第124話 トレモイユとリッシュモン
「トレモイユ殿、あのクレオパトラと言われますが、あの女はかつてのエジプト女王クレオパトラ7世ではないのです。あの女は以前、イタリアのフィレンツェにいたとの情報があります」
「ほう、あの女の過去を知っていると?」
「テオ・ダンディーニはイタリアのフィレンツェでクレオパトラと仕事をともにしたことがあるのです」
この世界線でのことは知らないがテオには前の世界線の記憶があるのだから同じことだろう。
トレモイユは疑うような上目遣いでこちらを見た。
「フィレンツェでいっしょに仕事をしていただと? そのうちひとりがローマ帝国の妃でもうひとりがフランス東インド会社のオルレアン支社長になったというのかね? 全く信じられん」
トレモイユが言うことももっともだ。反作用で歴史が変わってそうなっているだけで普通ならおこらない事象だと、俺も思う。だがここはトレモイユを納得させなければならない。
「クレオパトラがカエサルに取り入った方法は知りませんが、テオはイタリア商人に強力なコネクションがある優秀な商人です。だから支社長に採用したのです」
「もしダンディーニ支社長がクレオパトラと顔見知りっていうならローマ帝国へ我が国の情報を流す可能性もあるよね?」
話に割って入ったのはジル・ド・レだった。肩まである長い髪に口ひげを生やした優男というのが俺のイメージだったが、目の前にいるジルは口ひげを生やしていない。口調にもトレモイユと違い強い敵意が感じられない。
「それはありません。テオは信頼できる男です。我が国に利益のために働いてくれるでしょう」
「ふーん、ずいぶんとダンディーニ支社長のことを信頼してるんだね。でもね。困るんだよね。交渉に失敗してもらったら。ジャンヌが裁判にかけられちゃうからね。それだけは阻止しないとね」
ジルの言葉にはジャンヌを救いたいという私情が透けて見えた。
「ジル殿、貴殿も交渉に同行するのはどうだ?」
唐突にシャルル王が口を開いた。おそらく俺たちが言い争うのを見てめんどくさくなったのだろう。だがこのサイコパス野郎と一緒にパリに行くのは怖すぎる。なんとか拒否しないとな。
「お言葉ですが、陛下。ジル殿は我が国の元帥です。ジル殿に万が一のことがあったらイングランドとの戦いに大きな支障をきたすでしょう」
俺はジルが答える前に異議を唱えた。
「俺の代わりはいくらでもいるよ。なんならリッシュモンを呼び戻してもいい」
ジルが発したリッシュモンという名前を聞いて、トレモイユは顔色を変え、シャルル王は眉根を寄せた。
アルテュール・ド・リッシュモン。トレモイユのライバルとも言える男だ。ブルターニュ公ジャン4世の息子であるこの男はブルゴーニュで育ち、このブールジュを発展させたベリー公ジャン1世※に見出された。フランスの宮廷がブルゴーニュ派とアルマニャック派に分裂した後はアルマニャック派として戦っている。
※注……第4話「ブールジュの町」参照
その後、リッシュモンはアザンクールの戦いで負傷して捕られイングランドへ送られた。1420年に解放された後はブルゴーニュ、ブルターニュ、イングランドの間で関係を強化するために動いていた。この辺の関係はとても複雑なので分かりにくいだろう。要するにフランスといっても我々の王であるシャルル7世のヴァロワ家とブルゴーニュ公国、ブルターニュ公国がそれぞれ領土を保持しておりバラバラだったということだ。リッシュモンはそのいずれにも顔がきく人物だったのだ。
その後、リッシュモンは1424年、イングランドのベッドフォード公と仲たがいしイングランドと決別する。リッシュモンはシャルル7世の義理の母であるヨランド・ダラゴン※の計らいで1425年、フランス元帥となる。ここでやっとトレモイユが出てくる。リッシュモンはトレモイユと手を組みシャルル7世の宮廷を牛耳っていたピエール・ド・ジアックやカミュ・ド・ボーリユを処刑した。
※注……第10話「ヨランド・ダラゴン」参照
問題はここからで、一度は手を組んだリッシュモンとトレモイユだったが、陰謀ではトレモイユの方が一枚上だったようだ。トレモイユはリッシュモンを追放することに成功する。リッシュモンの頑固な性格がシャルル7世や側近たちに嫌われていたのが大きな原因だと言える。
この後の歴史においてリッシュモンはトレモイユを追放し大逆転の復活を遂げるのだが、それが今から3年後の1433年のことだ。果たして史実通りになるのだろうか? いずれにしろジルがリッシュモンの名前を出してシャルル王とトレモイユが嫌な顔をしたのは当たり前だろう。
「おいジル! バカなことを言うな」
トレモイユがジルをたしなめるが、ジルは気にする様子はない。もしかしてむちゃくちゃマイペースな性格なのか?
「もうよい。パリにはジル元帥、ルグラン社長、ダンディーニ支社長の3名で行ってくれ」
シャルル王がうんざりとした調子で言った。
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