第112話 プレスター・ジョンの王国
「人々は何にならお金を投資するだろうな?」
「そうだな……胡椒か? 砂糖かな?」
俺の問いにテオは頭をひねりながら答える。胡椒や砂糖で大規模なバブルが起こった話は聞いたことがない。確かに貴重品ではあるので価格は高騰している。だが現物がある以上スムーズな転売や商品の引き渡しが困難だ。
「そうだな。買い占めて価格を吊り上げることはできるかもしれないが、手元にある金を手放し紙幣を使うほどの投機にはなりそうにないな」
俺の答えにテオは肩をすくめた。バブル発生にはもうひとつ大きな問題点があった。市民の間に十分な資本が蓄積されていないことだ。金をもっている一部の貴族たちだけの取引ではバブルとはなりえない。最初から値上がりを期待して転売目的で商品を買う「投機家」の存在が重要だ。
それだけではない。仮にそういった「投機家」が貴族以外にも存在するとして、その「投機家」が手持ちの資金だけ使っていたのではバブルにはならない。家や家財を担保にいれて借金してまで投資する、そういった状態になる必要がある。そしてその借金は紙幣によって行われる。ここまできて初めて紙幣が流通するのではないか?
資本の蓄積には、新しいマーケットが必要だ。
コロンブスが大西洋を横断して西インド諸島に到達したのが1492年。ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸の南端を回ってインドのカリカットに到達したのが1492年だ。まだ80年近く先の話になるがいずれ現実になるだろう。
「プレスター・ジョンを知ってるか?」
おれはテオに話を振った。
「ああ、もちろん知っているさ。どこかに存在するキリスト教の王国だろ。実在するかどうかはわからんが」
テオはいぶかしげな表情になった。
「実在することにしよう」
「なんだって!」
「俺が持ってきた金貨があるだろ。あれをプレスター・ジョンの王国から持ってきたことにするんだ」
「確かにプレスター・ジョンに関する伝説はたくさんあるがそれを大勢の人が信じるかな?」
「とにかく今は一週間後に迫ったコジモ殿との面談を乗り切ることだけを考えよう。そこでなんとかOKをもらえれば、なんとかなる」
自分でもちょっと強引かなと思った。だがもともと2週間という無理な要求だったのだ。コジモもそれが分かっているはずだ。
「よし、わかった! それでいこう」
しばらく考えていたテオだったが、最後は賛成してくれた。それから1週間はコジモへのプレゼン準備に明け暮れた。ちょっと気になったのがジャンヌとアイヒが何かに取り組んでいるようであまり話が出来なかったことだ。
特にアイヒは少しほったらかしにし過ぎたと思っていたので話をしたかったのだが、今は仕方ない。
そうこうしているうちに1週間がたち、メディチ邸へ行く日がやって来た。今回は、アイヒ、ジャンヌ、傭兵レオンを含めて全員で行くことにした。
先日と同じ執務室でコジモと俺たちは机を囲んで座っている。
「いやいや、ルグラン殿、ダンディーニ殿、ふたりを一緒に来てくれるとはありがたい。特にルグラン殿にはこちらの都合を押し付けて申し訳なかった」
笑顔で話すコジモの口調には、悪びれる様子はなかった。
「いえ、お気になさらず。私たちは案外いいコンビだということが分かりましたので、よりお役に立てることと思います」
俺もコジモに負けない営業スマイルをくりだす。コジモは満足そうにうなずいた。
「ルグラン殿、貴殿のビジネスは金や銀の代わりとして紙でお金をつくり流通させるというものだったね。紙は金や銀よりは安く製造できるしなんといっても軽くかさばらない。金や銀には限りがあるが、紙は原材料さえあればいくらでも作ることが可能だ。そういうことだったね?」
「おっしゃる通りです」
「問題は金と交換可能な紙のお金を作っても人々はすぐに金と交換してしまい、銀行から金が流出してしまうことだ。人々が紙のお金を信用しないとこのビジネスは成り立たない。さてどうするかね?」
コジモが挑むような目をこちらに向けてきた。
「プレスター・ジョンですよ!」
俺は勢いよく言った。ああこの感じ少し前にもあったな。シャルル王太子に「テンプル騎士団ですよ」と言ったときと同じ雰囲気だ。
「どこかにあるキリスト教の王国かね?」
コジモはシャルル王太子のように首をひねったりはしなかった。
「はい、そのプレスター・ジョンです。コジモ殿はプレスター・ジョンの王国があるとお考えですか?」
コジモは少し戸惑ったような表情になった。おそらく想定外の話だったのだろう。
「おそらくは存在しないだろう。だが、より東へ向かうことが出来ればもっと価値のある交易相手があると考えている」
「プレスター・ジョンの王国を探す商会を立ち上げます。出資者を募り、メディチ銀行が貸し出しを行います。ただし貸し出しは紙のお金で行われます」
少し、いやものすごく荒唐無稽だったかもしれない。コジモは少しだけ眉を上げたが黙っている。気まずい沈黙が流れた。
執務室のドアが叩かれ、沈黙が破られた。
「コジモ様、大変です!」
部屋に入ってきたコジモの部下が焦った様子で言った。
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