第127話 “皇帝”カエサル

 俺はクレオパトラの後ろをついてくる男の顔を凝視した。ちょっと猿っぽい顔の愛嬌のある顔に感じた。


 ――まさかこいつがカエサルか?


 2008年、フランス、ローヌ川の川底からカエサルのものとしては世界最古の胸像が発見された。ローマ皇帝に限らず後世に残る支配者の像や肖像画はかなり美化されている。ローヌ川から引き上げられた胸像も俺のイメージとはかなり違っていた。世間一般的なイメージとしては堂々とした濃い顔のイケメンだと思うのだが、実際は違ったのだろうか?


 クレオパトラと男は俺たちの正面に腰を下ろした。


「お待たせしましたね。私がクレオパトラです。こちらは夫のカエサルです」


 クレオパトラの態度に俺はちょっとした違和感を感じた。彼女は『皇帝の』ではなく『夫の』と言ったのだ。当のカエサルは何も言葉を発さない。ただこちらをじっと眺めているだけだ。ジル、俺、テオの順番で自己紹介をする。テオに対してクレオパトラが何か反応を示すのではないかと観察していたが彼女の表情に変化はない。


「今日の議題は、乙女ピュセルの処遇についてでしたね。それでシャルル王はなんと?」


 クレオパトラは穏やかな口調で切り出した。


「陛下はジャンヌの返還を求めていらっしゃいます。捕虜返還の通例にのっとり、身代金との交換を要求いたします」


「身代金の額はいかほどですの?」


「12,500リーヴルです」


 俺はジルとの打ち合わせ通り、提示できる最大の額を伝えた。


「シャルル王は、乙女ピュセルにそれほどの価値があるとお考えなのかしら?」


 クレオパトラはまるで独り言のように言う。


「もちろんです。彼女は陛下のために身を賭して戦ったのですから」


「パリの市民はそう思っていないでしょうね。イカれた田舎娘がパリを破壊しに来た。そう思ったからこそ必死に抵抗した。そうでしょう?」


 あからさまなクレオパトラの挑発に俺は思わずジルの方を見た。ジルは表情こそ平静を装っていたが、机に置いた拳に力が入っているのがわかった。


「皇后様、あなたがパリ市民へ寛大な態度で接していらっしゃるのはよく存じています。だからこそシャルル陛下は身代金をパリ市民のためにお役立ていただきたいと考えているのです」


 クレオパトラがパリに思い入れなどないのはわかっている。安易な挑発に乗って感情的になったら負けだ。


「ジャンヌは今どこにいるんです? 会って話がしたい」


 ジルが突然口を開いたので俺はギョッとした。やはり挑発が効いていたのか。


「乙女の居場所がわかったら襲われる可能性があるでしょ。教えられないわ」


 クレオパトラはあっさりと言った。ジルが力ずくでジャンヌを奪還しようとしていることに気が付いているのかもしれない。


「皇后様、こちらは身代金という条件を提示した。何かしらの返答をいただきたい」


 俺はこれ以上話がそれるのを防ぐためにキッパリとした口調で言った。


「わかったわ。内部で協議をするので一旦休憩にしましょう」


 クレオパトラたちローマ帝国の交渉団は大広間を出て行った。結局、カエサルは一言も口を開かなかった。俺、ジル、テオの3人も大広間を出て案内された控えの間へ向かう。


 控え室へ向かう途中、テオが目で合図を送ってきた。周りに悟られずに何かを伝えたいのだろう。


「そういえば書庫の塔を見せてもらえることになってるのですが、聞いてませんか?」


 テオが控え室へ案内してくれたルーヴル宮殿の使用人の男へ言った。


「書庫の塔? いえ聞いておりませんが」


 使用人は首をかしげる。


「そうだ、そうだ、それを楽しみにしてたんだよ。塔へ案内してもらえますか?」


 テオに合わせて俺も芝居をすることにした。


「申し訳ありませんが勝手にご案内することは出来ません。皇后様に確認して参りますのでこちらでお待ち頂けますか?」


 使用人はそう言って控え室を出て行った。


「交渉に来て宮殿の見学とはいい気なものだな」


 ジルがあきれたように言った。


「もしかしたら錬金術に関する書物もあるかもしれないぞ。君も興味あるだろ。ジル」


「いや、俺は遠慮しとくよ。そんな気分じゃないからね」


 ジルが俺も行くと言うのではないかと内心ドキドキしていたので正直ホッとした。


「皇后様に確認したところ、おふたりを『鷹狩りの塔』へ案内するようにとのことでした。ご案内いたします」


 しばらくして使用人が返って来て俺たちに言った。


 なるほど、テオとクレオパトラとの間で話はついていたようだ。俺とテオは使用人に連れられて住居棟の廊下を北上する。


「こちらが『鷹狩りの塔』です。どうぞお入りください」


 使用人に木製の扉を開けてもらい、俺たちは塔の内部へ足を踏み入れた。塔の内部は木材で覆われており棚には本が平積みになっている。本は大量にあるので、史実とは違いベッドフォード公には売られなかったのかもしれない。ふと気が付くと案内役の使用人は姿を消していた。


 燭台に置かれた蝋燭の炎が揺らめいて、前方の壁に人の影が映っているのに気が付いた。影の正体を確かめようと壁に沿って進むと本棚の方を向いて立っている女が見える。


 ――クレオパトラだ。


 

 

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