第15話 タイチ君の元気になれたのかな

 夜になって、僕は家を抜け出す。

 小川の堤を下り、物置小屋の土壁に手を着いた。また着替え中だったらいけないので格子をノックする。


「スミ、僕だよ」


 反応がない。

 いつもならすぐ返事があるのに。

 不思議に思ってこっそり中を覗いた。奥に敷いてある布団が小さく盛り上がっている。寝ているのか。


「タイチ君……」


 布団がもこりと動いた。

 中からスミが起き上がる。着崩れて肌蹴たワンピースを僕に背を向けて直し、振り向いたスミは静かに微笑んだ。


「ごめん、起こしちゃったか」

「ううん。ちょっと横になってただけだよ」


 今日も来てくれてありがとう、とスミはちょこんとお辞儀する。いつもより声が小さい気がした。彼女は格子窓に顔を近付ける。

「どうしたのタイチ君。今日は昨日より元気そう」

 やっぱりスミは僕の顔を見ただけで分かるのか。僕は口元を綻ばせた。


「実はね、今日学校へ行ったんだ」

「本当に!」


 スミの丸い瞳が大きく開く。


「行ったって言っても保健室までだけどね。それも昼前には早退して帰ったんだ」

「それでもすごい前進だよ。すごいすごい、タイチ君すごいよ!」


 スミはぱちぱち手を叩いていた。そこまで大げさにされると照れ臭い。

「スミが背中を押してくれたんだ。だから僕は学校に行けたんだよ。全部スミのおかげだ」

 そう言うとスミは両手で頬を押さえて顔を伏せる。身体をくねくね捩らせ、裏返った声で「くぅぅぅ」と言っていた。ぴたりと動きを止めたかと思うと、スミはぱっと顔を上げて格子を掴んだ。


「私、タイチ君の元気になれたのかな」

「う、うん――」


 スミは格子を握り締めて激しく足踏みする。床板と素足が触れ合ってぺたぺた鳴った。何だよこの動きは。僕の口元が緩んだ。

 またぴたりと止まったスミ。背伸びして格子に顔を近付け、何か言おうとしている。スミの口唇がぽそりと動いた。何か言ったのか。僕も顔を近付ける。すると僕の耳元でスミの小さな声が言葉を結んだ。

「私も、タイチ君がいれば元気になるんだもん――」

 顔が熱くなったから背を向けた。スミの顔を見るのは恥ずかしいから、僕は誤魔化すように夜空を見上げた。

 今日も月が綺麗だな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る