幼馴染は王子ではなく淑女です【番外編】
梶井スパナ
第1話 ハロウィン
駒井家のハロウィンは、大掛かりではあるが、コットンキャンディのような甘い空気に支配される。あまりに
「なにか希望があれば、聞くけれど」
階段を上がった所に鏡を設置しただけで、驚いて階段から落ちかけたことのある長女で末っ子の優は、母親の芙美花の声になにも答えず、困ったように笑う。”本物”が紛れ込むことを恐れている顔だ。
「じゃあ、ただの仮装パーティにしようか!大好きな友里ちゃんも、呼ぼうね」
「……」
──13歳、身長170cm・体重54kg、水泳の国体強化合宿から帰ってきたばかりの中学1年生の優は肯定の意味で首を縦に振った。このころから、幼馴染で特別に仲の良い荒井友里に対して、「大好き」という言葉を優は言わなくなっていた。正確には「言えなくなっていた」。
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「優ちゃん!トリックオアトリート!」
荒井友里は仮装にクラシカルなメイド姿で、幼馴染の優に言う。150cmの身長は、母を除いて170cm以上の人間しかいない駒井家では、まるで赤ちゃんのようだ。無意識に全員が、友里の頭を撫で、お菓子を与えている。優も、トリックオアトリートの呪文を唱えられた手前、もっていたお菓子を友里の手のひらに渡した。
(ちいさい……わたしも皆みたいに、赤ちゃんのようだと手離しで褒められたらいいのに)
ちいさな手のひらだけでなく、存在全てがかわいらしく、愛おしくて、優は見つめたままになる。そして優は、友里の首筋に噛みつかれたようなアートメイクを見つけて、犯人の名を呼んだ。
「おかあさん!」
「だって友里ちゃんが、優の眷属になりたいっていうからメイドさんに見えるけど、一応魔女なのよ」
黒くツバの広い三角帽子をポンと友里に乗せると、あっという間に魔女に変身した。母親のほうが、魔女のようだ。
「だからって」
優は友里を見下ろした。5年生の4月から外で遊ばなくなったせいで、肌は白くなり、華奢でまっすぐな鎖骨に、ゼリー状に落ちる血のり。膨らみかけた胸の谷間が見えて、思わず目をそらす。
当の友里は、優に見惚れていた。ウェーブの漆黒ロングヘアに、肩を大きく開けたシックなIライン、スパンコールの付いた黒いロングドレスにマント姿の優をキラキラした目でうずうずと、抱き着きたい顔をしている。──先日、優が「もう小学生ではないのだから、抱きついたりすることはやめよう」と言ったことを、律儀に守っている。
「わたしが、友里ちゃんに噛みつけるわけない……」と、優が言いかけるが、優の主張は聞かれず、母が笑う。
「優ちゃん、今日は言うこと聞くよ!なんでも!」
友里に、本物の八重歯を見せて微笑まれて、優は自分の偽物のキバが恥ずかしくなる。
「なんでもなんて、もう小学生じゃないんだから、気安く言っちゃダメ」
コホンと優は「もう小学生じゃない」という言葉を免罪符にしている自分に咳払いをする。
「前をちゃんと閉じて」
「……!淑女、だ!」
「なにそれ」
「あのね、言葉を習ったの。品があって、どんな時も冷静で完璧な女性のことなんだって。優ちゃんのことみたいだなと思って」
優は動揺した心のまま、友里の言葉を、話半分に聞いた。
無表情だが、照れている優の様子には気付かず、友里は飛び跳ねて喜ぶ。半年前までは、事故の後遺症で歩くこともおぼつかなかったというのに、すっかり元気だ。
(バレエを習っていたから、体幹がいいのかも)
「優ちゃんすっごくきれい、大好き。星空から生まれたみたい!!」
太陽が瞬くように微笑む友里に、優は目がくらみそうになりながらお礼を言う。マントで身を隠すようにして、魔女姿の友里をこっそり見た。
そして狼女に変身した芙美花の号令で、ハロウィンパーティが開催された。
カボチャのモンブランに、タルト。プリンは、大きなジャック・オー・ランタンを模した陶器の器にあって、お玉ですくって食べるタイプだった。
