第3話 屋内プール
日曜日。朝の早い時間、荒井友里は親友の高岡朱織に呼び出され、駆けつけた。
高岡と友里は、日曜の午後からはバレエスクールで、高岡が先生、友里が生徒になる。高岡が1学年後輩で、4歳から11歳まで羽田バレエスクールで切磋琢磨しあう親友だった。過去形なのは、友里が、水難事故で、背中と足に重大な怪我を負い、バレエダンサーになる夢をあきらめ、高岡にさようならも言わずに別れたからだ。高校で再会し、ひと悶着後にまた親友となり、落ち着いて、1年。
友里が、おさななじみの女子、駒井優とお付き合いしていることを高岡は知っている。
呼び出されたファミレスに、なにも言わず駒井優が同席していることに、端正な顔立ちの眉を片方だけ上げて、怒っているように見えるが、優は麗しく涼しげな顔で、そんな高岡の様子を楽しんでいるようだった。そういう友情関係なのだろうと、友里は持ってきたばかりのオレンジジュースをひとくち飲んだ。
「屋内プールに行きましょう、友里」
「え」
「今日のレッスンは、それよ」
「ええ、だって今日は、傷が隠れるか、ドーランを塗ってみるって話だったんじゃ」
「予定は変更されるものよ」
「高岡先生~」
水が怖い友里は授業のプールに参加したことがない。高校も、プールの授業がないところを選んだ。「もちろん慣れたいとは思っているけれど今ではない」というような言葉でやんわりと断った。
「友里、でも温泉は好きでしょ?温水よ。水に浸かる必要はないの。かわいい水着を着て、焼そばを食べたり、たこ焼きを食べたり、甘いスムージーを飲んだり。本物の自然だと、危険がいっぱいだけど、人工太陽の下、注意していれば、そこまで危なくもないわ。一足早い夏を、楽しむだけ」
ファミレスの大きな窓には、しとしとと雨の降る梅雨空が映っている。高岡は、友里にかわいいラッピングを手渡した。
開けて見ると、水着だった。
友里は息をのんで高岡を見上げた。
「見た瞬間、友里だ、って思ったの」
高岡の気持ちが嬉しくなって、友里は頷いた。
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「で、あなたも来たのね」
短パンとキャミソールのレンタル水着に着替えた、駒井優を見上げて、紺色のワンピースを着ている高岡は強めのため息をついた。
「友里ちゃん、大丈夫かな、先に行っててって言うから、素直に従っちゃったけど」
優は高岡の嫌味な溜息など、どこ吹く風で、更衣室に置いてきた恋人の心配ばかりしている。
「やっぱり、怖かったのかしら」
「迎えに行ってこようかな」
心配性の優に、高岡が肯定して、優がまた更衣室に戻ろうとすると、水着に着替え終えた友里が優と高岡に手を振った。
水着はベージュ色の生地に黒い水玉のオフショルダーで、全体的に大きく膨らんでいて、黒い短パンが全体を引き締めている。真夏の街中であれば、普通に洋服として着ている人もいるような様子だった。友里は2人に駆け寄ると、くるりと背中を見せた。
「どう?」
優と高岡は、にこりとほほ笑んで首を横に振った。
「全然、全部隠れてるわ、友里」
高岡が言うと、友里はジャンプをするように軽やかに高岡に近づいた。
「脱毛しててよかったあ」
「心配はそこ?」
くすくすと笑いあう。サプライズの危うさを高岡が謝った。
高岡が友里の手を引いた。
「駒井優は、そこで荷物番よ。あくまで付き添いなんだから」
「はいはい、いってらっしゃい」
行く先をわかっているようで、優が有料で、3人分のスペースが確保されたパラソルの下にあるデッキチェアに腰かけて手を振った。黒いサングラスを付けて、華麗に寝そべった様子を、友里がぽっと頬を赤らめて見つめる。高岡は(何度惚れ直すのよ)とあきれ顔で友里を見やる。
「今日はダイエット解禁でいいわよ」
「わ!うれしい」
