第142話 ジャンヌの出廷
【パリのレオ・ルグラン⑧】
1431年2月21日。とうとうジャンヌ本人が出廷しての裁判が始まった。裁判の舞台となるソルボンヌ学寮の広間では陪審員たちが、落ち着かない様子でジャンヌの出廷を待っていた。俺とジル・ド・レは弁護人の席に着席している。
異様な緊張感が広間全体を覆っていた。俺は判事のコーションと陪審員長のクルーセルの様子をうかがう。コーションの顔には何の表情も浮かんでいない。意図的にそうしているのか、本当に落ち着いているのか俺にはわからない。一方のクルーセル陪審員長は険しい表情をしている。他の陪審員が浮足立っているのが気にくわないのかもしれない。
やがて執行官に連れられて、灰色のチュニックを身に着けた女が広間に入って来た。
――ジャンヌだ。
ジャンヌの足取りはしっかりとしており、その瞳は真っすぐ前に向けられている。俺はギョッとした。ジャンヌが薄っすらとほほ笑んでいたからだ。アイヒではありえないと思った。
ジャンヌはそのままコーションの前まで進み出ると粗末な椅子に着席した。コーションとジャンヌはお互いに向き合っている。
「余は被告、ジャンヌに勧告する。裁判の迅速な進行とあなたの良心の呵責を軽くするため、これから行われる審問に対して真実を答えることを」
ジャンヌは何も答えない。コーションは続ける。
「聖書に手を置いて宣誓を行いなさい」
ジャンヌが座る被告席のすぐ隣には台が置かれており、台の上には聖書があった。ジャンヌはゆっくりと椅子から立ち上がると台の前にひざまずいた。それから両手を聖書のうえに置く。
「信仰について私が知っている全てのことを……問われたことについて真実を述べることを誓います」
ジャンヌの声が広間に響いた。透き通るような美しい声だと思った。ジャンヌから視線を外していた陪審員もはっとしてジャンヌの方を向くのが見えた。クルーセルが驚きの表情を浮かべるのもはっきりと見て取れた。
「ジャンヌ、あなたの出身地はどこですか?」
ただひとり、コーションだけは動揺することなくジャンヌに質問をした。
「ドンレミ村です。村ではジャネットと呼ばれておりました」
「父親と母親の名前は?」
「父の名前はジャック・ダルク。母はイザベル・ロメと言います」
「あなたが洗礼を受けた司祭の名は?」
「ジャン・ミネ司祭です」
ジャン・ミネ司祭の名はもちろん覚えている。オルレアンで異端審問官のブーケに捕らえれたところを俺と傭兵のマレさんが助け出した人だ。ドンレミ村から逃亡したミネ司祭の後任が、天使ペリエルがなりすましたトリスタン・シモン司祭だったのだ。
「よろしい」
コーションは満足げにうなずいた。
「では、あなたが神の声を聞いたのは何歳の時ですか?」
「私が13歳の時です。教会へ向かう途中の道で聞きました」
コーションはいきなり本題へ踏み込んできた。思ったよりも裁判の進行が速い。
「神はあなたに何とおっしゃいましたか?」
「フランスの王を助けるように、イングランド軍をフランスから追い出すようにとおっしゃいました」
ジャンヌの発言を聞いて、陪審員のなかにわずかな動揺が広がった。ジャンヌの言葉がまるで神そのものが発したように聞こえたからだ。
正確なところはわからない。だが少なくとも俺にはそう聞こえた。
「あなたはそのことを、すぐに誰かに話しましたか?」
「はい、村の教会のシモン司祭へお伝えしました」
そうだ。もしシモン司祭を証人として呼ぶことができれば、いくらかでもジャンヌの有利になるだろう。だがシモン司祭の正体は天使ペリエルだ。ペリエルはジャンヌの身代わりとしてドンレミ村に残ったのだが、そのあとの消息はつかめていない。
「コーション判事。そのシモン司祭について申し上げるべきことがあります」
クルーセル陪審員長がふたりのやりとりに割って入る。
「なんでしょう? クルーセル陪審員長。お聞かせください」
「ドンレミ村近郊の司教区へ問い合わせしたのですが、トリスタン・シモンに該当する聖職者はいないとのことです。この娘が嘘を言っているのではないでしょうか?」
これはマズい。ペリエルは自分がシモン司祭として、ドンレミ村に派遣されたとジャンヌには説明したのだろうが、
「判事! 私はドンレミ村でシモン司祭に会いました。彼は実在の人物です」
俺はコーションが発言を許可する前に叫んでいた。
「ほう、司祭に会ったことがあると?」
クルーセルは俺を見て目を細める。
「では、その司祭を名乗る人物がその娘に何をしたのかも知っているのでしょうな?」
勝ち誇ったような口調でクルーセルは俺に言った。
何をしたか、だと。まさかクルーセルはペリエルがジャンヌに文字を教え、禁断の知識を身につけさせたことを知っているのか? いったいどうやって知った?
「おっしゃる意味がわかりませんが……」
俺は動揺をさとられないようにゆっくりと答えた。
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