第104話 ジャンヌの交渉術

【フィレンツェのアイヒ】


 壁に向かって左手の入り口から告解室の中へ入る。右側の部屋とは板で仕切られており小窓が取り付けてある。私は小窓に向かってひざまずき、小窓が開くのを待った。息を殺してしばらく待っているとコツコツと足音が近づいてくるのがわかった。


 告解室の向かい側にある部屋へ誰かが入ってきた。小窓が少しだけ開く。なんだか緊張してきた。


「父と子と聖霊の御名みなによって、アーメン」


 若い女性の声だった。私も慌てて同じ言葉を復唱する。


「神は回心を求めておられます。あなたの罪を告白してください」


 聞こえてくる声は優しく温かみのある声だった。よし思い切って罪を告白しちゃおう。


「私は旅の仲間に嫉妬してしまいました。またエールを飲みたいという誘惑に負けついつい飲みすぎてしまいました」


 よく考えたら女性の司祭などいないはずなのだが、この際細かいことは気にしないどこう。


「嫉妬は誰の心にも巣食う悪しき感情です。ですが、あなたは素直にその罪を告白しゆるしを求めました。そのことはとても大切なことなのです。また、自分の欲望に任せて飲み食いをすること、これはとても褒められた行いとは言えません。何事も慎み深く行うよう改善が必要ですね」


 なんだろう、女性の言葉はひとつひとつがとても心に響いてくる。なんだかもっと相談したくなる、そんな感じなのだ。


「ありがとうございます。神よ、罪深い私をどうかおゆるしください。アーメン」


 なんだかとてもスッキリして告解室を出ようとすると呼び止められた。


「お待ちください。あなたは何かを探していらっしゃいますね?」


 ムムッ、何でわかったんだろう? ついでに相談しちゃおうかな。


「ええそうです。仲間たちとあるものを探してフィレンツェへ来たのですが私以外の仲間が別件で忙しかったので今日は私ひとりで探すことにしたのです」


「シニョーリア広場に面した通りに小さな商店があります。商店の名前は『テンタチィオーネ』です。そこにヒントがあるはずです」


 えっ! そんな具体的なアドバイスくれるの? ちょっと驚いた。


「ありがとうございました」


 私は感謝の祈りを捧げた。ふと気がつくと、いつの間にか隣の部屋から人の気配が消えていた。これはもしかしたら可哀想な私にミカエル様が手を差し伸べてくれたのかもしれない。


 よし、教えてもらったお店に行ってみよう!


 ※※※※※※


 【フィレンツェのジャンヌ】


 テオ・ダンディーニはレオではなく、私が来たことに少なからず驚いていた。レオの許可を得た私はテオと交渉するためサルヴァドーリ商会へと向かった。


 サルヴァドーリ商会に行く前にいくつかの用事を済ませた。サルヴァドーリ商会へついた私は、レオンには席を外してもらいテオと二人だけで話をすることにした。


「これはこれはジャンヌさん、ようこそおいでくださいました。ルグラン殿はどうかされましたか?」


 困惑した表情を浮かべるテオは、何か急用でレオが来れなくなったと思ったようだ。


「ジャンヌでいいですよ、ダンディーニさん。今日ここへ来たのは私自身の意思です」


「そうですか。ビジネスのご返事をいただけると思ったのですが」


 残念そうにテオは言った。


「ご安心ください。私はレオから必要があれば契約を結ぶことができる権限を与えられています。でもその前に少しばかり確認しておきたいことがあるのです」


 テオはその青い瞳でこちらをじっと見ている。私が何を言い出すのか観察しているように見えた。


「実はここへお邪魔する前にメディチ商会へ立ち寄って来ました。いえ、コジモさんへ会いにいったのではありません。先日、リヴォルノ港へ帰港した商船に乗っていたというメディチ商会の社員に会うためです。最初、その社員は話をするのを渋っていました。仕方がないので金貨を3枚をほど渡してやったら喜んで教えてくれましたね。社員は言いました。『ヘルメス文書もんじょ』がフランスにあるという話は旅先で聞いた話ではない、フランスからやってきた修道女から聞いたのだと」


「ジャンヌさん、あなたは私の話の信憑性しんぴょうせいを確かめに行かれたのですね。もしかしたら私が嘘をついていると思われたのかな? だとしても私は嘘などついてませんよ。私が申し上げたのはアレクサンドリア帰りの船員が『ヘルメス文書』がフランスにあると報告したと言うことだけです」


 テオは全く動揺した様子はなく、微笑みをたたえて私を見ている。


「社員の話によると、その修道女はモンテギュと名乗ったとのことです。私は同じ名前の修道女と会ったことがあるのです。もちろん同じ名前の他人かもしれませんが。ところで、修道女から『ヘルメス文書』のことを聞いた社員は最初、興味がなかったそうです。それはそうでしょう、プラトン哲学にも錬金術にも興味ない一市民なのですから」


「ジャンヌさん、今ひとつお話が見えてきません。その修道女の名前がジャンヌさんが会ったことのある人物と同じだからといってそれはただの偶然でしょう。私の話の信憑性とは関係がないと思いますよ」


 テオは肩をすくめて見せる。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る