第115話 女王の宣言

「君の望むものがふたつとも手に入ったのだろう。さあビジネスを始めようじゃないか」


 コジモはクロスボウをこちらに向けたままそう言った。


「これは何かの冗談ですよね? コジモ殿」


 俺の言葉にコジモは歪んだ笑みを浮かべた。


「冗談だと思うかね。君の提案したプレスター・ジョンの王国、それこそが冗談だろう」


 傭兵レオンを人質にとられて確実にピンチだ。コジモの横に立っていた赤いチュニックの女が口を開いた。


「私に見覚えがあるでしょう? レオ・ルグラン」


 赤いチュニック、白い頭巾、大きな青い瞳。女はとても魅力的だった。


「オルレアンの高利貸しか!」


「ご名答!」


 女はおどけたように言った。


「あんたにはたくさん借りがあるの。シノン城では上手く逃げられたし、トゥールでは私に偽物の手記をつかませた。オルレアンではミネ司祭を逃がし、ドンレミ村ではブーケを再起不能にした」


 なるほどこいつが俺たちを付け狙っていた賊の正体だったのか。


「あら? テオも一緒だったのね。気が付かなかったわ」


 あざけるような女のセリフにテオは顔をしかめた。


「お前の目的は何だ? テンプル騎士団の黄金か?」


「黄金にも、そこにある紙切れにも興味はないわ。私の目的はあんたにゲームで勝つこと」


「ゲームってどういう意味だ?」


 ゲーム? 意味がわからず俺はいら立ちを覚えた。


「あら? 知らないんだっけ? あなたはゲームのプレイヤーなのよ。参加者は私とあんた。勝者は望みをかなえることができる。ああ、ゲームの目的ね。そこにいる生意気なフランス娘を救うことよ」


 いったいどう言うことだろう? 俺は大天使ミカエル様からジャンヌを救うミッションを依頼された。依頼されたのは俺だけじゃなかったのか。しかもプレイヤー同士で競争させられていたというのか?


「おい、アイヒ! お前は事情を知っているのか?」


 アイヒは首をブンブン振った。


「知らないわよ! ミカエル様が他の人間にも声をかけていたなんて聞いてないし」


「申し訳ないが時間がない。マリア、作業を進めてくれ」


 コジモが俺たちの話をさえぎって女に言った。


「わかったわ。アイヒさん、その蝋燭を吹き消してもらえるかしら」


「ほえっ?」


 突然話しかけられてアイヒは間抜けな声をあげた。


「えっとーぉ、この蝋燭ですかー?」


「そう、囚人の手に挟まっていた蝋燭」


 アイヒの目が泳ぐ。なにか後ろめたいことがあるのだろう。


「早くしないとこの傭兵が死んじゃうかも」


 女の脅しは効果てきめんだった。アイヒは急いで蝋燭を吹き消した。


 とたんに女の全身をきらめく光が包み込んだ。強い光で直視できない。ぐるぐると渦のように光がうねる。しばらくして火花のように飛び散って光は消えた。


 女は雰囲気が変わっていた。髪型は黒髪のボブヘアとなり蛇を模した金の髪飾りをつけている。まぶたには青いアイシャドウが大きくひかれて妖艶な感じだ。服は白いワンピースを身に着けビーズでできた首飾りが襟のように巻かれていた。


 俺はこの女を知っている。直接知っているのではない、歴史上の人物として知っているのだ。


 ――クレオパトラ。正確にはクレオパトラ7世。古代エジプトの女王だ。


「久しぶりにこの格好になったわ」


 女は言った。


「レオ・ルグラン。あんたもこの時代の人間じゃあないんでしょ。私のこと知っているかしら?」


「ああ、知ってるとも。だがなんであんたがここにいる?」


「私も呼び出されたの『ある方』にね。私にはかなえたい望みがあるの。それをかなえてくれるっていうからゲームに参加することにしたわ」


「マリア、急げ!」


 コジモが苛立たしげに言った。


「わかってるわ。せっかちね。ジャンヌさん、あなたの書庫へ案内してちょうだい」


 ジャンヌはクレオパトラを鋭い目つきで睨みつけていたが、何も言わずくるりと背を向けると白い部屋を歩き出した。俺たちはその後をぞろぞろとついて行く。やがて見覚えのある巨大な書棚が見えてきた。


「おおっ! これが神の書庫か」


 コジモが興奮して叫んだ。


「ジャンヌさん、私たちが探している本はあるかしら?」


 ジャンヌは一瞬、迷ったような仕草を見せた。だがすっと手を伸ばすと一冊の本を書棚から抜き出す。


「その本をルグランに渡しなさい」


 クレオパトラは、ジャンヌに命じる。女王の威厳が感じられる言葉だった。


 ジャンヌは手に取った本を俺に差し出す。


『Copus Hermeticum』


 本の表紙にはラテン語でそう書かれていた。


 ――ヘルメス文書もんじょ


 俺は全てを悟った。ジャンヌはヘルメス文書の存在を知っていた。そしてそれが白い部屋にあることもあらかじめ知っていたのだ。


 ジャンヌから本を受け取り違和感を感じる。見た目よりかなり重かったのだ。俺は両手で本を持ち直した。


「ルグラン、その本を書見台の上で開きなさい」


 言われるまま、俺は本を書見台へ置くとページを開く。信じられないものが目に飛び込んできた。


 本のページはくり抜かれており、二つの品物が収められていた。ひとつは、ワイングラスのような形をした盃。もうひとつは装飾が施されたナイフだった。


「これはなんだ!?」


 俺はクレオパトラへ向かって叫んだ。


「あんたならわかるでしょう? テンプル騎士団が発見した聖杯とロンギヌスの槍よ。槍の方は隠すために加工してナイフになっちゃったけどね」


 クレオパトラは妖艶な笑みを浮かべて続ける。


「ゲームのルートは書き換えられた。ここに聖杯ルートの開始を宣言するっ!」

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