第13話 金曜日

 7月の金曜日。

「今日もお疲れさま、友里ちゃん」

 駒井優は、予備校の課題をパタリとたたみ、アルバイトの疲れを入浴できれいさっぱり流してきた荒井友里にそそと駆け寄り微笑んだ。友里は、ほこほこの体で、15cm背の高い優に抱き着いた。スズランの入浴剤の香りが漂って、優はドキリと心臓が揺れた。アルバイト先であった諸々を友里から聞きながら、ベッドに腰を掛けて、優は友里を膝に抱いた。後ろから抱きすくめて、友里の乾かしたばかりの柔らかな髪に埋まる優は、幸せを感じて胸が暖かくなった。


「ん?」

 友里が、くるりと振り替える。優は慌てて首を横に振った。

「あ、ため息じゃないよ、幸せで、どうにかなりそうで」

「ユウチャンカワイイ」

 小鳥のように友里が鳴くので、優は苦笑した。優にとっての幸せの全ては友里だというのに、いつもまるで優の手柄の様に言う。


「あのね、優ちゃん」

 友里が言い淀む癖をだした。髪を両手で握って、優を上目に見つめる。今日は金曜日で、13日の金曜日と言えば有名なホラームービーがあるが、呪いの日ではない。優にとっては、友里を心置きなく抱きしめられる日で、友里のバイトからの帰宅を、今か今かと待ちぼうけていたこともあり、優は今更なんでもないことだと、友里の言葉をまつ。いつも何か突拍子もないことを言い出す友里だが、友里にとっても、心置きなく抱きしめ合えるのは金曜日と決まっているので、(なにか、嬉しい発表かな?)と、どこかワクワクとした気持ちで、優は友里を見つめた。


「優ちゃん、毎日、明け方にちょっとだけわたしの体をさわるの」


「!?」

 あまりにも予想しなかった言葉に、優は目を丸めた。

「もしかして夢かなと思ってたんだけど、月曜日から、今日まで」

 優には身に覚えがなかった。一緒の部屋に住むようになってから、区切りをつけなければ、いつまでも「そういうこと」をしてしまうことがわかったので、友里と愛し合う日は週末のみと決めていたので、言葉を失う。友里が続けて言う。

「いつもよりゆっくり目のキスとか、腰とか耳を、さわさわして……わたしが起きて、身をよじると、頬にキスしてやめちゃうの。だからわたし、ちょっとだけ毎日寝不足で」

 照れながら伝える様子に、優は胸がばくばくと音を立てた。夢うつつのことだが、優は青くなって赤くなった。


「ごめん、じゃあ今日は早く寝る?」


 優は、金曜日のこの日をとても楽しみにしていた。しかし、前借のように友里の体を好きにしていたというなら、それは返済しなければいけないのではと思った。


「ううん、謝ることじゃなくて」

「謝ることだよ、友里ちゃん。平日は別々の部屋で寝よう」

「そういう意味じゃなくて!」

 友里が少しだけ強めな語気で、優の謝罪を遮った。

「その、だから、最後まで絶対してくれなくて、わたし、その、今週はずっと……む」

「ムカついて?」

「ムラムラしてて!」


「!」

「実際、恋人ならえっちまでいかないけど、多少のスキンシップはみんなしてると思うの。わたしが慣れないとって思ったんだけど」

「……?」

「でも、全然慣れなくて、すぐ変な気持ちになっちゃうし、か、か、体が火照るし!!優ちゃんがさわったあと、すぐに寝ちゃうから、ひとりでチャレンジしてみようかなとも思ったんだけど、優ちゃんのする仕草とは、全然ちがって」


 友里の言葉に、優はグッと息を飲んだ。眠る自分の横で、とんでもないチャレンジが毎日開催されて、頓挫していたことを知った。


「だから、その、もちろん軽いスキンシップの練習もしたいんだけど」

 友里が髪をモジモジと触って、目をつぶる。先のセリフを察知して、優はドキッとした。優は、友里が懸命に、おかしなことをしていた自分を、誘ってくれているようだと気付いた。

 友里はそして、座る優の肩にコテンと横たわると、上目遣いに見つめた。少しだけ胸を寄せて、谷間をみせているところを見ると、精一杯のお誘いポーズを考えたようで、優は、意味にはドキリとしたが、いつもそのおすまし顔に、申し訳ないが、苦笑してしまいそうになる。普段の友里の方が、よほど優を誘っていることに、友里はまだ気づいていない。


