第138話 フィリップ善良公

【パリのレオ・ルグラン④】


 予備審理の開始までまだ少し時間がある。裁判に備えて準備を行うことは可能だろう。まず俺は、フランス東インド会社のネットワークを使って、ローマ帝国とイタリア反乱軍の戦いについて情報を収集した。社員からの報告によると、反乱の火の手はフィレンツェで上がり、ミラノ、ヴェネツィアへ拡がったという。


 クレオパトラは支配下にある各国へ討伐軍を派遣するように指示したが、動きが鈍いという。仕方なくもともとクレオパトラの挙兵時に付き従っていた、暗殺教団を母体に設立された騎士修道会の兵士で応戦しているらしい。


 俺はフランス東インド会社の株式を売り出すことにした。また株式で集めた資金をローマ帝国へ融資することを同時に宣言したのだった。前の世界線だったら株式ってなに? という感じになってとてもビジネスにはならなかっただろうが、今の世界線ではローマ帝国が独自の経済圏を作っておりすでに株式が流通していた。そしてなんと都合のいいことかブルゴーニュ公国のフィリップ善良公が物好きで株式投資を始めていたのだった。


 フランス東インド会社はローマ帝国に融資するのだから、フランス東インド会社の株式を買うということは間接的にローマ帝国へ投資することになる。つまりローマ帝国が反乱を鎮圧することに賭けるということになるのだ。


 現在(1430年)のフランスで最も裕福なのはブルゴーニュ公国だろう。ヘゲモニー国家という考え方がある。工業・商業・金融業など全ての項目で他の国を凌駕する国のことだ。覇権国家と言い換えてもいいかもしれない。アメリカの社会学者イマニュエル・ウォーラーステインは、歴史上のヘゲモニー国家としてオランダ、イギリス、アメリカを挙げた。


 上記の3カ国のうち最初に覇権を握ったのはオランダだった。オランダがネーデルラント連邦共和国として建国を宣言したのが1581年のことだ。先に紹介したチューリップバブルが発生したのが1636年なのでまだまだ遥か未来の話になる。では1430年である現在のオランダはどうなっているのか?


 中世のオランダは中央部にユトレヒト司教領、西側沿岸部をホラント伯領、東側をヘルレ伯領、北部にフリースラントと呼ばれる地域がそれぞれ存在して互いに争っていた。このうちホラント伯領が次第に勢力を伸ばしていく。ホラント伯家は1299年に断絶し、その後エノー伯家、バイエルン伯家と引き継がれていくのだが、このバイエルン伯家、最後の領主ウィレム6世のひとり娘ヤコバから権力を奪い取ったのが、ヤコバの従兄妹にあたるブルゴーニュ侯家のフィリップ善良公なのである。


 説明が長くなってしまったが、やがて世界の覇権を握るオランダを含む広大な領土を支配しつつあるのがブルゴーニュ公国ということだ。厄介なことに俺たちの王、シャルル7世とブルゴーニュ公国は敵対している。シャルル王がフィリップ善良公のお父さん、ジャン無畏公むいこうを暗殺してしまったからだ。


 無畏公むいこうとか善良公ぜんりょうこうというあだ名が気になるだろうか? ジャン無畏公むいこうは、1396年オスマン帝国を攻撃したニコポリス十字軍に参加したが、敵陣に突撃して捕虜になった。その勇猛さ(無謀さ)からおそれが無い(怖いもの知らず)=無畏と呼ばれるようになった。


 一方、フィリップ善良公は、怒るとこわいが謝るとすぐに許してしまったからとか、美味しい料理が好きだったからとか、愛人が多かったから? とか言われている。なんかしっくりこないあだ名だ。ジャンヌがオルレアンを解放し、シャルル王がランスで戴冠するとフィリップ善良公とシャルル王の関係は改善し始めた。


 シャルル王は使節を派遣して休戦協定を結び、関係が急速に改善し始めている。しかも善良公はイングランドとネーデルラントを巡って争いを起こし、関係が悪化しつつあった。自国の安定を望む善良公はローマ帝国が崩壊して世界が不安定になることを望んでいないと俺は予想した。


 俺はオルレアン支社長であるテオをブルゴーニュ公国の首都であるディジョンへ派遣して、善良公に東インド会社の株式を買うよう交渉させた。交渉は成功し善良公は株式を買ってくれた、また獲得したばかりのネーデルラントの主要都市、ブリュッセルに株式売買の市場を開設すること約束してくれたのだった。


 善良公の動きを嗅ぎつけた諸侯や商人たちが少しづつフランス東インド会社の株式を買い始め、株価が上昇を始めた。後はローマ帝国への融資を実行に移すだけだ。俺はその仕事はジャックに任せることにした。商人としての経験とネットワークを持つジャックならうまくやり遂げてくれるだろう。


 こうして経済的な準備を整えると、俺は異端裁判への対応を開始した。まずはジャンヌへ有利な証言をしてくれる証人を集めることと、裁判へ参加することが予想されるカトリック勢力への切り崩し工作を実行することにした。


 俺は以前の旅で知り合いになったトゥールのモロー司教とフーリエ司祭、そしてオルレアンのラ・トゥール司祭へ協力を依頼する書簡を送った。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る