友里は行く先をようやく理解して、高岡と手をつなぐ。屋台に買い出しに出かけた。焼きそばとタコ焼き、それから寒がりの優のために暖かい紅茶をひとつと、自分たちにピンクとオレンジのスムージーを注文した。ドライフルーツとナッツのセットがあったので、それも頼む。
「優ちゃんほっとくと、甘くない水分しかとらないから」
「ガリガリだものね」
健康的な体のふたりは、背が高く全体的に薄い優を思い出して、くすっと笑った。
「友里ってば、彼女、してるわね」
高岡に言われて、友里は一瞬、赤い顔になって瞬きをパチパチとした。
「あ~~、そういえば、ヒナちゃんはさそわなかったの?」
会話を変えようとした友里の言葉に、高岡は目を丸めた。柏崎ヒナは友里の友達で、先日、高岡は一緒にこの屋外プールに来たばかりだった。
「どうしてヒナの話?今日は友里とだけ遊びたかったのよ、それを駒井優が邪魔して。あなたの彼女じゃなければ、遠慮してもらうとこなんだから」
「あはは、ごめんねえ」
「過保護なのよ」
ヒナが、高岡に片思いをしていることは内緒だが、もしもヒナも参加できていれば(ダブルデートになっていたのにな)と、友里は思った。先に行っておいてくれれば、根回しが出来たのにと、友里は(やはりサプライズはよくないな)と思った。
「それにしても、水着、良かったわ。売ってる時から、気になってて。思い切って買ってよかった!」
「すごい気に入ったけど、無理しないでね」
「ほんとはね、隠さなくても良いって思うんだけど」
「……でも」
「周りの人が気にするから、でしょう?」
友里が小さく頷いて、高岡がにこりと笑った。
「私、これでもアルバイトしているのよ、誕生日プレゼントよ」
気を取り直したように、高岡が話を戻す。一か月前の友里の誕生日には、白地に色とりどりの花が描かれたスマフォケースをプレゼントしたはずの高岡に、友里が目を丸めた。
「何年分先払いされちゃったのかな。高岡ちゃんの誕生日には、なにを贈ろうかな!?たのしみにしててよね」
11月27日に迎える、高岡の17歳の誕生日に予約をして、友里はパッと顔を明るくほころばせた。
「あなた受験中じゃないの?合格してからでいいわよ」
「今月の初めに、AO出願できたから、今が、受験中なの。来週面談だよ!夏休み前か、9月には決まっちゃうかもなんだよね!」
「浮かれてて、落ちたらどうするの、他のところも受けるんでしょ、しっかり勉強しなさいよ」
「高岡ママ~~!」
「誰がママですか!」
しかし友里は商業科でも成績が20位から落ちたことがなく、服飾の腕前もあるため、やる気があると認められて落ちるとも思えず、高岡は安堵のため息を落とした。
「でもそれまでに、恋人とか出来たら!そっち優先してね」
「あはは、ないない」
友里は、ヒナにどこまで協力すべきか迷っていた。片思いが成就した後、片思い時期に自分が奮闘したことも、恋人同士の語らいの一端になっていたりすることが、わかっていた。自分が、ふたりの思い出に介入することは、良くないと思った。
もちろん、気持ちが成就したら、なのだが。
悪い方向は優が考えてくれるので、友里はあまりそちらを考えないでいた。
「ねえ、もしも水に慣れたら……海はどう?今年の夏。ほら、ヒナのお家で遊んだときのみんなと。あ、他の人は受験かしら」
高校2年生の高岡は、3年生の友里たちを気遣ってそう言った。ふたりで遊びたいと言いつつ、大人数のお出かけのような口ぶりに友里は微笑ましく笑った。
「1日だけと決めたら、いけそうだけど!」
ホッとしたように微笑む高岡に、友里はピトっと張り付いた。
「なあに」
「だって、来年だとわたしと遊べないと思っているんでしょ!」
「だって……!そうよ、私のために東京から帰ってくる友里とか、想像できないもの!」
「ひどいなあ、親友だっていってるのに~」
