第4話 ごほうび

 柏崎写真館、居間。友里はこわごわとビューラーを瞼に持ってきた。痛みを感じて、目を抑える。

「真帆さ~~~ん」

 友里が涙声で、髪を緩くまとめあげた、ピオニーの香りがする女性、羽二重真帆はぶたえまほを見上げると、よしよしと背中を撫でてくれた。真帆は友里の肩を抱いて、胸に寄り添わせ抱えると、ビューラーをそっと友里の瞼に当てた。友里も、真帆に身を預ける。


「友里ちゃん、そっと瞼をとじてみて」

「こう、ですか」

「そう、ふるえないで、力を抜いて」

「……むずかしいです」

「大丈夫よ、痛くしないから……そう。力を抜くの、上手」

「ン……!」


 6畳の大黒柱に寄り掛かり、そのふたりの様子をぼんやりと見つめながら、3月の節句のお餅を食べている柏崎キヨカは、平然とした様子の駒井優をみやった。


「……あの空間、えっちじゃない?優さん」

「キヨカさん、思うことは自由ですが、2度とわたしに言わないでください」

「恋人が!恋人の痴態を!感じなくてどうする!!」

「やはり骨格が似てるな、ぐらいしか思ってないです!」

 言い合うふたりの間に入って、(やっぱり両想いってバカになるなあ)と思いながら、柏崎ヒナが緑茶を出した。

「真帆も友里も、その辺にして、おちゃでもどお?」


 高校2年生の春休み、荒井友里は羽二重真帆にお化粧の仕方を習うため、同級生の柏崎ヒナの家、柏崎写真館にお邪魔していた。幼馴染で恋人の駒井優も一緒に荷物を持ってくれるというので、自分が持っているお化粧品をすべて持参して、真帆の前に並べた。おもちゃのようなアイシャドウやリップに真帆が喜んだ。


 下地に黄色と紫色のオールインワンジェルを塗っただけでも驚いたというのに、さらにルースパウダーを撫で、少しだけ眉毛を書き足しただけで友里の肌はきめ細かくなり、感嘆の声を上げる。


「学校には、このぐらいのお化粧でいいんじゃない?このオールインワンゲルは日焼け止めも入ってるし、汗にも強いし、こっちのパウダーでお化粧直しね。眉毛は絶対パウダー後に、眉マスカラ。ビューラーでまつ毛は軽く上げるだけでいいよ」

 化粧道具や下地、粉物にブラシを友里にぽいぽいと渡して、「全部あげる」というので、友里が恐縮する。

「もちろん、友里ちゃんが買いたいなら、そっちもおつきあいしたい!けど、今回は、何個も持ってるからいいよ」

「なぜ、もってるんですか?!」

「美の前では、人は無力なのよ」

「……???」


 キヨカがくすくすと笑う。

「真帆はコスメが好きすぎて、良いって聞くと思わず買っちゃうんだよ、もう決まってるモノがあるのにさ。だから家の在庫処理だと思って、貰って」

「そうなんですか?」

「コスメ好きが高じて、ライターからアナウンサーになったようなものだからね」

「え!」

 友里は新品で光り輝くメイク道具と真帆を交互に見る。

「そうなの、インタビューをお願いしているうちに、動画を公開するようになって、それがきっかけで小さな放送局、最初はラジオのお仕事から」

 言いかけて、友里がソワソワとするので、真帆はくすりと笑ってから、声を作ってラジオの時代のCMの声をワンフレーズ、歌う様に言った。

「!!聞いたことあります!!」

「うふふ、全然声、ちがうよね」

 友里が、真帆に心酔していくような気がして、優がそわりとすると、真帆が優にウインクをした。(安心して)という仕草だったが、今度はキヨカに火をつけたようだった。

「ふたりで、イミシン!」

「子どもみたいなこと、いわないの!」

 真帆は、キヨカのおでこを軽く叩いて、ムッとなっているキヨカの額にキスをした。

「はい、これでいい?おとなしくしてて」

「……はい」

 真帆に片思いのように頬を染めるキヨカだが、ふたりは付き合っていて、事実婚と同等の暮らしをしている。


 ::::::::::::::



