第136話 啓蒙思想
【パリのレオ・ルグラン②】
「確かに、俺は君の運命を知っていた。だがその運命を変えることが俺の使命なんだ」
「あなたの使命?」
神様の声を聞いたジャンヌなら、俺も神の声を聞いたと説明しても信じてもらえるだろう。俺はそう考えていた。
「なら、なぜ本当の事を教えてくださらなかったのです?」
「それは……」
なんと答えればいいのか? 天使から口止めされていた。伝えても信じてもらえないと思った。教えることでさらに歴史が変わってしまうのを避けたかった。どれもこれも言い訳にしか聞こえない上に全てをばらすことに繋がってしまう。ジャンヌを救うと言っても所詮、ジャンヌがオルレアンを解放し、シャルル王を戴冠させた後の話だ。やることはやってもらい最悪の事態は避ける。都合のいい話ではないか。
それに……と思う。近頃の俺はバブルを起こすことに気を取られていた。己の欲望を叶えることを優先していた。もしかしたらジャンヌに見透かされていたのかもしれない。
「わかっています。あなたを責めても仕方ないことは。シャルル王をお救いするという本来の使命はすでに果たされています。私は次に進まなければなりません。私と言う存在、
「ジャンヌ、君はいったい何をしようとしてるんだ……?」
ジャンヌの真意がわからず、俺はしぼりだすように聞いた。コーションは俺の質問には答えず、机の引き出しを開けると1冊の本を取り出した。この時代の本とは明らかに違う装丁の本だった。コーションは私に見えるように本を差し出した。差し出された本のタイトルは――
『社会契約論』
著者はジャン・ジャック・ルソーとある。
そうか……とうとうこれを読んだのか? シモン司祭になりすました天使ペリエルが、本来この時代に存在しないはずの本をジャンヌへ与えていたことは知っている。マリー・アントワネットを救えなかったペリエルが自分の後悔の念を果たすために暴走した結果だ。
だが、ものには限度というものがある。もちろん、この本をジャンヌへ与えたのがペリエルとは限らないのだが。
「理想の世界とは何でしょう? 私は神様へお祈りをして日々を感謝して生きていれば、私の罪が許され救われると信じていました。ですが神様は私に文字を学ぶようにおっしゃいました。レオ、あなたのおかげで私はイタリアへ行くこともできました。フィレンツェは理想の世界だったでしょうか?」
ジャンヌの言葉はまるで自分へ問いかけているかのようだ。
「私はずっと考えていました。なぜ乙女ジャンヌが必要とされたのかと。なぜオルレアンは包囲されたのかと。そしてなぜパリは私を拒絶したのかと。答えはでません。悩んでいた私はこの本を手に入れました。レオ、あなたはこの本を読んだことがありますか?」
現代人である俺は、いわゆる『啓蒙思想』について学校で学んでいる。そしてそれを当たり前の感覚として受け入れている。啓蒙思想とは、全ての人間が共通の理性を持っており、世の中の法則をその理性によって理解できるとする考え方だ。なんだか難しいように思えるが、別の言い方をするとキリスト教会の権威や古臭い封建主義を否定して人間が本来持っている理性で世の中の仕組みを作っていこうという考え方なのだ。
そして代表的な啓蒙思想家のひとりがジャン・ジャック・ルソーである。ちなみにあとふたり、ジョン・ロック、シャルル・ド・モンテスキューを加えて3大啓蒙思想家とされる。
「ああ、あるとも。だがこれを君が読めるはずはないんだ、ジャンヌ」
「理解しています、レオ。ドンレミ村の教会にあったあの白い部屋。あそこはおそらく人間が足を踏み入れてはならない世界だったのでしょう。あなたが社長を務めている東インド会社は、白い部屋で聖遺物を探すことを目的としていると聞きました。その聖遺物を使って、あなたは自分の夢を実現させようとしているのですね?」
俺は思わず息をのんだ。ジャンヌは俺がバブルを引き起こそうとしていることに気づいているのか?
「俺の夢が何なのか、知っているのか?」
「いえ、何となくそう思っただけです。あなたは、お金に対して強い執着を持っているように感じます。知識を得た今ならわかるのですが、とても私たちと同じ感覚を持っているとは思えないのです。フィレンツェのコジモさんは、とても進んだ感覚を持った人物でした。ですがそれでも古い価値観にとらわれている部分があると感じました。レオ、あなたにはそれを感じないのです」
俺は少し安心した、まだ俺が未来人だとはばれていないようだ。今のジャンヌであれば、俺の正体を受け入れてくれるだけの知識と余裕があるのかもしれない。それでも正体をばらすことは非常に危険な賭けと言わざるを得ない。
「俺の夢はお金の力で世の中を変えることだ」
「……世の中を変える?」
コーションは噛みしめるように俺の言葉を繰り返す。青い瞳はどこか遠くを見ているように感じた。
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