第110話 不気味な手

「お客様に見せたいものがあります。こちらへどうぞ」


 そう言って店主は私を手招きする。どうやらカウンター脇にある扉へ来いということらしい。


「こちらへご案内するのは特別なお客様だけなのですよ」


 店主は扉を開けると奥にある部屋へ入るよう促した。私はおそるおそる部屋の中に足を踏み入れる。部屋に窓はなく蝋燭の灯りだけで照らされている。薄暗くてよく見えない。部屋の中央に丸いテーブルと二脚の椅子があった。


「そちらの椅子へお座り下さい」


 店主に促され椅子に座り周りを見回した。壁には木製の書棚があり写本が置かれている。テーブルの上には燭台と書見台があった。書見台には一冊の本がページを開かれた状態でセットされている。


 なんだか神秘的な雰囲気ね。


「お名前をお聞きしても?」


 店主が優しい声で言った。


「アイヒヘルンです。アイヒと呼んで下さい」


「アイヒさんですね。私のことはマリアとお呼び下さい」


 燭台からの光に照らされてマリアの青い瞳がキラキラと輝いていた。吸い込まれそうになる魅力的な瞳だ。


「アイヒさん。あなたは特別な力をお持ちです。その力はもっと人々の為に使うべきだと私は思います」


「そ、それほどでも~」


 滅多に誉められないのでつい顔がにやけてしまった。


「あなたはその素晴らしい力を、自分の大切な方に使おうとされている。それはとても素晴らしいことなのです。人の為に力を使うことであなたの力は何倍にもなるのです」


 自分の大切な人? レオは私の大切な人なのだろうか? これまで下級天使として与えられた仕事を真面目に頑張ってきた。ただそれはミカエル様に命じられて人間を救うという、どこか使命感に駆られてやってきた部分がある。


 今回のミッションでは人間とともに生活して、悩んで、時にはケンカして、決して楽ではないけど充実していた。


 レオは頭でっかちで頑固で意地悪なところもあるけれど、一緒にいて楽しい。だからレオに誉めてもらいたくて、ついついやり過ぎてしまう。


 それなのにあいつは、私の気持ちを全然わかってくれない。それがとっても悲しかった。


「実はある場所はわかっても、それが何かわかりませんの」


「しかもご本人に聞くことが出来ないのですね?」


「もしかしたら本人もわかってないのかもしれませんの」


 よく考えたら無茶苦茶な依頼だ。自分たちが何を探しているのか分からないのに手に入れたいとは。


「これはあくまで噂なのですが、コジモさんは世界中から珍しい品を集めてコレクションにしていると聞きます。それらの品のなかには違法な手続きで手に入れたものもあるとか。そのなかのひとつがお探しの品なのかもしれません」


 マリアの話を聞いていると探している財宝は『聖杯』に違いないと思えてきた。


「コジモさんは譲って下さるでしょうか?」


 私の質問にマリアは首を横に振った。


「わかりません。ですがもし、あなたがどうしても手に入れたいと望むのならお見せしたいものがあります」


 そう言うとマリアは、後ろの書棚に置かれていた鉄製の箱を取り出して私の前に置いた。


「見たら少し驚かれるかもしれません。では開けますね」


 そう言ってマリアは箱の蓋を開いた。私は箱の中を覗き込んでハッと息を呑んだ。人間の手のようなものが入っていたからだ。


 マリアが燭台をかざしてよく見えるようにしてくれた。それは正確にいうと人間の手首から先の部分だ。指は握られてグーの形になっている。さらに不気味なことに人差し指と中指の間に蝋燭が差し込まれていた。


「こ、これは何ですの?」


 これはダメだ。私は怖い話や不気味なものがとにかく苦手なのだ。


「これは栄光の手ハンドオブグローリーという魔術道具です」


「魔術道具!?」


 魔術と聞いて頭がクラクラした。キリスト教は明確に魔術を禁止している。天使である私が魔術に関わるなんてダメに決まっている。


「もしかして、あなたは魔女なのですか?」


 私は反射的に聞いていた。魔女だというなら今すぐここを逃げ出そう。

 

「まさか! 違います」


 店主は即座に否定した。


「ああ、魔術道具という言い方がよくありませんでしたね。魔術とは悪魔と契約するか悪魔を使役して使うもの。それは決して許されるものではありません。この『栄光の手』はそのような危ない道具ではないのです。本物の『栄光の手』は絞首刑となった罪人から手を切り落として作ります。心配しなくてもこれは本物の手ではありません。精巧につくられた模型なのです」


 罪人の手を切り落として作るですって! 思わず鳥肌がたってしまった。


「あの、これがどう役に立つんですの?」


「はい、これは前回、ダウジングをしていただいた時に使った水晶と同じで、使った方が持っている潜在的な力を引き出す道具なのです。ですから悪魔はおろか誰の力も借りておりません。具体的には蝋燭に火をつけるとあなたの姿が他の人から見えなくなるのです」


 姿が消える! それは便利かもしれない。レオといっしょにメディチ邸へ行って姿を消せば、自由に内部を探索できる。


「でもこんな不気味な手、持ち運べませんわ」


「大丈夫ですよ。蝋燭をとりはずして使っても効果は同じです。ですから、もしよろしければ蝋燭だけお持ち帰りください」


 まあ、使うかどうかは別にして持っておいてもいいか。


「これおいくらですの?」


「フィオリーノ金貨1枚になります」


 私はテンプル騎士団の金貨と両替したフィオリーノ金貨を持っていたのでそれで支払いを済ませた。うん、いい買い物だったわ。これで準備万端ね。

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