収穫を祝うという芙美花の独自の解釈で、海鮮のパエリアや、チキンの丸焼き、色とりどりのパテなども並ぶ。ちょっとしたホテルブッフェのようで、友里は端から全部食べようと意気込んでいる。
「色々なところに飴や、お菓子を隠しておいたから、見つけたら集めてね!集めた飴の数の多い人が優勝です!」
全員が、なにに対しての優勝か全く分からなかったが、「おー」と声を上げる。
「全員おばけなんだから、飴はよくない?」
「どうも母はイースターを混合しているな……」
様々なところに隠した卵を見つける4月の収穫祭を思い出し、長男の晴は吸血鬼姿で疑問を抱えたままの狼男の三男・星に笑う。次男の彗が見つけるたびに友里に渡すので、兄たちはそれに倣った。
友里は、ご飯を食べるか飴を見つけるかで、そわそわしているが、まずは腹ごしらえと決めたのか、パンプキンドリアをこれでもかとよそってから、自分の猫舌を思い出していた。
「優ちゃん、飴、どう?わたしは、7こ!」
腹ごしらえを終えた友里が、優の元へ近づいてくると、元気にそういう。
「敵に内情はおしえられないな」
ソファに腰かけたまま優が言うと、友里はパアッと顔を明るくして、笑った。優がふざけた様子が嬉しかったようだ。拳一つ分開けた位置に、座った。ぺたりと張り付くように座る友里に慣れていた優は、少しだけ胸が痛む。友里は、優のお願いを律儀に守っているだけで、(これが正しい、友人の距離なのだ)と胸に刻んだ。
しばしの沈黙。しかし友里が、ふざけた様子で首筋を指さした。
「そーだ、今日はわたし、優ちゃんの眷属なんだし。眷属って、優ちゃんのドレイでしょ。紅茶でも持ってこようか!」
「……」
「眷属になりたい」と、言ったのは、優と仲たがいをしていると思ったせいかもしれないと思い、優はここ最近の自分の態度を反省した。極端に、友里を避けすぎた。
「でもやっぱ、なんでも聞いてあげるよ」
好きな人から言われる「なんでも」の破壊力感じながら、いうことを聞いてほしくなるが、それすら友里に気付かれたくなくて、冷たい態度になってしまう。優が答えないせいで、しばらくふたりで無言になって、明るい友里が、しょんぼりと下を向く。
ハロウィンパーティーに、仮装をするのは、本物のおばけが紛れ込んでも分からない為などの理由があるが、優は、自分自身こそ、友里にとっての化け物なのではないかと思った。ケダモノだ。恋を免罪符に、なにをしでかすか全くわからない。ほんの数か月前まで一緒の目線だったというのに、20cmも離れた身長は、心の距離のようだった。椅子に座ると、同じ目線になるが、友里が落ち込んでいる限り、その目はあわさることはない。
「──優ちゃんが、抱きついたりしちゃダメって言ってくれるまで、わたし、優ちゃんの気持ちに全然気づいてなくてほんとうにごめんね」
その声は小さいが、はっきりと優に届いた。友里の心が、離れた気がした。
「よっし、じゃあわたしは、パーティを楽しんでくるね!」
無理やりに明るい声を出して立ち上がった友里の手を、優は思わず掴んだ。
──川の中に消えていく友里が見える。自分を岸に残して、離れていく友里の手を、二度と離さないと決めたはずなのに、また、手離してしまうところだった。すがるような顔つきになっている気がして、優は友里から目をそらした。
「──うそだよ」
「え、優ちゃん?」
パッと友里がうつむいた優の顔を見つめるために、椅子の下にしゃがんだ。
(泣いていると思われたのかもしれない)優は思って、友里を見た。蜂蜜色の瞳が、涙で潤んでいて、優は罪悪感と、ほんの少しの興奮を感じて胸が痛んだ。
「プリン持ってくる?」
幼馴染の友里は、優が泣いていると、甘くて柔らかいもので包み込もうとする。優は好きの気持ちで胸が埋まって、グッと苦しくなった。
「さみしいから、離れて行かないで」
握りこぶし一つ分の距離をがまんできない自分に呆れながら、優は複雑な気持ちと一緒に友里を抱きしめた。
「ちょっとだけ、恥ずかしかったんだ。もう気にしないで」
「えっと、どういうこと?」
「また仲良くして……、ごめんね」
「優ちゃんは、カワイイなあ!」
