼻先に軽く口づけをした。

(優ちゃんが嬉しそうだから、いっか!)

 優は、友里が作った真白い半袖シャツを着ていて、眩しさでドキリとする。縫い付けたボタンの数を、覚えているのに、目で追って数えてしまう。優に似合うよう選んだ、清楚でかつ繊細な輝きを持つ半透明の白いボタンを、ツツと指先でなぞった。

 優は友里が自由にしている様子はおかまいなしに、問題を解いていく。

 左手側にいる友里は、優の右手を見れる位置にいる。まるで魔法の呪文のようにサラサラと知らない文字がノートに生み出されている様子を、じっと見つめた。

(これって何だろう?物理ってやつ???)

 商業科の友里は、物理は1年生の時にちらりと質量の法則だけ習ったことを思い出した。知らない記号が、計算式の中に描かれ、それらを正確な線でなぞっては、何行にもわたる計算式を描いて、あっという間に解を導き出した。

 優が、躊躇して友里を見つめるので、友里は瞳を閉じた。

 優の唇が、自分の唇にそっと当たる。皮一枚向こう側のようで友里は少しだけ前に体を起こして、奥までグイっと当てた。

「ん」

「あと何問?」

「え、っと、9問」

「……9回?」

「うん」

 自分から言い出した優が、実際してみると照れた様子で、友里は「ユウチャンカワイイ」と小さく鳴いた。

「っ」

 それでも冷静な顔で、またノートに目を落とす優に、友里は楽しくなってきて、優の体に手を回して、問題を解いていく様子を眺めた。少し余裕が出来て、問題を解く優の輪郭などを楽しむこともできた。

「真剣かわいい」

「……ん」

「ちょっと口が開いちゃうのかわいい」

 友里が言うと、優の唇がきゅっと結ばれて、その仕草に友里は悶えた。問題を解かなければ、キスが出来ないのが勿体ない気がした。

「解いた」

「ん!偉い!!」

 今度は友里から首に抱き着いて、くちづけをした。

 問題を解くごとに、徐々に長くなっていた気がしたが、気のせいだと友里は思うことにした。

(それにしても、優ちゃんってキスのパターン多くない?すごいなあ、てっきりキスって、唇を合わせるだけだと思ってたよ)

 時には唇の先を柔らかくはんで、ちゅっとリップ音が鳴る。さすがに舌を使うことはないが、ジンジンと唇が震えるようになってきた。


(いまので8回目だから、あと2回かな)

 友里は思ってから、ドキリとした。優をちらりと見つめる。口づけをする時は熱っぽい様子になるが、問題に向き合うととたんに涼しい顔だ。

(問題が終わったら……する、の、かな?)

 土曜日の昼下がり、まだ太陽は高く、(昨日の夜えっちしたばっかりなんだよね、さすがにしないよね)と友里は思った。


 週1と決めていたふたりは、金曜日の夜はかなりの確率で大変なことになってしまう。今日も、受験勉強にして、どこにも出かけないと決めたのは、朝が遅かったからだ。


 友里は、昨晩のことを思い出して、頬が赤くなっていった。



 ──はじめて、自分で腰を揺すってしまった。

 あまりに恥ずかしく、優の顔が見れなかった。

「友里ちゃん、物足りない?」と問いかける優の声が、どこか楽しそうだったことも、震えるほど恥ずかしかった。


「違うの、気持ちいいんだけど、勝手に揺すられちゃって」と言い訳する自分の声が他人事のようで、余計に羞恥が沸いてきた。友里が羞恥に震えるたびに、優は、いつもよりもずっと嬉しそうで、いじわるになるのがわかっていたが、友里は言い訳をいう口が、自分と別人格のような気持ちになっていたが、止めることは出来なかった。


「そっか、じゃあ、もっとちゃんとしても良い?」

 言うと優の指が奥まで入ってきて、友里は戸惑った。その感覚が初めてで、がくがくと震え、のけ反る。「ちゃんと」ということは、ずいぶんたくさんのことをしていると思っていたが、まだその先があるということだ。

「やだっ」と思わず言うと、優が耳を撫で、落ち着くように背中をやさしく撫でた。

「友里ちゃん、すごい、きゅうってなる」だの、「弱いとこがまだたくさんあるね」と、仕草はやさしいが、呼吸だけしかできなくなっている友里に、驚くようなことを優が言う。そのまま、優は友里に、友里自身も知らないような、友里の弱いところを教えた。

「ここ」

「あっ」

「あと、ここが」

「わかんないよ、優ちゃん」

 友里が、悪い生徒になったような気持ちで首を横に振り、どっとあふれ出る汗や未体験の快感と戦いながら、震えると、優は口づけを落とした。

「友里ちゃんは知らなくていい」

 友里は、優がいつも、「後で役に立つから」と丁寧に教え、友里が自分の力でわかるまで待ってくれるのを知っていた。どこか冷たいような言葉に、友里は少しの不安を覚えた。

「だって、わたしだけが、知っていればいいことでしょう?」

「わたしに触るのは優ちゃんだけってこと?」

「だめ?」

「……っ、いい」


 可愛く小首をかしげるしぐさに、ハアハアと呼気を荒げてしまって、優がなにか問いかけてきたが、その後のことは全く覚えていない。気付けば早朝で、優は、鈍痛を感じている友里の腰を撫でていた。


 友里は、優の膝の上で、カアアっと下から熱気に襲われたような気持ちになっていった。


「解けた!」

 優が嬉しそうな声を上げて、昨夜の記憶の中から、友里は戻ってくることができた。顔を合わせた優は、まるで気付いていなかったようで、赤い顔の友里に一瞬、目を丸める。

「熱中症?」

「ちが!ちがう、ます!大丈夫、全然、ボーっともしていないし、頭も痛くない、です」

 思わずとっちらかった敬語で、友里は言うが、しかし心配性で、医者を目指している優は、友里に麦茶を渡して、さらに塩タブレットを口に頬張らせた。


「大丈夫なのにい」

「はじめが肝心だよ」

 頭を撫でられて、友里はおとなしくそれに従った。

 頬に一度、それから麦茶を飲んだばかりの湿った唇に、ちょこんと口づけをされて、友里は優を見上げた。

「2問、一気に解いちゃったから。これで今日の分はおしまい」

 にこりとほほ笑んだ恋人に、友里は胸が痛くなってぎゅうと抱き着いたまま、毛足の長いサラサラのカーペットに押し倒した。

「お疲れ様です」

「待っててくれて、ありがとう」

「恋人のいちゃいちゃ、できてた?」

「それはもう……きっと、これでいいと思うけど、どうだろう?わたしにとっては心臓に悪いんだけど、友里ちゃんが、楽しかったなら、いいよ」

 優が素直に、ドッと赤くなりながら、天井を見上げた。

 涼しい顔で勉強していると思っていた分、友里はくすくすと笑った。


「楽しかった!またしようね」

「……ちょっと検討と改良の余地がある気がする。刺激が強い」

「ええ~?」

 友里も確かに、別のことをたくさん考えてしまうと思ったが、それを優に自己申告することは控えた。そんな話をしてしまったら、前後不覚になるほど、またどこか遠くに連れて行かれてしまうことは、わかっていた。


(優ちゃんとだから、不安なんか、ひとつもないけど)


 うふふと笑っていると、優がじっと見つめる。黒い瞳が、なにを求めているかわかってきてしまった友里は、そっと瞳を閉じて、優が近づいてくる時を、待った。

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