第10話 良いなあ、学校

「タイチ君、どうしたの今日は」

「どうしたって、何が?」


 深い夜の中、格子窓の奥からスミの細い声がする。

 月明かりに照らされて青白く見えるスミの顔。少しは慣れてきたけれど、近くで見るのはまだ恥ずかしい。スミは眉を寄せて僕をじっと見ていた。


「怒ってるの。機嫌悪そうだよ」

「別にそんな事ないって」


 ふうん、と納得しきれない相槌を打ったスミ。

 ワンピースの袖で口元を押さえてまた咳をしている。ケホケホ鳴る度に小さな肩が跳ねた。まだ具合は治っていないのか。


「私、何か悪い事言っちゃったかな……」

「やめてくれよ。スミには関係ない事だからさ」


 今日、僕には嫌な事があった。

 家に担任の先生が押し掛けて、僕を外の世界に引き摺り出そうとした。腹が立ったし、嫌だったし、こわかった。色んなマイナスの感情が胸の中で混ぜ合わさった。


「そうそう。タイチ君に借りたマンガ、面白かったよ。あんな風に不思議な力を使って、びゅんびゅん外を飛び回れたら楽しいだろうね」


 スミは外の世界に憧れている。

 それは外を見た事がないからだ。人は見えない世界に憧れる。けれどもその先は地獄かもしれない。現に僕にとって外の世界は地獄だった。

 先生、母さん。

 大人達は僕をそんな世界に放り出そうとしている。せっかく安全地帯に避難できたのに、また地獄の底へ突き落そうとしている。あの笑い声の地獄へ。


「明日も学校?」

「そうなんだ。数学のミニテストがあるんだけど全然勉強してないや」


 僕は嘘をつく。するとスミはぷくっと頬を膨らませた。


「良いなあ、学校……」


 スミはここから出られないからそう思うんだ。あそこは地獄なんだ。

 またスミは咳をし出した。僕は格子窓に背を向けて小川を眺める。もう桜の花は無くなっていた。

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