「──今夜はいっぱい、しよ」


 しかし、真っ赤な顔でおねだりをする友里に、優は、しっかりと悩殺された。言葉も発せず、友里の耳を撫で、指を追いかけるように唇の先で撫でた。


「あっ」

 優は友里がなにかを思い出して言いかけたのかと、友里の顔を見つめたが、優の唇が耳に触れただけで、喘いだらしい友里は、まるで胸に弾丸を浴びてよろけるように、たじろいだ。体が斜めになって、じわじわと赤く染まっていく友里を、優は抱き止め、ゆっくりと唇をあわせた。

「……ごめんね、優ちゃん、はしたなくて」

「わたしこそ」


 本人の言うとおり、友里はすっかり出来上がっていて、キスだけでとろけきってしまった。優はごくりと喉をならした。頬は熱いほど真っ赤に染まり、はちみつ色の瞳は潤んで一粒涙がこぼれた。唇は薄く開かれて震えている。いつものようにふざけた言葉が飛び出る気配もなく、悦びの吐息だけが漏れだしていた。


「ひとりでしてるとこ、見てみたい」

「えっ」

 とろけた体の友里は、優にして貰えると思っていた分、驚きで飛び上がった。優も思わず出た願望に、申し訳なさで頬が染まった。

「なんて、幻滅した?」

 友里がふざけない分、優が取り繕うようにふざけたような言葉で問いかける。けれどそのせいで、それを見せなければ優がしてくれないと思ったのか、そろそろと友里は手を胸においた。先端が硬くなっていて、優の目にも敏感な様子が分かった。

「……っ」

「ごめん、いいよ、からかいすぎた」

 優がおへそ辺りを触れるか触れないかの動きで触ると、友里はビクンと跳ね上がった。

「電気、消して、そしたら……み、みせる、から」

 友里の言葉に、優はリモコンをかざした。



 ::::::::::::::


「お風呂に入る?」

「ねむいから、明日の朝でいい……」

 友里が言うので、優は頷いて、友里の頬を撫でた。

「優ちゃん大好き、でも今日は、ちょっといじわるだったかも」

「……ごめんね、その、体を触るのも、無意識で」

「ううん、だからそれは全然……あの、わたしが、優ちゃんのベッドに入るからだし!」

「え、わたしが勝手に入り込んでるのかと思った」

ふたりのベッドはくっついてはいるが、独立したシングルとクイーンベッドだ。優の領域に友里が入ることで行為が発動していた。

「だから……」

 まだ言いづらそうに言いよどむ友里の額に優が、口づけをすると、友里はうっとりと優を見つめた。


「どこが一番好き?って、優ちゃんが聞いたけど」

「!」

 優は情事の最中の言葉を思い出して、思い切り照れた。


「優ちゃんの声が、本当に好き」

「声」

「甘くて、低くて、でも女の子で、特別。大好き」

 胸に、もぞりと友里が衣擦れの音を立てて擦りついて、優の胸がどきりと高まった。

「やさしいとこも、甘えんぼのとこも、キスも、好き……」

 そうつぶやいて優のあたりにキスをする友里の髪を、優はそっと手に取った。時折、耳に触れると、友里が困ったような赤い顔で、優を睨む。「だめ」と口だけでパクパク言うので、優はまだほんの少しだけ残る煽情的な部分を撫でられたような気持ちになった。


「優ちゃんが、いちばん好き。特別だから、優ちゃんだから、全部好きなの」

「……友里ちゃん…」

 我慢しきれず、優は友里を抱きしめて口づけをした。

「友里ちゃん、ずっと一緒にいてね」

 うっとりとキスの余韻を受けながら、友里がこくりと頷いた。優の胸におさまって、子猫のように体を丸めてスリスリと撫でた。

「うん」

「ほんと?」


 優と友里は実際、結婚しているような生活をしている。誰彼に言いふらすようなことはしないでいたが、つい先日ある事件で、「ふたりが付き合っている」という事実が学校中に知れ渡ってしまった。どこか半信半疑で、そわそわと見られている日々なのだが、これまで幼馴染であっても、遠巻きに見つめるだけだった友里は、堂々と優のそばに行こうと決心していた。