 友里と真帆は、うるさい恋人たちを部屋から追い出し、ふたりきりでメイクの指導を続けた。

「ダイタンですね、真帆さん!」

 頬を赤くして、友里が言うと、「そう?」と真帆が言う。

「キヨカは態度で示さないと。まあ、むくれられて、夜にしつこいのが面倒なだけっていうのもある」

 友里は「夜」の意味深な言葉に、ポッと頬を赤らめつつ、「態度かあ」とリフレインした。女性の恋人は、友里の友達の岸辺後楽にもいるが、普段のなにげないスキンシップを目の当たりにしたのが初めてで、友里は興味津々だった。

 出来れば、優とも、自然な態度でキスやそれ以上をしてみたいが、いちゃいちゃというより、スグにそういう方向に突入してしまうことを、すこし悩んでいた。


「優も、態度で示さないとむくれるでしょ?」

 あっさりと、優のことを聞かれ、友里は面食らった。真帆と優は、お互いに契約上の恋人だったとはいえ、いわゆる、元カノというやつだ。真帆は、保護者のような立場で、優のシェルターになってくれていただけだが、優のことをきっと知り尽くしているのだと思い、友里は言葉に詰まった。


「優ちゃんは、どうだろう、ええっと、今は、結構言葉を、大事にするかもです」

「そうなんだ」

「言ったことを、ちゃんと覚えててくれたり」

「確かにそうね、記憶力が、イイ!」

 友里は、心なしかソワっとしつつ、真帆の言葉にうんうんと頷いた。

「あ、あんまり、昔の話って言わないほうがイイ?気になるかな」

 真帆がハッとして、友里に謝罪した。友里は心の居心地の悪さの正体を、真帆に暴かれた気がして、手を振る。


「いえ!その頃ってあんまり優ちゃんと、お話してないんで、うれしいです」

「そうなの?」

「中1まで、わたし、背中の傷のリハビリをしてて、優ちゃんが毎日お迎えに来てくれたり、いつも一緒だったんですけど、歩けるようになって、元気になったら、優ちゃんぜんぜんそばに来てくれなくなって」

 友里は小学5年生の春休みに川に落ちて、半死半生の怪我を背中と足に負った。優と家族の献身的な介護のおかげで、後遺症もなく生活をしている。


「あら」


「高校が一緒になって、ようやくお付き合い出来て、ずっと一緒にいてくれるようになった感じなんです」

「へえ……!初恋で唯一なんだ。そうはいっても、平然とそばにいるものだとばっかり思ってた……。そっか、わたしのアパートに泊ってた間は、友里ちゃんから意識して離れてたってことだもんね」

 真帆が、真剣な顔で言うので、友里は目を伏せた。優から、友里にふれることが「罪」だと思っていて、離れていたと聞いていた時期だ。

「友里ちゃんが好きすぎたから、優は。あなたしか、見てなかったから、苦しんでいて。……それでも、わたしにやさしくしてくれてたの。安心して、年齢がわかってからは触れてもいないわ」

 友里は、小さく首を振った。

「ううん、ちゃんと真帆さんを、好きだったし、真帆さんがいて、今の優ちゃんになってるんです」

「……、友里ちゃん」

「過去も、全部あって、お付き合い出来たから。だから、真帆さんの口から、優ちゃんがイイコって聞けて嬉しいです」

 真帆の瞳を見て、凛々しく友里が言うので、真帆は感極まって、友里を抱きしめた。


「友里ちゃん、ほんとうに、だいすき」

 鈴のような真帆の声で言われて、友里は面食らった。目の前に、ヒヨコが飛んでいるようになる。友里はただでさえ、美しい女性が好きだ。元アナウンサーの美しい女性に言われて、ときめかないわけがない。


