第19話 友達がお見舞いに来てくれる事よ

 今日も僕は保健室で一人。

 保健の先生は事務机で仕事をしているし、僕以外に生徒は来ていない。僕はカーテンを閉めてベッドに座っていた。


 夜が明けてもまだ頭がぽやっとしている。

 昨夜は一気に色んな事が起こり過ぎた。

 もう頭の中がスミでいっぱいだ。教科書を広げても一文字も頭に入って来ない。僕の脳の容量がスミで満たされていて、これ以上の新しい情報を拒否している。


 カーテンの隙間から他の生徒がいない事を確認してベッドから降りる。

 授業中の保健室は良い。誰もいなくて静かだ。遠くから甲高いホイッスルが聞こえてくる。運動場で体育をやっているらしい。嫌な事を思い出して気持ちが萎えた。


「タイチ君、どうしたの」

「べ、別に。何もないです」


 僕は窓から運動場を眺める。あれは三年生だろうか。眩しい日差しの下でハンドボールをしている。

 あれは僕の住んでいるのとは別の世界。あんなな所へ行ったら、僕は太陽に焼かれて溶けてしまう。

 僕は窓ガラスに手を当てた。僕と向こうの世界を隔てているのは、厚さ一センチにも満たないガラス一枚だけ。鍵の掛かった重厚な鉄扉でも、分厚い土壁でも、太く頑丈な格子でもない。


「先生。ハンドボールってどんなルールですか」

「さあ、スポーツはあまり詳しくないからね。手を使ったサッカーみたいなのじゃなかったっけ」


 ふうん、と相槌を打ってソファーに腰掛ける。綿の抜けた固い座り心地だ。

気になるの?」

「マラソンよりはマシかなと思って……」


 保健の先生は困ったように微笑んで僕を見ていた。居心地が悪くなって僕は視線を落とす。靴下が破れていた。

 本当はスミも外へ出たいに違いない。けれどもそれが許されていない。スミは僕と逆だ。閉じ込められたのと、閉じ籠っているの。


「病気で外へ出られないって、どんな気持ちなんだろう」

「そうねえ。先生も小学校の頃、虫垂炎で入院した事があったわ。怪我でも病気でもないから体は元気なの。退屈だったわ。いつも窓の外ばかり見てた。でも、そんな時、一番嬉しい事って何だと思う?」


 食事だろうか、テレビだろうか。僕は首を傾げる。

「答えは簡単。友達がお見舞いに来てくれる事よ。病室には自分一人ぼっちだから、友達が来てくれたらすごく嬉しいし心強いの」


 ――私は夜が大好き。

 ――タイチ君が会いに来てくれるから。


 ふとスミの言葉を思い出した。先生もスミと同じような事を言っている。

 閉じ込められた方からすると、友達は外の世界とを繋ぐ存在になるらしい。


「それでね、友達が言うの。学校休めて羨ましいなって。まったく……分かってないわよね。こっちは退屈で仕方なくて、一日でも早く学校に行きたいのに。まあ、ない物ねだりって言うのかしら」


 僕は俯いて爪を触っていた。甘皮を歯で噛み千切った。深くささくれて血が滲む。ぎゅっと握ると赤い滴が膨らんだ。

 僕の血は凍ったりしない。

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