「もう高3の残りの学校生活ではね、優ちゃんのファンのみんなとも仲良くするんだ」

「かっこいいって言われても、我慢するの?」

「それ、もう脳内で全部「カワイイ」に変換できるから、大丈夫」

「ホントかなあ、またケンカして、大騒ぎにならないでね」

「うう信頼がない。今日だって王子がお花を生けたってきゃあきゃあいう子たちに突っ込まないで我慢し……」

 そこまで言ってから、なにか思い出したのか、優には報告せず、友里はウウと唸って、「や、やっぱ、よろしくお願いします」となにがしか、あきらめ気味に言う。優はくすりと笑った。

「名を入れないって言ったのに、入れるから」

 生けた花器の横に、自分の名前があったことに驚いた心情を吐露する優に、友里は先生のきもちはすごくわかると言いながら頷いた。

「優ちゃんが淑女すぎてかわいいから、どうしても宣伝したくなっちゃう!」

「可愛くはないんだけどな……相変わらず、鏡を見るとオバケのようで怖いと思うんだけど」

 少しずつ伸ばしている髪を、優はかき上げた。

 急に真顔になる友里に合わせて優も友里を見つめた。

「みんな優ちゃんがやさしくて、すごく努力家って知ってるから、好きなんだと思うよ」

「……ありがと」

「信じてないなあ?」

「信じてるよ、信頼してもらいたいから、努力してるもの」

「ほんとは泣き虫で、弱虫で、ズルいこともいっぱい考えてるから、そんなとこ知られたら嫌いになっちゃうかな?っておもってるの?」

「友里ちゃんは、もう……」

 優は友里を見つめた。にこりと笑って、優に抱き着くので、優もその頭を撫でた。


「ぜんぶ大好き」

 むくりと起き上がって、優を見つめると、髪を撫でる。友里の心を守るために戦ってくれたせいで出来た怪我は、まだうっすらと残っている。そっと避けるように、友里も優の髪を撫でた。

「友里ちゃんだけが、知っててくれたらいいよ。この顔でラッキーって思う」

 軽く言うので、友里が戸惑いがちに優を見つめた。

「この整った顔め~~!!!」

 頬をやさしくぐにぐにとされて、優はあははと笑った。

「でもね、わたしより、ほかの人のほうが、優ちゃんのこといっぱい知ってる気がする。幼馴染として、恋人としてなにか、特別なところがあったほうがイイんじゃないかな」


 ぽすりと優の胸にしがみ付いて、友里が項垂れるので、優は笑ってしまう。

「あはは」

「?」


 友里を嗤ったわけではなく、どこか自嘲気味な声だ。

「本人には、わからないものだな」

 優は、じれったい気持ちで、しかしそれはそうだと思いながら、友里を抱きしめた。他人がいる場所の優は、友里が思うよりもずっと冷淡で、友里には、最大級の愛を、暖かさを与えているつもりだった。冷淡なさまをひとかけらも友里には、与えたくない。


「逆にこんなに甘えているのは、友里ちゃんだけなんだよ。どうしたらこの気持ちが、ぜんぶ友里ちゃんに伝わるのかな?」

「伝わってる、伝わってるよ」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、少し左右に振られている友里は慌ててギブアップの要領で優をトントンと叩いた。


「ね、明日はなにする?」

 友里がどこかに出かけたい声で言う。優は今度は、友里を思う存分、甘やかしたくなってうずうずとしているので、その質問には答えられなかった。

「明日のことは、まだ考えられない。友里ちゃんをもう1度抱いて、それから考えてもいい?」

「……!」

 あまりにもストレートなお誘いに、友里は驚いた顔をして、一瞬ふざけた。

「まって、わたしも優ちゃん抱きたいかも!」

 ニコニコとするが、あくまで優は真面目な顔のままだ。

「いいよ、でもまずはわたしね」

 優が真剣に答えると、カウンターパンチを食らったように友里が胸をおさえた。


「だめだよ、朝までとかは~!」

「……」

「答えて!?」

 友里の悲痛な叫びに、優は真面目な顔を崩して、思わず吹き出した。無理をさせているのかと不安がよぎって、出来る限りのやさしさで愛したいと思った。

「じゃあ、抱きしめるだけにしよう」

 優がそういうと、友里は「え!」と大きな声を出して、もじもじと髪を撫でた。


「強引に、しても、すきだよ」

 友里がスイッチを押すように、優の胸をむいとつついた。期待に応えたい優は、にこりと笑った。



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