深い理由も言わない優を、あっさりと赦す友里の心の広さに慄きつつ、背中をポンポンと撫でられて、優はハッとした。友里を抱きしめていたことにというよりも、背中の傷に障るのではないかと、様子を確認した。
「ごめん、痛い?!」
「えへへ」
嬉しそうに、痛がってもいない友里に、手を握られて、優はまたうつむいた。また友里から、離れる機会を自分で潰してしまった。
川に落ちた事故のせいで、怪我を負わせたうえに、自分の失声症の発症を抑えられるからと、友里の父親を単身赴任にして、友里を自分のそばに置いている。その現状に、恋心まで募らせて自分のものにしたいと思っている優は、それを醜い感情だと思い込み、蓋をして、絶対に出さないと、心に誓っていた。友里が、離れて生きたいと望まない限り、離れたくないと再度確認しては、項垂れる。
「ねえ優ちゃん、この後って、遊べる?!」
「お着物と茶道の教室があるから、残念だけれど」
「いつも忙しいねえ、淑女だから仕方ないのかな」
手を握ったまま世間話に移行していて、優は、友里との距離を思う。
(どこまでの距離なら、幼馴染のままでいられるんだろう)
好きだと自覚して、どうなりたいのか、優にもまだよくわかっていなかった。ただ、友里のそばにいたいという気持ちだけは事実で、しかし、友里に抱きつかれたり、頬にキスをされたりするたびに、(だめだ)と思ってしまうだけだった。
母親の芙美花が、飴玉の集計を行う号令を出した。パーティの終わりを感じる。
「せっかく優ちゃんの眷属になったのに、なんにも命令されないまま終わりかな」
友里が、残念そうに言った。
「眷属だからって、なんでもいいなりにさせるのは、わたしの性分じゃないから、自由に楽しんで」
「自由に?」
「うん、それが命令……、というか、わたしの願望。自由にしている友里ちゃんに、元気を貰えるから」
ふふっと優が笑うと、友里がホッとしたように優の腕に絡みついた。
「良かったあ、嫌われたのかと思った!」
「わたしが友里ちゃんを、嫌うわけない」
優は、本心からそう言って、友里をじっと見つめた。友里の蜂蜜色の瞳がくるりと輝いて、優を見返してくる。
「悩ませたお詫びに」
優は言うと、飴を3個、友里の手のひらに渡した。
「多いよ」
(気持ごと、ぜんぶ渡してしまえたらいいのに)
優は、「好き」を伝えられない代わりに、甘い飴に託した。友里が優の顔を覗き込む。友里の頬が赤く染まっていて、伝わってしまったかと思って、優はドキリと心臓が揺れた。
「──わかった!わたしがいま7個で、3つ貰っても、優ちゃんは10個よりいっぱい持ってるんでしょ!余裕な顔だもん」
友里は、頭の中で単純な算数を計算していたせいで、赤い顔になっていたようで、優は思わず噴き出しそうになった。実際、優は見つけた全部を友里の手のひらに乗せたというのに、友里は真剣勝負だと思っている。
友里が勝負に賭けている様子がかわいらしく思えて、優はうそも本当にもとれるよう、微笑んだ。伝わるわけもなく、伝わっては困る自分の恋心を思って、苦笑した。
「ユウチャンカワイイ!」
(どっちが)と思っていると、友里は優を正面からぎゅうと抱きしめ、八重歯を見せて笑った。そして椅子から飛び降り、優を置いて行ってしまった。
(この気持ちは、絶対に悟られてはいけない)
優は、友里の柔らかな肢体の残像を感じながら友里の背中を追った。優勝は友里で、1mの袋いっぱいのお菓子を商品として渡され、一足早いサンタクロースのように全員に配り歩く。優は、気持ちを口に出したら、にぎやかで、和やかな空気すらすべてが色を失う気がして、気持ちを押し込め、笑顔の友里に拍手を送った。
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13歳のハロウィンパーティから、5年後。
18歳の駒井家のハロウィンパーティも終わり、自室、優は友里に顔を覗き込まれて、ハッとした。
「その格好、昔を思い出した」
クラシカルなメイド、──ではなく魔女の友里が、にこりとほほ笑む。中学生の時とは違い、友里が自分で作り上げた衣装は、しなやかな友里の体にエプロンドレスが際どく胸を強調していて、少し、煽情的だった。
