第30話 たぶん呆気なかったんだろうな
翌週、早くもテストが返って来た。
田島先生から成績一覧表を奪うように受け取り、席に戻るなり体で包むようにして確認する。
さて、どうなった――。
五科目合計の学年平均は二六九点。そして僕の五科目合計点は、二七四点だった。ほっと一息つく。なんとか学年平均は超えられた。これで塾通いを避けられるかな。
期末テスト後の学校は夏休みまでの消化試合のようなもの。たいして授業も進まない、ミニテストも課題もない。幸い僕も平均点を上回っていたので、放課後補習を受けずに済んだ。まったく気楽なものだ。
気楽、か。いつの間にか学校を気楽と感じていた。
以前は死にたいくらい辛くて逃げ出し、学校に怯えながら隠れて生きていたのに。今考えてみると、なぜあれほど恐がっていたのだろう。きっとあの頃は誰も味方がいなかったからだと思う。
夏休みを目前にしたある日、リョウスケが酷く落ち込んでいた。
「どうしたんだよ」
「聞いてくれよタイチ。この前テストの成績表を母さんに見せたんだ。そしたらゲーム禁止令だぜ。パソコンも没収されたからネットも出来ない……」
「ホントかよ。じゃあしばらくゲームにもログインできないんだな」
リョウスケは頬杖をついて溜息を洩らした。
「ケイタと二人で俺の分も頑張ってくれ」
こうして夜のオンラインゲームも僕とケイタの二人だけでプレイするようになった。時々リョウスケもケイタの家から参加していたが、たいていは僕とケイタだけだ。
少しずつ『ディープダンジョン』にも飽きてきて、僕もケイタもあまりログインしなくなっていた。
一人足りないとやっぱり寂しい。
終業式の日。
夏休みの宿題をたんまり貰ってホームルームが終わった。
田島先生は「身体には気を付けて、二学期も二年一組が無事に全員揃う事を願っている」とお決まりの台詞を言っていた。たぶん大丈夫だ。友達も出来たし、二学期になっても僕は来ると思う。
日直が号令を掛ける。起立、礼、さようなら。
この瞬間から夏休みが始まった。学校生活から一時解放されて長い休暇に入る。クラスメイト達は転がるように教室を飛び出してゆく。
リョウスケとケイタが僕の所へ駆け寄って来た。
「タイチはどの宿題から片付けるんだ」
「ええと、ホントにどうしよう……」
僕らは廊下を歩きながら、改めて科目別の宿題一覧表を確認する。目が回りそうになった。五科目のワークに加えて読書感想文や人権作文なんて物まである。
正門を出て散りぢりに帰ってゆくクラスメイト達。また全員と顔を合わせるのは一か月後になる。
みんなはどうやって夏休みを過ごすのだろう。
部活だろうか、塾の夏期講習だろうか、家族と海外旅行だろうか、中には彼女と遊ぶ奴もいるのだろうか。さて、僕はどうして過ごそう。
僕は途中までリョウスケとケイタと一緒に帰り、スーパーの前の交差点で別れた。
「じゃあなタイチ。また三人で電気屋街に行こうな」
「うん。また携帯にメールしといてよ」
リョウスケ達の背中を見送る。僕は一人になった。
眩しい真夏の太陽が肌を焦がす。少し前まで情けないくらい生白かった僕の腕もずいぶん日焼けしていた。たぶん体育の水泳のせいだ。
今から帰っても一人だ。友達との約束もないし、そうかと言っていきなり夏休みの宿題に取り掛かる気にもならない。寄り道でもして帰ろう。
僕は駅前の商店街に立ち寄った。商店街と言っても、都会のみたいなアーケードなんてない。ただ八百屋やパン屋など小さな店が並んでいるだけの通りだ。
僕は本屋の前で立ち止まった。
そういえば今日は――。
自動ドアが開くと、冷たい空気が僕の汗を引かせた。店内はエアコンが効いていて快適だ。
僕はまっすぐマンガの書棚へ向かう。平積みにされた新刊コーナーに僕の探していた物はあった。
『ライジングサン』の十一巻。
今回で完結らしい。今までずっと楽しみにしていただけに完結と聞くと寂しい。
マンガを買って家へ帰ると、やはりまだ誰もいなかった。
今日は午前中の終業式だけで終わったので、そう言えばまだ昼を食べていない。何か食べる物はないかと冷蔵庫を開けると、コンビニの冷やし中華が入っていた。上に母さんのメモが貼ってある。
『タイチちゃんへ お昼に食べてください』
母さんが出来合いの物を置いておくのは珍しい。いつもは自分で作った物をラップで覆ってあるのに。忙しかったんだと思う。
僕は食卓に着き、ビニールを剥がして箸をつける。麺が固まってほぐれない。出汁が泡立つほど箸を動かすと何とかほぐれた。麺を啜ると、顔をしかめるほど酸っぱいし塩辛い。コンビニの食べ物は無駄に濃口だ。
こう考えると、うちの母さんの料理は美味しいと思う。
部屋に戻って鞄を置く。学期終わりだから大荷物だ。
冷房を『強』にして私服に着替える。この制服もしばらく着る事はない。カッターシャツから名札を外して勉強机にしまった。
エアコンが効いてきたので、僕はベッドに寝転んで『ライジングサン』の最終巻を読み始めた。前の巻は街に衛星レーザーが発射されるかもしれない、という場面で終わっていた。僕は肘をついてうつ伏せになりページを捲ってゆく。クライマックスというだけあって一つひとつのコマが大きい。
二十分もしない内に読み終わった。僕は仰向けになってマンガ本を脇に置いた。天井を見詰めて深く息を吐く。
なんか、
レーザーの発射は阻止できた。しかし主人公が身を犠牲にして死ぬという終わり方だった。よくあるハリウッド映画みたいなラストだ。
ちょっと後味が悪いな。主人公が死んでしまってはもう続編は出そうにない。
主人公の死に際はドラマティックでヒロイックで、登場人物みんなが主人公の名前を叫んでいた。多くの人に悲しまれ、多くの人に感謝され、多くの人の記憶に残る。
でも、本当に死ぬってどういうものなんだろう。
多くの人の死はもっと呆気ないかもしれない。
物語にもならず、ニュースにもならず、人の話題にもならず、誰にも知られずに死んでいく人もいるだろう。
三ヶ月前のあの夜。
僕も川に飛び込んで死んでいたら、どうなっていただろう。
たぶん呆気なかったんだろうな。
そんな事を考えていたら、僕はいつの間にか眠っていた。
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