「ほんっと、優は似てるっていうけど、見た目だけだわ」

 真帆が唸るように言うので、友里は慌てて首を振った。

「真帆さんみたいに素敵な人に、似てるって思われるの嬉しいです」

 友里が言うと、いたずらな瞳で、真帆が友里をじっと見つめた。


「やってみる?」


 真帆にコソコソッと提案を耳打ちをされ、友里は目を剥いた。


「そんなの、どっちも恥ずかしすぎます!」

「悪いこと言う口は、ふさがないと」

「……!」

 真帆は艶めく唇に人差し指を当てて、それから友里の頬をその指でつついた。友里は赤い顔できょろきょろして、助けを求めたが、この部屋にはふたりしかいない。


「まあまあ、絶対大丈夫だから、やってみよ!」

 恋人たちの待つ客間に、同じ身長のふたりは立ち上がった。どうせならと、真帆はお揃いのワンピースを友里に着せて、ついにふたりの双子コーデは完成した。


 ::::::::::


「!」

「!!!」


「な、なにそれ!」

 ふたりの恋人は黙り込み、ヒナだけが大きな声を上げた。

 そっくりな様子の友里と真帆の登場に、思わず立ち上がって、キヨカはふたりの周りをくるくると回った。

「身長も同じ!髪型も!!わ~、すごい、姉妹みたい!」

「ふふ、でしょう?かわいい?」

「かわいい!ふたりとも」

 キヨカと真帆はすっかり友里を自分の子どものようになでなでと撫でている。優は、つかつかと3人の元へ来た。


「お化粧をおしえてとお願いはしたけど、友里ちゃんで遊んでなんて言ってないよ」

 優にシビアな声で叱られた真帆は、肩をすくめる。

「でもどう?ご感想は?」

「……」

 友里が、2枚のつけまつげの向こうから、蜂蜜色の瞳を向けて、ドキドキと優を見上げる。唇はいつもよりもポッテリとしていて、鼻も高く見える。丸い目は、妖艶に細くなっていて、柔らかな頬もバラ色で、シャープな印象だ。優は困った顔で友里を見つめて、はあとため息をついた。

「友里ちゃんは、気に入ってるの?」

「え、えっと、大変身」

「……、綺麗だけど、いつもの友里ちゃんを、輝かせてほしいな」

 優が言うと、真帆と友里は顔を見合わせた。真帆が、深く頷く。


「はい、正解」

 真帆に言われて、優は「え」と小さく声を漏らした。

「優はこういうとこ、ちゃんとしてるのよねえ、残念!キスが見れると思ったのに!」

「え!?」

 優が狼狽える中、キヨカを見て真帆はため息をついた。

「優が、わたしに似てて可愛いって言ったら、お仕置きで唇に濃厚なキスをしてもらうことになってたの!正解したら、ほっぺにキス!」

 真っ赤な顔で俯く友里を、優は狼狽して見つめた。キヨカが、真帆と友里に対して慌てて叫ぶ。

「まるでわたしが、ちゃんとしていないみたいじゃない」

「キヨカは、わたしが好きだから、いいのよ」

「じゃあキスだ!」

「だめ!あとで!!」

 優は真帆とキヨカのいちゃつきを後目に、真帆に一言文句を言いたいような顔をしたが、ため息をつくことでごまかした。



 :::::::::::::::::::


