第149話 グーテンベルクへの依頼
【パリのピエレット・コーション】
ソルボンヌ学寮にある自分の執務室で、私は客がやって来るのを待っていた。招かれざる客とでもいうのだろうか? イエズス会を名乗る彼らは私に突然、面談を求めてきた。『使徒の覚書』に記載された情報で、イエズス会が贖宥状の販売を委託されたことを知った。それだけではなく、シャルル王はイエズス会と組むことを選んだようだ。
ジャンヌの異端裁判における第1回審問では、偽ジャンヌ(アイヒ)の天使パワーがさく裂して我々は敗北を喫した。しかもこれからやって来るイエズス会は私が異端思想を持っていると疑っているようだ。状況はどこからどう見ても不利だ。
陪審員長クルーセルは、なんとかイエズス会を説得して仲間に引き入れろと言ってくるが、私にその気はない。欲に目のくらんだシャルル王、贖宥状の売人に成り下がったイエズス会、そして人間の心を惑わす魔性の乙女、ジャンヌ。役者は揃った。
信仰は言葉。そう聖書の言葉のみを拠り所とせねばならない。かつての自分であるジャンヌを第三者として観察すると、言葉を大切にしていないと感じる。彼女の言葉は魅力的に感じることがある一方で、どこか胡散臭いと思わせることがある。
では真実の言葉を拡げるにはどうしたら良いのか? 私がパリ大学で演説をしたとしよう。数十名、いや数百名に私の言葉が拡がるだろう。たがそれではだめなのだ。より多くの人に迅速に言葉を拡げなくてはならない。そのためにはやはり文字だ。ドンレミ村の農民がそうであったようにほとんどの人は文字が読めない。
だが、都市にはある一定数の文字が読める人々がいる。貴族や商人といった影響力のある人々だ。まずはそういった人々に私の言葉を拡げよう。この世界にコーションとして転生してから少しして『使徒の覚書』に次のような指示が書き込まれた。
『ヨハネス・グーテンベルクを探せ』
覚え書によるとグーテンベルクはドイツで印刷業を営んでおり、最新の技術で大量の文書を作ってくれるという。私は早速、グーテンベルクに手紙を送り、自分が作成したパンフレットを印刷してくれないか、と依頼した。グーテンベルクから仕事を受ける旨の返事が返ってきたので、原稿を送り金を支払った。
完成した約1000部のパンフレットが無事パリに到着した時はホッとしたものだ。使徒の協力のもとにフランス、イタリア、ドイツなどヨーロッパ主要都市の司教にパンフレットが送付された。送付されただけではない、各都市の大学や市庁舎に貼り出されたはずだ。
そして本日、このパリ大学の構内および市庁舎、広場にもパンフレットは貼り出された。パンフレットのタイトルは――
――95箇条の論題
そう、本来なら私の敬愛するルター先生がドイツのヴィッテンベルク城の門扉へ張り出した文章と同じものだ。先生ごめんなさい。許してくれますよね。
執務室にパリ大学の学生が息を切らして飛び込んできた。
「コーション学長、大変です! 市内に貼り出された文書のせいで大騒ぎになっています」
「落ち着きなさい、いったいどんな文書ですか?」
「我々カトリック教会に対する批判が書かれています。しかも……」
「しかも?」
学生が言いにくそうにしたので私は聞き返した。
「文書にはコーション学長の署名があります」
学生は絞り出すように答える。
荒々しい足音が廊下を近づいてくるのが聞こえた。奴らが来たのだろう。
「コーション! この文書は何だ!?」
執務室に断りもなく入ってきた男は、手に持った文書を私に突き出した。髭をたくわえた修道士――イグナティウス・デ・ロヨラだ。驚いたことにロヨラの背後にはレオとジル・ド・レもいる。
「お前のビジネスの邪魔だったか?」
「やはり、お前が書いたのだな! この異端者め!」
私の皮肉にロヨラの顔色が変わった。
「おい、コーションを捕えろ!」
ロヨラはイエズス会のメンバーと騒ぎを聞きつけて集まったソルボンヌ学寮の学生に向かって叫んだ。イエズス会のメンバーと数人の学生が私を取り囲んで迫ってくる。その時だった、新たな学生の一団が執務室になだれ込んで来た。学生たちは私を取り囲んだロヨラや学生に襲いかかり取っ組み合いの乱闘となった。
だが、すでに私の支配下にある学生の数が圧倒的に多くイエズス会と彼らに呼応した学生は程なく捕縛された。レオとジルは少し離れたところから呆然と事態を見守っていたようだが、幸い乱闘には巻き込まれなかったようだ。
「くそっ! フランス軍の護衛は何をしている? どうして助けに来ない?」
捕えられたロヨラが
私は窓から階下の通りを眺めた。表の通りでは市民が組織した民兵が押し寄せており、イエズス会の護衛たちはなすすべなく捕縛されていた。
「パリは私たちのものだ! 食べ物をよこせ!」
パリ市民たちは口々に叫んでいる。治安の悪化、食糧不足、高い税金に困り果てた市民たちの怒りが爆発したのだ。
「みんなでタンプル塔へ行きましょう!」
私は大きな声で言った。
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