第12話 元気になりますように!
「タイチくーん。待ってたよー」
スミは格子窓から出した両手をひらひら振っていた。僕も「あ、あぁ」と呟いて手を振り返す。
またスミは僕を見るなり顔をしかめた。
「タイチ君、今日も元気ない。学校で何かあったの?」
僕は小さく首を横に振って土壁にもたれた。格子の向こうからスミの心配げな視線が追ってくる。
僕は逃げるように顔を背けた。
「ねえ。私、タイチ君に何か悪い事したのかな」
僕は首を横に振る。それでもスミは悲しげな声を続ける。
「悪い事したなら謝るよ。だから私の事、嫌いにならないで。私、タイチ君がいないと、また一人ぼっちになっちゃうもん」
ごめんなさい、ごめんなさい。スミは繰り返す。悪くもないのに謝り続ける。ごめんなさいの一言ごとに僕の心にヒビが入ってゆく。
「違うんだスミ。悪い事をしたのは僕の方だよ」
不安げな顔を上げるスミ。涙目になっていた。
「僕は嘘をついてた。本当は学校……行ってないんだ」
スミはぽかんと口を開けて僕を見ている。怒っているのか悲しんでいるのか、それとも嘘つきだと蔑んでいるのか。人形のような無表情だ。
「一年生の冬から行ってないんだ。体育のマラソンで走るのが遅いって、走り方がキモいって馬鹿にされて……学校に行くのが嫌になったんだ。それから家に閉じ籠っていたんだよ。学校に友達なんていないんだ」
僕の声が震えてきた。これを聞いてスミはどう思っているのだろう。スミの顔を見る勇気が僕にはない。
「僕はこの世界の全てが嫌いになったんだ。だから誰もいない一人だけの部屋に逃げ込んだ。それなのに――学校の先生が僕の家に来るんだ。先生は僕を学校へ連れて行こうとする。僕は学校がこわくてこわくて堪らないのに……」
僕は歯を食い縛って胸の前で拳を握り締める。また涙が出てきそうだ。
「元気出してっ」
スミがふっと息を吹きかけてきた。ひんやりした空気が僕の頭を落ち着かせてくれる。
僕ははっと顔を上げた。
「友達ならここにいるじゃない。私はタイチ君の友達だよ。たとえタイチ君が世界の全てを嫌っても、私はタイチ君の友達だからね」
スミはにこにこ笑って頭を左右に振っている。
「私の世界はこの物置小屋だけ。これ以上は広がらない。その中に入って来てくれたのはタイチ君だけ。タイチ君はこの世でたった一人の大切な友達だもん」
大切――。
その言葉で僕の胸は温かく、いや熱くなった。
「やっぱり私はタイチ君が羨ましい。学校へ行く、部屋に閉じ籠る。どの道に行くか選べるのは幸せなんだと思う」
僕が黙っているとスミは急に泣きそうな声になった。
「ごめんね、偉そうな事言って。私、タイチ君の気持ち全然分かってないのに、好き勝手に言っちゃったよね。嫌いにならないで、ごめん」
そう言うとスミは不安そうに眉尻を下げた。僕は目を閉じて首を横に振る。
「嫌いになるもんか。僕こそ、スミがどういう暮らし方してるかちゃんと考えずに、好き勝手言ってごめんな」
スミには選択肢がない。
詳しい事情は知らないけれど、この物置小屋で生きるしか道がなかった。僕は贅沢だったのかもしれない。スミは僕よりもずっと辛い境遇だったのに、僕はわがままを言っていたのかもしれない。
スミは柔らかく微笑んで僕を見ている。そんな笑顔で見られると心が苦しい。
「そうだ。ちょっと待っててね」
スミは人差し指を立てて奥へ退いて行った。
暗くて見え難いが、ごそごそ物音が聞こえる。しばらくするとスミは嬉しそうな顔をして戻ってきた。
「これ貸してあげる」
手に何か持っている。本だ。
「マンガ貸してくれたお礼だよ。これは冒険のお話。世界中の色んな国を旅する物語なの。ワクワクするよ、世界は広いんだなあって。私オススメの元気が出る本だよ」
スミは本を胸にぎゅっと抱き締めた。
「うーんうーん。タイチ君が元気になりますように!」
おまじないのつもりなのか。スミは満足げに口元を綻ばせ、僕に本を差し出した。格子の間から出てきた本を受け取る。
「返すのはいつでも良いからさ、また感想聞かせてね」
※
家に戻った僕はベッドに横になってスミに借りた本を広げる。
全部字だけの本だった。小説は苦手だったけれど、漢字も難しいのは無いしこれなら最後まで読めそうだ。
冒頭は主人公の旅人が船に乗っているシーン。砂漠の国を目指しているという。
僕は開いたページに顔を埋めた。スミの匂いがする。
ページとページの間に鼻を当てて大きく深呼吸した。スミはずっと物置小屋にいるから木と紙の匂いがする。
こうして目を閉じていると、スミが僕の隣で寝転んでいるような気がする。艶やかな黒髪、柔らかそうな白い肌。吐息が顔に触れそうなくらいスミが傍にいる……。
はっとして顔を放した。
何をしているんだ僕は!
肩で息を切らし、じっとりした汗が噴き出す。僕は今、とてもいけない事をしていたのかもしれない。スミでどういう想像をしていたんだ。
僕は仰向けになって考える。
学校、か……。
世界は見える範囲に広がっているんだ。僕には学校という場所が見える。つまり僕の世界にも学校は存在していて、ただ僕が見ないように顔を伏せているだけなのか。
でもスミと学校は繋がっていない。彼女は別世界の生き物だ。だからいくら学校に憧れても辿り着く事は出来ない。
まだ僕は恵まれている方かもしれない。
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