第116話 地獄の扉

 聖杯ルートへの変更? いったい何をいっているんだ?


 俺がクレオパトラを問いただそうと口を開きかけたその時。腰の袋に入った天使ノートがぶるぶると震えた。新着のメッセージだ。


『聖杯を聖女の血で満たせ、さすれば汝の望みはかなうであろう』


 俺はメッセージを見て頭がクラクラした。


「指示がきたんでしょ、ルグラン。早くやりなさい!」


 クレオパトラが俺に向けて叫ぶ。


 聖女とはジャンヌのことだろう。聖杯を満たすにはかなりの量の血液が必要だ。つまりはナイフでジャンヌを傷つける必要がある。そんなことするものか。


「断わる!」


 俺は叫んだ。とたんに天使ノートが震える。


『ミッションを変更する場合は3ページへ進め』


 俺はノートの3ページを開く。


『ミッションの変更:聖杯を天使の血で満たせ、さすれば汝の望みはかなうであろう』


 天使ノートは、俺がミッションを拒否したのでミッションを変更したのだ。


 なんてこった! 思わず叫びたくなる。今度は天使の血つまりアイヒの血を要求しやがった。


「断わる!」


 アイヒを刺すことなんかできない。できるわけない。


『ミッションを変更する場合は3ページへ進め』


 またもや同じメッセージが現れた。ここで俺は重要な事実を思い出した。ミッションの変更は3回までしかできない。もし4回目の変更をしたら、ノートの50ページに進まなければならない。そして事前に確認した50ページには次のように書かれていた。


 『あなたはミッションに失敗した。地獄への扉が開きあなたは呑み込まれる』


 そうだ、そうだった。調子に乗って2回もミッションを変更してしまった。過去に1回変更しているのでこれで3回目だ。あと1回の変更で地獄行きになるのだ。


 俺がおそるおそるノートの3ページを開けようとしたその時だった。


 誰かが全速力で突進してきて俺に体当たりした。不意をつかれた俺は地面に倒れこむ。何とか顔を上げて何が起こったのか確認する。


 突進してきたのはコジモだった。コジモはヘルメス文書のなかからナイフを取りだすと方向を変えジャンヌに向かって走りだした。


「愚か者め! 俺がやる!」


 何かにとりつかれたようにコジモの目は血走っていた。


「プラトンだ! 俺はプラトンになるのだ!」


 コジモは晩年、プラトン哲学に傾倒していたという。まさか自らがプラトンに生まれ変わろうというのか?


「コジモ、やめなさい!」


 クレオパトラが叫んだ。


 俺は何とか立ち上がりコジモの後を追う。


「ジャンヌ、逃げろ!」


 ジャンヌは呆然と立ち尽くしていた。まさか恐怖で動けないのか?


 コジモがナイフを構えてジャンヌに突っ込んでいく。ダメだ間に合わない。


 その時、俺は信じられない光景を目にした。


 ジャンヌが両手をひろげている。その姿はまるで十字架に掛けられたキリストのようだった。


 コジモの突き出したナイフがジャンヌの脇腹に突き立てられた瞬間、まばゆい光がジャンヌを包みこんだ。光はどんどん広がり白い部屋全体を覆っていく。何が起こっているのか、どうなってしまうのか予想もつかない。


 ものすごい突風が吹き付け、俺は地面に転がされる。いつの間にか手には天使ノートが握りしめられていた。風でノートのページがめくれて3ページが開いた。


『ジャンヌを救え』


 これが変更された最後のミッションだった。


 俺はミッションに失敗したのだ。


 いきなり足元の地面がなくなったように感じた。ふわりと浮かんでいるような不思議な感覚。かつて白い部屋から中世フランスに転生したときのように、白い雲の中をどんどん落ちていく。


 そうか……地獄へ堕ちるのか。みんなはどうなるのだろう? ミッションの失敗は俺の責任だからアイヒは無事であって欲しい。ジャンヌは? 傭兵のレオンは? テオはどうなる?


 視界は白い雲で完全に塞がれ、まわりの様子はうかがい知れない。落ちるスピードが急速に早くなっていき気が遠くなる。


「みんな、ごめんな」


 俺は心のなかでそうつぶやいた。


 ※※※※※※


 どれくらい時間が経っただろう。気が付くと俺はふかふかの椅子に腰かけていた。目の前には立派なつくりの作業机がある。机には羊皮紙が置かれ、その横に羽ペンとインク壺がある。


 夢でも見ていたのだろうか?


 俺がいるのは比較的広い部屋だ。脚に装飾の入った豪奢な長方形のテーブルが中央に備えられており、向かいの壁には暖炉がある。貴族の屋敷にある広間といった感じだった。


 部屋の出入り口から男性が入ってきた。


「なんだ、眠っていたのか? 顔に跡がついているぞ」


 男は呆れた調子で言った。がっしりとした体格に日焼けした肌、人懐こい笑顔には見覚えがある。


 目の前にいる男はジャック・クールだった。初めて会った時と同じプールポワンの上着とタイツを身につけているが、上着は金糸で刺繍されておりとても高価そうだ。靴もキラキラと飾りがついている。


「あれ? ブールジュへ帰ったんじゃないのか? ジャック」


 俺は思わず尋ねた。


 ジャックは思いっきり困惑した顔になった。


「おい、寝ぼけてるのか? ここがブールジュだろ」


 まずい、何がどうなった? なぜジャックがここにいる? しかもここはブールジュなのか? 確かに俺はさっきまでイタリアのフィレンツェにいたのに。まさかここが地獄なのか?


 腰の巾着袋がブルブルと震えた。

 

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