第134話 荒廃したパリ

【オルレアンのレオ・ルグラン】


 ラ・トゥール司祭の話によるとクレオパトラの気まぐれで、ピエレット・コーションという修道女がパリ大学の学長に抜擢されたという。もちろん女性を学長にすることには、カトリック教会内部で反対意見があり、かなりもめたらしい。


 だが、ローマ帝国はカトリック教会に巨額の寄付を行っており、反対派の意見は封じ込められたのだった。


「新たな動きとして……」


 ラ・トゥール司祭は言葉を続けた。


「コーションが乙女の予備審問を開始する旨の書簡を、関係部署に送付したとの情報が入っております」


「なんですって!」


 俺は思わず大きな声をあげた。ローマ帝国とシャルル王との間でジャンヌの安全を保証する覚え書きが取り交わされたことをコーションは知らないのだろうか?


 それとも知っていながら、クレオパトラの命令を無視して裁判を開始しようとしているのか?


 いずれにしろ覚え書きの存在を根拠に、コーションの動きを止めなければならない。


「ラ・トゥール司祭、どうしたらコーションと会うことが出きるでしょうか?」


 俺の問いにラ・トゥール司祭は難しい顔をしてから答えた。


「おなじカトリック教会とはいえ、オルレアン司教区とパリ大学は対立関係にあります。書簡を送って面談を申し込むことはできますが、コーションが受けるかどうかは分かりません」


「乙女ジャンヌを救いたいのです。ラ・トゥール様からコーションに書簡を送っていただけないでしょうか? レオ・ルグランが面会を求めていると」


 ラ・トゥール司祭はしばらく考えていたが、やがてふぅーと息を吐き出して言った。


「わかりました、やってみましょう。乙女ジャンヌはこのオルレアンの恩人なのですから」


 カトリック教会として複雑な思いはあるが、やはりイングランドから町を救ってもらったという恩は感じているのだろう。俺はほっと胸をなでおろした。


 ラ・トゥール司祭からの知らせを待つ間、俺たち3人はオルレアンの宿に滞在することにした。


 二週間後、ラ・トゥール司祭から宿へ書簡が届いた。コーションから面談を受け入れるとの返事があったとのことだった。


 よかった。これで交渉の余地ができた。


 コーションからの書簡によると、面談の場所はフィリップ・オーギュストの市壁に近い、ソルボンヌ学寮にするとのことだった。クレオパトラとの交渉がセーヌ川右岸だったのに対して、今回はセーヌ川の左岸になる。左岸地区はパリ大学の大きな影響力を持つ地域だ。まわりは敵だらけで油断できない旅になりそうだ。


 俺たち3人はオルレアンを出発し、パリ市南側のイッシー門から市内へ入った。パリ市内に入った俺たちはゴミが散らばる汚い通りを進んだ。ジャンヌのパリ奪還は失敗したのだが、パリ市の周辺ではフランス兵たちが略奪を働き、イングランド兵との小競り合いが絶えない。


 パリでは食料や薪など生活必需品が不足して物価がどんどん上がっている。しかも市内にいるイングランド兵も決して市民の味方というわけではなく、あちらこちらで略奪を働いている。通りには物乞いの姿が多く見られた。


 食べるものがないのでパリを逃げ出す市民が後を経たないのだ。


「こりゃ、ヒドいな」


 テオがあたりに充満している悪臭に顔をしかめながら言った。


「ここに比べたらフィレンツェは天国だったな」


 俺はそう答えたが、フィレンツェどころではない。今まで俺が旅してきたロワール川沿いの都市、そのどれもがこのパリ比べればはるかにマシだ。パリはこの後の歴史で1436年、我らがシャルル7世によって奪還されるのだが、彼がこの汚い町に住み着くことはなかった。


 目的のソルボンヌ学寮は石造りの美しい建物だった。現在ではフランスを代表する大学として名をはせるソルボンヌ大学だが、それ歴史は非常に古い。1259年、フランスの司祭だったロベール・ド・ソルボンは貧しい神学部の学生のためにパリ大学神学部を創設した。それはソルボンヌ学寮と呼ばれ現在のソルボンヌ大学に続いている。


 アーチ型の門で修道士が俺たちを出迎えてくれた。


「コーション様、ルグラン様がいらっしゃいました」


「お入りください」


 修道士の呼びかけに対して張りのある女性の声が答える。修道士に案内されて入った部屋はコーションの執務室のようだった。俺たちを出迎えたのは若いシスターだ。青い瞳に高い鼻、形の良い唇が目を引く。


 部屋の中央に長机があり、俺たちとコーションは向かい合って座った。


「フランス東インド会社、社長のレオ・ルグランです」


 俺、テオ、レオンがそれぞれ名乗る。


「パリ大学、学長のピエレット・コーションです」


 コーションが名乗り、俺を青い瞳でじっと見つめた。いや、この感じなんだか懐かしいような。俺は胸が高鳴るのを感じる。コーションとは初対面のはずだが、なんだか以前に会ったことがあるような気がするのだ。


「ラ・トゥール司祭からお手紙をいただきました。乙女のことで私にお話があるとのことでしたね」


 そう言ってコーションは微笑んだ。

 

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