第21話 一緒に朝日を見に行こう

 その夜。僕が部屋でゲームをしていると、一階で電話が鳴った。

 スリーコール目の途中で母さんが取ったらしい。


 しばらくして、うるさい足音が階段を駆け上がってきた。ノックも無しに部屋のドアが開く。

「タイチちゃん!」

 振り返ると母さんが血相変えて立っていた。僕はまたパソコンの画面に向き直ってゲームの続きを始める。

「田島先生から電話があったわ。タイチちゃん……教室で授業を受けたそうじゃない」

 母さんの震えた声が背中にぶつかる。コントローラーを操る僕の指が一瞬だけ止まった。


「三時間目には気分が悪くなって保健室へ行ったけどね」

「それで……明日は、どうするつもりなの」

「とりあえず教室で授業を受けてみる。きつくなったら途中で保健室へ行くかもしれないけど」


 僕の背後で母さんは沈黙していた。僕は振り返らずにゲーム画面だけを見ていた。けれども僕もゲームには集中できていない。

 何か言わなければいけない気がして、僕はぽつりと溢した。

「母さん。今まで、何か、ごめん……」

 反応はなかった。ゲームの音が大きくて聞こえなかったのか。しばらく間を空けて、母さんの鼻をすする音が聞こえた。ひくひく嗚咽を上げる。

 僕は振り返れずにいた。母さんが泣いている所なんて、見てはいけない気がしたから。


 父さんと母さんが寝静まった後、いつものように僕は家を抜け出した。

 真っ暗な夜道を小走りに進み、田んぼの畦道を抜けてゆく。目的地はもちろんスミの物置小屋。

 今夜はいつもより身体が軽かった。


「こんばんは――」

 格子窓から覗くと、布団で横になっていたスミがのそりと身体を起こす。そして乾いた咳を二つ三つ。ケホケホ、ケホ。

「あ、タイチ君」

 立ち上がる時、足元がふらついた。スミは真っ白な笑顔を格子の向こうに輝かせる。冷たい吐息が僕の顔に掛かった。


「今日のタイチ君はすっごく嬉しそう。何か良い事あったの」

「良い事があったっていうか、報告だね」


 なになに、とスミは顔を近付けてきた。少し痩せた気がする。

「今日、教室で勉強した。いつもみたいに保健室でじゃない。ちゃんと他の生徒もいるクラスで授業を受けたんだ」

 スミは目を見開いて一瞬硬直してから、勢いよく花が咲くように笑顔になった。

「すごい、またタイチ君が強くなった!」

 スミは窓の外へ両手を伸ばしてきた。手のひらを僕に向ける。ハイタッチを求めているのか。

 僕はスミと手のひらをぴたりと合わせる。死んでいるみたいに冷たい。

「タイチ君は良いなぁ。どんどん世界が広がっていくもん」

 スミは合わせた両手の指を畳み、僕の手を包み込んだ。真冬に手を洗っているみたいに冷たい。腕に冷気が伝染して肘の辺りまで痛くなってきた。

 けれども僕の胸の中は焼けるように熱い。

 ドキドキ、バクバク。

 心臓がパンクして口から飛び出そうだ。

「大丈夫。スミも病気が治れば学校へ行けるよ。それだけ明るい性格なんだから、僕と違ってたくさん友達が出来るって、きっと」

 するとスミは悲しそうに笑って呟く。


「治るの、かな……」

「治るよ。僕だって絶対に学校なんていけないと思っていた。でも行けたんだ。だからスミだって絶対に治る」


 言っている事が無茶苦茶だと自分でも分かっている。それでも僕はとにかくスミを元気付けたかった。

 僕に元気と勇気をくれたのはスミだったから。

「病気さえ治れば、こんな物置小屋からも出られる。そうすれば学校でもどこへでも行ける。世界が広がるんだ」

 こんな言葉、自分の口から出て来るとは思っていなかった。いつの間にか僕もポジティブな人間になっていたらしい。

 きっとスミのおかげだと思う。

「私の世界が……」


「そうだ、良い事を思い付いたぞ――」

 スミの物置小屋は北側にしか窓が付いていない。だから太陽を直接見られないと言っていた。

「治ったら、僕と一緒に朝日を見に行こう」

 スミの顔がぱっと上がった。口を開けて僕をじっと見ている。スミの口元がみるみる笑顔の形に変わってゆく。

 こくこく頷くスミ。すんすん鼻をすする。

「僕が絶対に連れて行く。早く元気になって、二人で一緒に朝日を見よう」

 うんうん……。スミは笑顔のまま瞳を潤ませた。恥ずかしそうに顔を背けたスミ。

 僕から手を放して口元を押さえ、ひくひく肩を震わせる。

「ありがとうタイチ君。ホントに、ありがとうね……」

「何言ってるんだ。お礼を言わなきゃいけないのは僕の方だ。スミがいなければ僕は今頃本当に自殺していたかもしれないし、少なくとも部屋に閉じこもったままの生活だったに違いないんだよ。僕が変われたのはスミと会えたからだ」


 ありがとう、スミ――。


 小声で言うと、スミは僕の目を見てにこっと微笑んだ。この笑顔が僕の胸を熱くする。凍傷寸前だった両手を胸に当てた。スミが残した体温は、ちょうど良く胸の中のドキドキを冷ましてくれた。


 心の中で何度も言う。

 ありがとう、スミ――。


 何度ありがとうを言っても足りないぐらいだ。スミは僕に色んな物をくれた。それは形さえないけれど、僕にとって大切な物。

 心の中ならこんな事も言える。

 僕は、スミの事が好きだ――。

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