第128話 クレオパトラの悩み

「お前たちもフィレンツェでの記憶があるのかしら?」


 クレオパトラは、こちらを振り向くといきなり言った。


「俺もレオもしっかり覚えているよ」


 テオが答えるとクレオパトラは、目の前の本棚から本を一冊抜き取るとこちらに掲げて見せた。


「あのピュセルはたいした玉だったわ」


「どういう意味だ?」


 クレオパトラの言っている意味が理解出来ず俺は聞き返す。


「あの女がコジモに渡したこの本は偽物だったの。本物のヘルメス文書は他にある」


「なんだって!」


 俺は耳を疑った。本物だから反作用が作動して望みが叶ったのではないか。いや待て、望みは不完全な形でしか叶っていない。もしかしてジャンヌは最初からそれを狙っていたというのか?


「いいわ。百聞は一見に如かずよ。今見せてあげる」


 クレオパトラは振り向くと「出ておいで」と言った。本棚の影から一人の男が姿を現す。サルっぽい顔のがっしりした体格の男。カエサルだ。相変わらず無表情のままこちらに近づくとクレオパトラのとなりで立ち止まった。


「ママ、ことひとたちはだれ?」


 カエサルが発した言葉を聞いて俺とテオは顔を見合わせた。ママだって?


「ママのお友達よ。ご挨拶なさい」


 カエサルはこちらを向いてニッコリと笑顔になり「こんにちは」と言った。


「こんにちは」


 俺とテオも戸惑いながら挨拶を返す。カエサルはキラキラした瞳でこちらを見つめている。


「よくできたわね。ママたちは大事なお話があるの。あちらで遊んでなさい」


「うん、わかった」


 カエサルは無邪気な返事とともに走り去って行った。


「理解できたかしら?」


 なんとなく事情は理解できた。クレオパトラはカエサルの復活には成功したものの外見は大人でも中身は子供のカエサルだったというところだろう。


「いいじゃないか。君の好みのカエサルに育てることができるぞ」


 俺は皮肉をこめて言った。


「バカ言わないで、カエサリオンの二の舞になるのがおちだわ」


 カエサルとクレオパトラの子、カエサリオンはプトレマイオス15世としてエジプトのファラオとなった。だがクレオパトラの死後、ローマ帝国の初代皇帝であるオクタウィアヌスに殺された。


「お前は、俺たちがやっていることはゲームだって言ったな? 俺はジャンヌを救済するように指示されたんだ。お前の目的は違うのか?」


「ゲームの目的は変わってないと思うわ。ジャンヌの救済。でもね、ジャンヌ自身がゲームのルールを変えようとしてる。すでにルートが変わっている可能性があるの」


「お前はゲームのルートが『聖杯ルート』に変わったと言ったよな。今は『聖杯ルート』じゃない可能性があるって言うのか?」


「私にもわからないわよ。私は聖杯の力でカエサルにもう一度会えればそれでよかったの。見た目だけじゃなくて中身も本物のカエサルにね。でもね、見たでしょう。ヘルメス文書が偽物だったということは中に入っていた聖杯、そしてロンギヌスの槍も偽物だったってこと。だからこんな不十分な結果になったのよ」


 クレオパトラは早口にまくしたてた。


「ジャンヌはイングランドに捕らえられたんだ。ジャンヌと会って真実を聞いたのか?」


「ええ、もちろん会って話をしたわ」


 クレオパトラはそこで言葉を切った。俺は彼女の次の言葉を待ったが意味ありげにこちらを見ているだけだった。


「何か問題があるんだな?」


 しびれを切らして俺は聞いた。


「これ以上は敵であるあなたたちに情報を与えられないわ。明日、大広間で第二回目の交渉を行うわ。そこで私は、次回ブールジュで包括的な和平の交渉を行うよう提案するつもりよ。そしてその交渉が始まるまでの間、乙女ピュセルの安全は保証すると提案するわ」


「交渉の内容を事前に漏らしていいのか?」


「もちろんリスクは承知のうえよ。その上でルグラン、あなたにはこの内容でシャルルに伝えて検討すると答えて欲しい。ジル元帥が騒ぎ出すと困るの。あの男は何をしでかすかわからないから。できるかしら?」


「ちょっと待てよ。ジャンヌ解放の話は棚上げにして和平交渉に持ち込むって言うのか? ジルが納得するはずないぞ」


 俺が口を開く前にテオが反論した。


「あら、意外なことを言うのね。裏交渉はあなたの得意分野でしょ、テオ・ダンディーニ」


 強烈な皮肉だった。やはりクレオパトラはテオが自分を裏切ったことを根に持っているのだ。テオはうぐぐと苦虫を噛み殺したような顔になった。


「もちろんタダでとは言わないわ。もし交渉がうまくまとまったら乙女ピュセルに会わせてあげる」


 ジャンヌに会わせてあげる、クレオパトラの切った交渉のカードは強力だ。俺はなんとかすると答えるしかなかった。


「それからもう一つ条件がある。俺の妻アイヒヘルンの返還についてだ」


「ああ、そのこと……」


 クレオパトラは興味なさそうに言った。


「居場所を知っているのか?」


「知らないわ。でも部下に探すように命じて居場所がわかったらあんたに伝えると約束する。それでどう?」


「わかった。お願いする」


 クレオパトラとの話は終わった。俺はテオと、ジルをどうやって説得するか話し合った後、控え室へと戻った。


 

 

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