第148話 贖宥状ビジネスの誘惑
【パリのレオ・ルグラン⑭】
フッガー家はイタリアのメディチ家とよく比較される。メディチ家がフィレンツェを拠点としていたように、フッガー家は南ドイツのアウグスブルクを拠点としており、ヴェネツィアとの香辛料や木綿、麻織物などの交易で財を成した。またチロル銀山やハンガリー銅山の経営も行い、その資金をもとに金融業を始める。15世紀にはハプスブルク家を金融面で支えて繁栄した。
話をもとに戻そう。教皇レオ10世は、巨額の献金を条件にマインツ大司教アルブレヒトの就任を認可したが、献金用に一時的に金を融資したのはフッガー家であった。フッガー家の狙いはアルブレヒトが教皇から贖宥状の販売認可を受けることを手助けすることで貸した金以上の利益を得ることだった。
こうしてローマ教皇が属するヴァチカン、ホーエンツォレルン家の属する神聖ローマ帝国、豪商フッガー家の利害が一致し、莫大な利益があがるシステムが構築されたのだ。ある意味『贖宥状バブル』と言えなくもない。
最後にこの『贖宥状』を民衆へ売りさばいたのは誰か? それはドミニコ修道会だった。イエズス会の設立が1534年であるのに対してドミニコ会の設立は1206年とずっと古い。ドミニコ会所属で一番の有名人は『神学大全』の著者として知られるトマス・アクィナスだろう。贖宥状の販売を委託された修道士、ヨハン・テッツェルは民衆に対して、金を払って贖宥状を買うことで魂は天国へ召されると説き大量に売りさばいた。
この状況を目にしたルターは大きな危機感を抱き、1517年10月31付で大司教アルブレヒトへ手紙を送りつけた。この手紙には有名な『95箇条の提題』が添付されており、この後わずか2週間で全ヨーロッパ中に大反響を巻き起こすことになる。
再び腰の天使ノートがブルブル震えた。
『ロヨラに贖宥状について質問せよ』
こそっと盗みみた最新ページにはそう書かれていた。なんとなく俺にはこの後の展開の想像がついていた。実際の歴史ではレオ10世が贖宥状を売り出したとき、イエズス会はまだ設立されていなかった。だがこの世界線ではどうなる?
「ロヨラ殿、もしかして教皇様から贖宥状の販売を委託されたのではありませんか?」
俺の言葉にロヨラは驚きの表情を浮かべた。
「ご存じでしたか。教皇マルティヌス様はイタリア半島の戦乱を鎮めることをお考えなのです。教皇様はそのための資金を集めるため贖宥状の販売を決断されたのです」
「ですが、贖宥状の販売はドミニコ会へ委託されたのでは?」
これは全くの想像で言った言葉だった。だがロヨラの反応はこちらの思惑どおりだった。
「いかにも、彼らは抜け目がない。ですが、あなたが仕えておられるシャルル王が我々をお助けくださったのですよ」
「王があなた方を助けた? どういう意味です?」
ロヨラは少し言いよどんだが、言葉を続ける。
「教皇様から贖宥状の販売権をいただくには、少々金が必要だったのですが我々には資金がなかったのです。そんな時シャルル王から融資を申し出ていただきまして……」
ロヨラの言葉を聞いて、俺とジルは顔を見合わせた。寝耳に水だったからだ。確かにシャルル王は金を大事にしていたし、金儲けに興味を持っていた。教皇が贖宥状を売り出すという情報をどこからかつかみ、利用しようとしたとしても不思議ではない。
しかしその資金はどうやって捻出したのだろうか? まさかテンプル騎士団の黄金を使ったんじゃあないだろうな? フランス王国の資金はジャックがしっかり管理しているはずだ。ジャックはこのことを知っているのだろうか?
「もしかしてご存じありませんでしたか?」
俺たちの様子を見てロヨラが聞いてきた。
「ええ、知りませんでした。ですが我々はずっとパリにおりましたので手紙などで情報が漏れるとよくないのであえて伝えなかったのでしょう」
ロヨラの話が本当だとすると、レオ10世の贖宥状ビジネスを通じて、ヴァチカン、ホーエンツォレルン家、ドミニコ会が結びついたように、今回は、ヴァチカン、フランス王家、イエズス会が結びついたことになる。しかもフランス王家には金があるので、フッガー家のような商人に借りる必要もない。
その影響について俺は歩きながら考えた。ジャンヌの異端裁判はどうなる? イエズス会がパリにやってきた目的は何だ? シャルル王が融資の見返りに異端裁判への介入を依頼していたとしたら? きまぐれな王が面倒なドンレミ村発掘ビジネスを見限り、贖宥状ビジネスへ舵を切ったとしたら事態は深刻だ。イエズス会にさっさと裁判を終わらせるように依頼したのかもしれない。
ロヨラにパリへ来た目的を直接聞いてもよいのだが、あまりにこちらが何も知らないことを不審に思われる可能性がある。ここはもう少しロヨラ達に張り付いて情報を集める方がいいだろう。
「贖宥状で多くの民衆を救うことができるといいですね」
俺はさも味方であるような発言でお茶を濁すことにした。
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