甘えたような口ぶりの友里に、高岡は解せない顔で、しかし友里を引き離すことはなく無言で、ぐりぐりと腕に甘える友里の好きにさせた。
「いつだって、呼びつけていいんだよ」
「……友里のほうから、も、誘っていいのに」
「!」
友里は驚いて高岡を見やる。
「あ~~、そうだね!!ほんとだ。わたしってば、そういうところが信用ないんだろうな!?」
友里が言うと高岡はくすりと笑った。
「まあこれからも、友里に期待なんか、しないけどね!どうせ駒井優が1番だもの」
「なによう」
くすくすと小さく笑っていた高岡がついに噴き出して、友里の手を握った。
出来上がった商品を持って、優の元へ帰った。デッキチェアに座って、長い足を持て余している。友里たちがたどり着く前に男性に声をかけられ、やんわりと断ったのだろう、紳士的に男性も去って行った。
「優ちゃんが、男の人にナンパされてるなんて!」
「……友里、ショックよね」
「やっぱ優ちゃん、学校から出ると明らかに全人類に秀でちゃう……!!美が!!」
「そうね、そうだったわ、心配した私がバカだった」
高岡は、あきれ顔で、優の心変わりの心配などもしてない友里の顔を見た。
デッキチェアのそばの丸いテーブルに買ってきたモノたちを並べて、友里はご満悦で、どれから食べようかと品定めをしている。
優がサンドイッチを貰い、紅茶を受け取ると、友里をまじまじと見つめた。
「水着、よく似合っているね」
「ありがと!でも、初めて着るタイプの水着で、着方がわからなくて……あの、下に、結構……紐?みたいな水着を着るの」
友里は、たっぷりのドレープが入ったオフショルダーの中身を、ちらりと優に見せた。
「!!」
優はサッと目をそらし、友里に封をするようにバスタオルをかけ、赤い顔で戸惑った後、プレゼントをした高岡を見た。高岡は、怪訝な顔で優の仕草を見た後、隣に座る友里を見た。高岡が友里の中身を覗き、目を見開くと、優を睨みつけた。
「あなたねえ……!」
言うや否や、高岡は友里を連れて更衣室に逆戻りした。
友里が着ている水着は、上に着ているものを脱ぐと、チューブトップのビキニタイプの水着になる。着る際に胸パットを仕込むもので、友里はビニール包装されたままのパッドの存在に気付かず、胸にただ薄く細い布をつけているだけになっていた。中でヒモ状に食い込んで、あわや胸が零れ落ちる寸前だった。
しばらくして、赤い顔の友里が戻ってくると、優の腕に顔をうずめた。
「わたしってば、はしたないものをお見せして」
優に見てもらったものを、反省しているようだったが、優は普段よりも少し赤い顔で小さく首を振って、なにも言わず友里の頭を撫でた。
「高岡ちゃん、ありがとう」
優がお礼を言って、高岡は眉をひそめる。
「友里から貰ってるからいいわ。水に入る前でよかった」
優はさきほど見た光景を思い出しすこしだけ顔を赤くした。
「友里が先に行っててって言ったときに、気を利かせて、水着を確認すれば、よかったのよ、さすがに着替え途中の更衣室に入れるのは、恋人くらいでしょ」
「それは、確かに。ごめんね、友里ちゃん」
「優ちゃんのせいじゃないよ!?」
赤い顔で、反省する友里に、優が真剣な顔で言った。
「もしかして、水に対する恐怖を、自分の中で整理したい時間かなと思って」
「あ、そうか……ありがとう」
友里は、ぽうっと頬を染めて、優を見つめた。その様子を、冷めてしまったホットスナック類と同じ顔で高岡がみやる。
「私、すこし泳いでくるわ」
高岡が、そう言って席を立った。友里も一緒に行こうとしたが、足がすくんだ様子を見て、高岡が微笑んだ。
「日焼け止めでも塗っておいて」
UVカットクリームを手渡され、友里は優の横に座った。高岡は、1km泳げるプールへ軽やかに向かっていく。
「わたしは、もう日焼け止め塗ってあるから、友里ちゃんに塗ってあげる」
そう言われて、友里は優に背中を取られた。ドキドキと心臓が鳴って、優に聞こえそうで、友里はうつむく。