「あの頃は、好きって言ったら、ぜんぶ壊れる気がしていた」
友里の頬に手を当てると、友里は優の手のひらに顔を乗せ、スリスリと撫でた。
あの日しまった優の恋心を、そっと包むように友里が優の腕を抱きしめた。それらを乗り越えて、恋人になっている喜びを伝え合う様に、優は友里を抱きしめ返す。
照れたようにはにかむ友里に、優がごくりと息をのんで手を伸ばそうとすると、友里はサッと身をひるがえして、部屋に取り付けられているお風呂のドアまで駆けて行った。
優は、友里を追いかけ、抱きしめ、首筋にキスをした。
「あ、優ちゃん……逃げたわけじゃなくて、お風呂入ってから、ね」
「ちょっとだけ」
優の「ちょっと」は、ちょっとでないことを、もうしっかりと知っている友里は、ドラキュラと魔女のまま、そういうことに突入してしまいそうな状況に、照れた。
「こすぷれえっちは、高度じゃない!?」
思わず問いかけると、優が「?」という顔をして、友里を見つめる。友里は、ふるふると震えて赤い顔で優の服をぎゅうと握っている。いつでも逃げ出せるというのに、優の胸におさまったまま、足をモジモジとしている。
「友里ちゃんは、ロールプレイングが好きそうだけれど」
思わず言うと、友里が(わたしだけ?!)と真っ赤な顔になって、横を向いたり慌てた仕草を見せる。ポカポカと軽く叩かれる気がしたが、優が思っているよりも友里は照れたようで、顔を隠してしまった。
「友里ちゃん、ごめんね、からかいすぎた?」
「言葉責めなんだもん~~」
友里がよく言う、「言葉責め」の意味が優はよくわかってないのだが、優は友里を覗き込むように「じゃあキスだけ」と譲歩したように言うと、友里はふるふると首を横に振った。
「あのね……こっちも再現してあるよ」
友里は優の横に座ると、楽しかった居間でのパーティでは見せなかった部分を、ソッと優にだけ見せた。3個ボタンを外して、首筋の噛まれた痕をみた優は、こわごわとその噛み跡にふれる。
「今もずっと、優ちゃんの
甘いお誘いをされた気がして、ドキリとする。
(どちらかと言えば、自分が囚われている)と優は思った。
「……友里ちゃんこそ、なにか、お願いされたいことあるの?」
逆に優に問われ、友里は赤い顔をした。
「優ちゃんの眷属っていう設定なの」
友里は確認するように、優に手をのばした。
「吸血鬼さんも、したいなら、そう命令して」
赤い顔で言われて、優はごくりと息をのんだ。グッと下腹部に力が入ってしまう。そのまま抱きしめて、真顔になる。
「友里ちゃん、魔法を使ったでしょう?」
魔女姿の友里は、ニコリとほほ笑み、優の頬を撫でると、少しだけ意地悪な顔をした後、ちゅっと口づけをした。
「優ちゃんも、ロープレ好きなくせに、いじわるいうからだよ」
「……お願いします」
「優ちゃんのえっち」
言えと言ったくせに、からかわれて、優は少し戸惑いつつも、約束のキスを受け取った。
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「どろどろかも」
自分たちの衣装を見て、友里はグッと羞恥が襲ってきた。しっとりと濡れた内側のパニエを、手洗いして、部屋に干せる場所を探す。
駒井家の防音は完璧とはいえ、家族全員がいる日に、深夜まで愛し合ってしまったことがとても恥ずかしがった。
「ごめんね、羽目を外してしまった」
「ううん、気持ちよかった。わたしもきっと、もうここが自宅だと思ってるのかも」
友里が言うと、優が赤い顔になった。
この顔はきっと友里にしか見せない表情と友里は知っていて、普段と違うことをした楽しさも相まって、(恋人の可愛さがいつまでも毎日可愛さの頂点を塗り替えてくるなあ)と思った。
「トリックオアトリート!優ちゃん」
「え、もうお菓子ないよ」
意味が分かっていない恋人に、友里は「じゃあいたずらだ!」と叫んで、キスの雨を降らせた。
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