 自宅へ帰り、友里の部屋に、少しの時間だけ優が寄り道をした。

「きょうはありがとうねえ」

 すっぴんの友里は、真帆にごっそりと貰ったメイク道具やコスメを、ただでさえ全て収納してしまう部屋のどこにしまおうかと悩んでいると、優が、ツンと袖を引いた。

「ほっぺにキス、してくれるの?」

「!」

 そんな約束だったことを思い出し、友里は「うん」とベッドに腰かけている優の横に座った。

「ほんとは、あの場所でしてね、って言われてたんだけど、キヨカさんが騒いでくれたから、なあなあになってよかったね」

「……ほんとうだよ」


 優が言いながら、そっと友里に甘えるように体を傾けた。よほど、してほしいようで、友里はくすりと笑った。

「ちゅ」

 声に出して、頬に口づけると、優が小さな声で「ありがとう」という。

「なあにそれ」

「言いたい、お礼を」

 普通のキスよりも恥ずかしくなって、友里も「お粗末様でした」と言った。


「お化粧って、色んな可能性があって面白いね」

「お化粧にはしゃぐ友里ちゃんがかわいいよ」

「ありがとう。てっきりね、なにしてもかわいいヨ!って褒められるかと思って、ドキドキしながら、行ったの」

「ああ……そっくりになるなんて、悪ふざけが過ぎるけれど、真帆が友里ちゃん自身に自信をつけさせようとしたんでしょう?まったく……考えが強引なんだよ、昔から」

 優はあの場を思い出して、もう一度ため息をついた。


「……真帆って呼んでる」

「ん?」

「ううん、なんでもない」

「気になる。呼び捨てないほうがいい?真帆さんって呼ぼうか」

「優ちゃんが、敬称なしで呼ぶの、気安く感じる」

「友達はみんなそうだよ、重義とか……」

 吹奏楽部の男子たちの名前を言うので、友里は(そういう意味ではない)と唇を尖らせた。友里にとって、気安さは愛情の上の方に鎮座していて、優が、他人には程よく冷たく、友里にだけ見せる包み込むような暖かな愛情は、少しだけ友里に疎外感を与えていた。安全な籠の中で、自由に飛び回る鳥を見るような気持ちだ。


 頭の中の真帆が、(悪いこと言う口は──)という。


「だから──っゆ」


 優の唇をふさいで、ベッドに押し倒した。

「り……ちゃっ」

 まだ何か言おうとしているので、友里はそのままぐいぐいと唇を押し当てる。頬を掴んで、チュッとリップ音が鳴って、優がぼんやりとするまでキスをやめなかった。


「友里ちゃん……」

「おしおきなんだから」


「……ごほうびのまちがいでは……?」


 呆然としてるせいか、まるで頭の中の言葉を優が言うので、友里は「あれ?」と言った。どんなに似せても、真帆のようには、なれないと思った。


「優ちゃんの大切な人の中にいれてほしいだけなの」

「でも、わたしにとって友里ちゃんは、唯一無二だよ」

「うれしいけど!!!そろそろ呼び捨てでいいのに。じゃあ、ふたりきりの時──、そうだ、キスしたい合図とか!」

「よけい恥ずかしいよ」


 友里がふざけると優が照れた声で言うので、友里は(ユウチャンカワイイ)と思いながら、優の胸に顔をうずめた。

「友里ちゃんも、優って呼んでくれる?」

「ううん、わたしは仲良しの人はちゃん付けだもん。仲良しの人を呼び捨てにするのは、優ちゃんでしょ」

「……ずるい」

 ドキドキと早まる優の心音を聞きながら、友里は優から目をそらしている。


「友里」

 熱っぽい優の声がして、友里はパッと顔を上げた。

「……っ」


「友里……」

「わ~♡」

「友里……、キスは?」

「!」

 友里はハッとした。自分で言っておいて、名前を呼んだら口づけをするというふざけた条件を、ふざけていたせいで、本気にされるとは思わなかった。

「冗談だよ」

「友里は、そういう冗談をすぐ言うよね」

「……恥ずかしいって言ってたくせに!」

「どんどん増えちゃうよ、友里」

「~~~~!!!」

 (からかうのはこのくらいにしとこうかな)というような顔で優が微笑むので、友里は恥ずかしく思いながら、ちゅっ、と、呼ばれた分の軽いくちづけをした。最初は驚いたように身をこわばらせた優だったが、名残惜しいような表情で、優がしばらく瞳を閉じていたので、利子のように頬にも口づけをした。


「やっぱり、わたしにはご褒美に感じる」


 優が真剣な声でつぶやくので、友里は照れて頬を掻いた。

「友里」

 まだ熱を帯びた声で、優が欲しがるので、友里は困ったように優から数センチ離れた。


「~~!もう今日の分は、おわり!」

「なんで、友里」

「優ちゃんいつもそう!始まると大胆!」

「だって、友里からしてもらえるの、嬉しい」

「……!ユウチャンカワイイ!!!」

 友里は鳥のように鳴いて、すぐ負けた。優が満足するまで口づけをして、ふたりで笑いあう。


 それから、友里からのキスが欲しい時にだけ、優が思いもよらない場面で呼び捨てをするようになったので、友里のほうが照れて、優に呼び捨てを求めることが減った。

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