「本当に、傷が上手に隠れているね」
「そうなの?嬉しいな」
ぬるりとクールな質感のクリームを塗られて、友里はぴくりと震えた。
「きっと泳がないと、友里ちゃんが気にすると思って、高岡ちゃんはプールに向かったんだろうな」
「……そうかも。ほんとイイコだな」
「羨ましい。わたしも、彼女みたいに友里ちゃんを大事に、親友になりたかった」
「優ちゃん?」
友里が問いかけるが、優の表情が見えず、指先だけが背中を走っている。性的な触り方を感じて、友里は震えた。むずがゆくなって、胸を抱きしめるようにうずくまる。
「優ちゃんが親友じゃ、わたしがイヤ」
「……」
「だって特別な、好き、だから」
優の反応が全く感じられなくなって、友里がドキドキとする心臓をおさえた頃、ようやく優が、口を開いた。
「好きだよ」
「んっ」
背中の弱い部分に柔らかなキスのような指の感覚を感じて、友里は喘ぎ声をあげた。慌てて唇をおさえて、振り返ると、優にしっかり聞かれたようで、驚いた顔をしていた。
「ち、──違わないんだけどっ」
「せめてそこは、否定してよ」
優が苦笑すると、友里は手のひらで顔を扇いだ。
「だって優ちゃんが、えっちなさわり方をするから」
「してない」
「したもん、ちょっとこう……」
言いながら友里は、優の太ももに実演して見せた。優もビクリとして、「あはは」と笑いがこみあげてしまう。
「ほんとだ」
「ね、ちょっと声が出ちゃうでしょ、今のは、わたしだけのせいじゃないんだから」
普段からすぐに声をあげてしまうことを気にしている友里は、照れておかしな行動をしていると思いつつも、優の足の間に入って、体をまさぐるようにクリームを塗りたくった。
「友里ちゃん?!……っ」
「どう?まいった?」
「まいった、まいったから!」
優に抱き着く形で体でぬるぬるとクリームを塗っていると、気配を感じて友里は顔を上げた。そこには泳ぎ切った高岡が仁王立ちで立っていて、友里は赤い顔で優から起き上がった。
「駒井優が悪いわ」
「わたしかなぁ?」
優は解せない顔で、高岡にタオルを渡した。
「学校の人たちがいたらどうするの、友里」
「!」
一応友里にもくぎを刺して、反省を促す。(高岡ちゃんは、上手だな)と優が小さくつぶやいて、高岡ははぁとため息をついた。
「あの、足だけ、水につけに行っても良い?」
友里が、グッと握りこぶしを作って、高岡に問いかけた。
優と高岡は、一度顔を見合わせて、友里を見つめた。「もちろん」と微笑みかけ、友里の両側から手を握った。
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日曜日夕方、居候している駒井家に戻ってきた友里はぐったりと自分用のベッドに座ったつもりだったが、次に友里がぼんやりと目を開くと、優はふたりの水着を洗い、干して、パジャマに着替えていた。1時間ほど、眠っていたことに気付いて友里はハッとした後、優に謝罪と感謝をした。
優が隣に腰を掛け、友里の肩辺りに手を置いた。
「優ちゃん」
すりとその手を自分の顔の付近に持って行き、なでなでと頬を当てると、優がすこしだけ言いづらそうな顔をして、それから口を開いた。
「今度、わたしからも贈らせてね。水着」
「一緒に買いに行こ」
「うん」
優が柔らかく友里の頬に手を添える。手のひらが暖かく、そのままこてんとまた、ベッドに埋もれた。
「すこしだけ、水こわいの、克服できてうれしい」
言うと、涙があふれてきて、友里は枕に涙を隠した。
「おめでとう、友里ちゃん」
柔らかな優の声と、頭を撫でる手のひらにうっとりとしつつ、友里は気怠くも爽やかな疲れに身を任せ、そのまま朝まで熟睡した。
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