第140話 天使と聖女

【パリのレオ・ルグラン⑥】


「極めて異例なことですが……」


 フィリップ善良公からの書簡読み上げが終わったタイミングでクルーセル陪審員長が口を開いた。


「ブルゴーニュ公より、公平な裁判を期するため、ヴァロア家からの弁護人を受け入るよう進言がありました」


 クルーセルは俺たちの方をチラリと見た。


「今や、乙女ジャンヌに対する調査権は我々にあります。法と理性が命ずるまま、いかなる障害があろうと裁判を執行することが重要です。彼らは我々に服従し協力せねばなりません」


 クルーセルの言葉に他の陪審員たちも大きくうなずく。やはり俺たちは敵とみなされているのだ。


 「彼らって言うのは、俺たちのことか?」


 ジル・ド・レが不愉快そうに俺に聞いてくる。ここで挑発に乗ってはいけない。


「陪審員長、発言をお許しいただけますか?」


 俺は務めて冷静な口調で言った。


「どうされました? ルグラン殿」


 クルーセルは一瞬戸惑ったような表情を浮かべた後、「発言を許可します」と言った。


「まずは偉大なるブルゴーニュ公より弁護人として、この誉ある裁判の場に列席させていただけることに感謝いたします。クルーセル様のおっしゃる通り、我々、忠実なキリスト教信者のつとめとして異端行為の根絶を求めなければなりません」


 おそらく何らかの反論をされると思っていたのだろう。クルーセルの表情は幾分か緩んだ。


「ご理解いただいて光栄です。ルグラン殿。おふたりにはキリスト教信者としての務めを果たしてくださることを期待いたします」


 隣にいるジルが怒りを抱いていることはわかっていたが、まだ牙をむく段階ではない。ジルにはもう少し我慢してもらうしかない。


 その後の展開は非常に退屈なものだった。ジャンヌに対する異端の疑いがあることについてクルーセルが様々な専門家と交わした書簡の内容が次々と読み上げられ、この裁判がいかに適正な手続きに基づいて行われるものであるのかを強調していく。まさしく出来レースといった内容だ。


 ただひとつだけ、引っかかるのは本来なら許可を得る必要があると思われるクレオパトラとのやり取りが全くないことだった。この点は反論する際の大きな材料になりそうだ。もちろん、判事側もそのことはわかっているはずだが、あえて触れないようにしているのだろう。


 公証人や法廷補佐官、執行官など裁判スタッフの任命状が読み上げられ極めて形式的な裁判が進んでいく。この辺は近代の裁判に似ているなと思った。出席者の大多数は発言せず、決まったことに同意していくだけだ。こうやってジャンヌ本人が召喚されるまでに外堀が埋められていくのだろう。


 結局、史実と変わりない異端裁判が進み、初日の予備審理は終了した。コーションはほとんど発言することなく、クルーセルが進行を取り仕切ったのだった。コーションは公平な裁判にすると約束したのに本当に守る気があるのだろうか?


 予備審理の終了が宣言され、裁判の参加者が帰っていく。俺とジルは目立たないようにフードを被りパリ市内を移動してタンプル塔へと向かった。塔の入り口では修道士のフードを被ったコーションが待っていた。ジャンヌとの面会という約束を果たすためだ。


「さあ、こっちへ」


 周りを気にしながら前回同様、主塔の3階へ上る。コーションは木の扉の前にいる守衛に鍵を開けるように指示した。扉が開くとジルが俺を押しのけて部屋のなかへ入る。


「ジャンヌ!」


 ジルの声が薄暗い部屋のなかで響いた。返事はない。俺はジルに続いて部屋に入った。部屋の中央にはひざまずいて祈りを捧げる少女の姿があった。


「ジャンヌ! 俺だ! ジルだ」


 ジャンヌは祈りを終えると立ち上がりこちらを振り返った。その瞬間、俺は強烈なデジャヴに襲われた。目の前にいるジャンヌの穏やかな表情に見覚えがあったのだ。


「ああ、ジル。我が友よ」


 ジャンヌの透き通った声が答えた。


「ジャンヌ……、俺は……、俺は……」


 ジルの体がブルブルと震えているのがわかった。


「よいのですよ。あなたは何も悪くありません。さあ、こちらへ」


 ジルは言われるがまま、ジャンヌの前まで進み出るとひざまずいた。一体何が起こっている? 俺は説明を求めようとコーションの方を振り返る。コーションは俺の視線に気が付くとゆっくりと首を振る。


 ジャンヌが、ひざまずいたジルの頭に手のひらをかざす。とたんにまばゆい光が部屋に満ち溢れた。俺は思い出した。ジャンヌが天使ペリエルの電撃から俺を守ったときに感じたあの感触。間近でジャンヌをみたときに思わず俺は心のなかでつぶやいたのだった。


 ――聖女


 もしかしてアイヒがポンコツ天使から聖女へジョブチェンジしたのか? 光が収まるとジルはジャンヌを恍惚の表情で見上げていた。


「レオ、来てくれたのですね。私の〇〇」


 〇〇の部分はよく聞き取れなかった。ジャンヌが俺を手招きする。ふらふらと足が勝手に歩きだそうとする。俺は猛烈な恐怖に襲われた。気が付くと部屋を飛び出して階段を駆け下りていた。今見たものは夢じゃないのか? そうだ夢に違いない。そう自分に言い聞かせた。


 いつの間にか、コーションが横に立っている。


「あなたの知っているアイヒさんとは違いましたか?」


 コーションは静かにそう言った。


 


 

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