第25話 会いたかったぁ
次の日の夜、僕はいつもより早めにスミの所へ向かった。
昨夜貸すはずだったマンガを握り締めて夜の畦道を駆け抜ける。動きのない湿気っぽい空気のせいで、じとじとの汗が滲んでシャツが背中に貼り付いた。
僕はスミに会いたくて堪らなかった。
正確には、早く会って謝りたかった。
僕を突き動かしているのは責任感と罪悪感。今までのような、純粋にスミに会いたい気持ちとはどこか違っていた。
やがて物置小屋が見えてきた。
小川沿いの砂利道から堤を下り、物置小屋の裏手に回る。格子を掴んで中を覗いた。
「スミ、僕だよ」
しかし彼女はいない。
僕は息を殺して中を見渡した。敷きっ放しの布団、本棚、木の梯子。スミはどこにもいない。どこへ行ってしまったんだ。
僕の腹の底がぞわぞわ騒ぐ。
「タイチ君――」
すぐ近くで声がした。間違いない。スミの声だ。
「こんな所にいたのか」
スミは格子窓の下で膝を抱えて座っていた。真っ白い顔がゆっくり上を向く。「会いたかったぁ……」
スミの口唇は弱々しくそう動いた。
「ずーっとここで座って待ってたんだよ。タイチ君遅くなるのかなって、もしかしたらお昼に来るのかなって。せっかく来てくれても私が寝てたらいけないから、ずっと起きて待ってたの」
えっ、と僕は思わず声を漏らした。
スミは昨日から今まで、眠らずにずっと窓の下で座っていたという。スミの目の下が落ち窪んでいる。
「昨日はどうしたの?」
「ごめん。ちょっと友達と、その――」
僕は途中で口籠った。
スミは僕の事をずっと待っていたのに、僕は友達とゲームをしてそのまま寝た。スミは怒るかな、それとも泣くかな。両方かもしれない。
するとスミは胸を押さえてほんわり笑った。
「良かった、タイチ君が風邪ひいちゃったのかと思って心配してたの。元気で良かった良かった」
ケホケホ。
スミは乾いた咳をした。顔も前よりやつれて見えた。
「そうだ。マンガ持ってきたよ。『ライジングサン』の十巻」
スミは格子窓から手を伸ばし紙袋を受け取った。
「わあ、ありがとう。続き気になってたんだよね」
スミに手を近付けるだけで冷気を感じた。今、スミの体温はマイナス何度まで下がっているのだろう。
「タイチ君はあの本、もう読み終わったかな」
「本?」
「この前貸したやつだよ。冒険するお話」
まずい。全然読んでなかった……。
「ええと、まだ残ってるんだよね」
スミは不安そうに僕を上目に見る。
「面白く、なかったかな……」
「そんな事ないって。ただ、最近は、ほら。学校だって行ってるし――」
言い訳になっていないのは分かっている。僕はスミとの約束を後回しにしてリョウスケとケイタを優先していたんだ。
スミは笑顔のまま大きく頷いた。
「そっかそっか、忙しいもんね。仕方ないよ。タイチ君は悪くない。うん、ぜーんぜん悪くない」
白い歯を見せて笑うスミ。満足そうなスミを見ていると、僕の方が苦しくなる。
どうして笑っていられるんだよ。僕は俯いたまま問い掛ける。
「怒らないのか」
スミは不思議そうに首を傾げる。
「どうして?」
「だって僕は約束を破ったんだぞ」
「そんなくらいじゃ怒らないよ。前にも言ったでしょ、タイチ君が来てくれるだけで幸せなの。昨日は悲しかったけど、今日またタイチ君が来てくれたから嫌な事なんて全部忘れちゃった」
曇り空は湿気を抱えきれなくなり、いよいよ雨を降らし始めた。粒の大きい梅雨の雨が小川にはねて濁らせてゆく。
少し、ほんの少しだけれど……僕はスミを重荷に感じた。
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