第147話 贖宥状とフッガー家
【パリのレオ・ルグラン⑬】
「トレモイユ殿が? どういうこと?」
「いえ、我々はこの方たちを護衛するように言われただけで、詳しい事情までは……」
困惑する兵士の横からひとりの修道士が進み出てきた。
「我々に何か御用でしょうか?」
口と顎に髭をたくわえた鋭い目つきの男だった。
「いや、私の部下があなたたちの護衛をしていると聞いて、事情を説明してもらっていたんですよ」
「この方は?」
修道士は兵士に尋ねた。
「はい、フランス軍元帥のジル・ド・レ様です」
「ほう、あなたがジル元帥ですか!」
修道士はジルの前に進み出ると笑顔を作った。
「私はイグナティウス・デ・ロヨラと申します。ジル元帥のことはトレモイユ殿から伺っていますよ」
この男がイエズス会の創始者、イグナティウス・デ・ロヨラか! 本来なら出会うことがないはずの大物との出会いに俺は興奮を抑えられない。
「ロヨラ殿、なぜトレモイユがあなたたちの護衛を命じたのか教えていただけますか?」
「それを説明するには少々時間がかかります。私どもは今からパリ大学総長のコーション殿と会う約束をしているので先を急がなければなりません。もしその後でよければお話しましょう」
ジルの言葉にロヨラは申し訳なさそうな顔をした。
「ちょうど良かった。我々もコーション殿に会いに行くつもりだったんですよ。ぜひご一緒させてください」
俺は思わず口をはさんでいた。ルターを意識した言動をとるコーションと反宗教改革の急先鋒であるイエズス会創始者、イグナティウス・デ・ロヨラ。このふたりが会えば必ず何かが起こる、そう予感したからだ。
「ええっと……あなたは?」
「フランス東インド会社、社長のレオ・ルグランと申します」
ロヨラはしばらく考えていたが、やがて口を開いた。
「いいでしょう。ここでおふたりに出会ったのも神の思し召しに違いありません。フランス軍が我々を警護することになった事情も道中お話いたしましょう」
案外ロヨラは話が通じる相手のようだ。よく考えればイエズス会がジャンヌの異端裁判においてどのような立場をとるかは、現時点ではわからない。パリ大学の出身というだけでは必ずしも敵になるとは限らないのだ。
「我々は聖地の異教徒にキリスト教を布教するため、イェルサレムへ向かうことを決意したのです」
ロヨラの話によるとイエズス会の一行は、ヴェネツィアから海路でイェルサレムへ向かうことを計画したが、フィレンツェで起こった反乱と資金不足によってヴェネツィアにとどまることになったのだという。
「やがてローマ帝国と反乱軍の戦闘は激しさを増し、ヴェネツィアにも多くの負傷者が運ばれてきました。我々は負傷者の世話や戦乱を逃れてきた人々への奉仕をすることにしたのです」
そうか、パリにいるとわからないが、イタリアでは大きな戦乱になっていたのか? 俺は戦況について聞きたい衝動にかられたが、だまって話の続きを聞くことにした。
「そんな時、パリ大学の総長に女性のピエレット・コーションが選ばれたと聞きました。またそのコーションがイングランドに捕らえられた
ロヨラはここでため息をついて天を仰いだ。
「更に、これはあくまで噂ですがコーション殿はカトリック教会の現状に不満を抱いているとのこと。そして……ああ、とても受け入れられない考えを持っているとも言われています」
「それはどのような考えです?」
だいたいは予想できるが俺はあえてロヨラに質問した。
「人間は善行によって罪をゆるされることはない。善行は積み立てることができず、それを教皇様から人々へ分け与えることもできないというのです」
人間の罪とは神へ与えた損害であり、その損害賠償としての善行を求める、これが「
積み立てられた善行を人々に分け与えることができるのはローマ教皇だった。1515年、ローマ教皇レオ10世は、聖ピエトロ大聖堂の改修費用を集める名目で、いわゆる
ところがこの贖宥状の売り出しには、やや複雑な金の流れがあった。実際に贖宥状を発行したのは、ドイツのマインツ大司教だった。マインツ大司教はドイツ宗教界の最高位であると同時に神聖ローマ帝国皇帝の選挙権を持つ7人の選帝侯のうちのひとりだ。もともとマインツ大司教位は、エルンスト家というところが持っており、同時に持っていたザクセン選帝侯位ともに2つの選帝侯位を持つことで権力を握っていた。
ここに登場したのが新興のホーエンツォレルン家だった。彼らは金の力で次々と選帝侯位を奪っていく。マインツ大司教となったホーエンツォレルン家の次男、アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクは23歳であり、30歳以上という大司教の年齢制限をクリアしていなかった。また、アルブレヒトは兼任が禁止されている大司教位を3つも兼任することになった。
教皇レオ10世は巨額の献金とひきかえにそれらを認めたのだった。その額は神聖ローマ帝国の収入に匹敵するほどの額だったと言われている。しかしアルブレヒトにそれほどの財力はなかった。アルブレヒトが頼ったのが資本家フッガー家である。
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