第146話 巡礼者の帰還
【パリのレオ・ルグラン⑫】
現代の裁判であれば弁護人は被告人と面談して意思疎通を図るものだろう。今回の審理のようにジャンヌが予想外の行動をしてそのたびに驚いていたら弁護のしようがない。コーションに依頼すればタンプル塔にいるジャンヌともう一度会うことが出来るかもしれない。
だが俺は怖かった。ジルのようにジャンヌに魅了されてしまいひれ伏してしまうのではないか? ジャンヌの中身は、あのアイヒなのだ。いや今となってはそれも怪しい。とにかく今は次にクルーセルが何を仕掛けてくるか予想して対策を取るしかない。
俺が宿の食堂でエールを飲みながら思案していると、食堂に入ってきた客が興奮した様子で叫んだ。
「巡礼者が戻ってきたぞ!」
巡礼者? 娯楽の少ないこの時代、巡礼地まで長距離の旅をして帰ってきた巡礼者から話を聞くことは大きな楽しみなのかもしれない。宿から次々と客が飛び出していった。俺も興味に駆られて外の通りに出てみた。
通りの向こうから修道服を着た一団が歩いてくる。巡礼者はどこかの修道会に所属する修道士のようだ。彼らはかなり疲れているようで、足取りが重い。俺は先頭を歩く修道士の服にある紋章が描かれているのに気がついた。
『IHS』
とアルファベットで書かれている。そして真ん中のHの字を上から突き刺すような形で十字架が描かれていた。さらには文字全体の下側に3つの矢印のようなマークがついている。
何だろう? どこかで見たことがあるような。
何とか思い出そうと頭を絞っていると、腰の天使ノートがブルブルと震えた。俺は急いでノートの最新ページを確認する。
『イエズス会の紋章』
ノートにはそう書かれていた。そして文字の下には修道士の服に描かれているのと同じ紋章があった。3つの矢印のようなマークはキリストを十字架に打ち付けた釘だったのだ。
――イエズス会!
こいつらはイエズス会の修道士なのか!
ノートには続いてイエズス会の説明が浮かび上がっていた。
イエズス会……カトリックの修道会。1534年にイグナティウス・デ・ロヨラを中心とする7名によって創設。初期メンバーはロヨラのパリ大学での同志である、フランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、シモン・ロドリゲス、ピエール・ファーヴルである。1543年、教皇パウルス3世によって正式に認可された。
俺はめまいを覚えた。もしこれが本当で目の前にいる修道士がイエズス会の所属なのだとしたら、歴史が100年近く進んだことになる。いや俺自身がこの時代にあるはずのないフランス南インド会社の社長なのだから、この世界線では十分ありえる話なのだろう。
だが、嫌な予感がする。今まではどちらかというと俺やジャンヌにとって都合の良い歴史改変だった。ローマ帝国の再興や紙幣の流通、ブルゴーニュ公国フィリップ善良公の好意的な態度がそれだ。ジャンヌの異端裁判も判事のコーションがジャンヌ自身であり公平な裁判をうたっている。
イエズス会は、ルターの宗教改革に対抗して『神の軍勢』を組織し、ローマ教皇の手足として活動した。その中心となったのはローマに設けられた異端審問所である。イエズス会を認可した教皇パウルス3世によって設置された異端審問所は、神学者や学識のある枢機卿からなる委員会形式であり、特定の学説や著作物の異端性を審議した。当時としては非常に高い知識レベルの持ち主で構成されていたのである。
やがてローマの異端審問所は『検邪聖省』と名前を変え、教皇庁の一機関となった。だんだんと『検邪聖省』の役割は著作物の審議へと移っていき禁書目録の作成を行うようになった。そして17世紀になり俺たちもよく知っているガリレオ・ガリレイの書籍に対する裁判を引き起こすことになる。
呆然とイエズス会修道士の集団を見送る俺は、最後尾付近を歩く兵士に気がつく。そして更に衝撃を受けることになった。兵士が百合と天使の紋章をつけていたからだ。百合と天使の紋章――それは俺たちの王様、シャルル7世の王朝であるヴァロア家の紋章だったからだ。
「ちょっと待ってください!」
俺は百合の紋章をつけた若い兵士に声をかけた。
「私はフランス南インド会社社長のレオ・ルグランです」
「レオ・ルグラン……?」
俺のことをよく知らないのか、なおも警戒を崩さない兵士に俺は言葉を続けた。
「ジル司令官と一緒にパリに滞在しているのです」
こんなことならジルと一緒にいればよかったと後悔していると、後ろから声がした。
「これはどういうことなのかな? 説明してよ」
振り向くと薄笑いを浮かべたジルが立っている。今の言葉は俺にではなく兵士に向けられたもののようだ。ジルの姿を見た兵士に緊張がはしるのがわかった。
「失礼しました! ジル元帥」
後方での異変に気がついた修道士たちもこちらに集まってくる。
「君はどうしてこの方たちと一緒にいるのかな?」
「はい、トレモイユ様から護衛を命じられました!」
トレモイユ! まさか……。ブールジュでの会議のときトレモイユが、俺が代表してクレオパトラとの交渉にあたることに反対していたのを思い出した。
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