第103話 アイヒの悩み

「ヘルメス文書はグノーシス主義の影響を受けている」


 俺は話を続ける。


「あらゆる物質世界を悪とし、逆に精神世界を善とする。いわゆる善悪二元論がグノーシス主義の特徴だ。ジャンヌ、君の考えはこの思想と相容れないだろう?」


 ジャンヌは俺の言葉を聞いても表情を変えなかった。


「レオ、以前の私であればそのような考えは異端だと耳を塞いだことでしょう。ですが今は違います。例え受け入れがたい思想があったとしても耳を傾けなければなりません。もっとも恐ろしいことは無知であることなのです」


 俺の心に言いようのない感情が広がっていく。くそ、あの時と同じだ。ペリエルの電撃から身を挺して俺を救った時と同じ表情をジャンヌは浮かべている。これと同じ表情を他でも見たことがある。どこだったっけ?


 そうだ、ルネサンスを代表するイタリアの画家、ラファエロ・サンティの『小椅子の聖母マドンナ・デッラ・セッジョラ』だ。この作品の聖母マリアは愛おしそうにイエスを抱きながらこちらに少し悲しげな視線を向けている。


 とうとうジャンヌと聖母マリアを重ねてしまうとは。聖女を飛び越して聖母とまで感じてしまったら俺はもうこの娘に逆らえない。


「レオ、私はあなたの役に立ちたいのです。私からみてあなたは優しすぎる。ひとつご提案があります。聞いてもらえますか」


「あ、ああ、いいとも」


「明日、私とレオンのふたりでサルヴァドーリ商会へ行って来ます。彼と話をさせてください」


「ちょっと待て! 大丈夫なのか?」


 テオは自分が依頼されたビジネスを俺に教えた。今度は俺が自分のビジネスを教えるのが礼儀だろう。それともまだ交渉の余地があるというのか?


「私に任せてください。お願いします」


 俺はそれ以上何も言えなかった。


 ※※※※※※※


 【フィレンツェのアイヒ】


 最近の私の悩みはチームの中で存在感が薄いことだ。というのもジャンヌがとっても頭が良くて優等生すぎるからだ。7年前、最初のミッションで出会ったころのジャンヌはどちらかというと肉体派で、よく考えずに突撃しちゃう女の子だった。


 それにしてもペリエル先輩はスゴイ! シモン司祭としてジャンヌに文字を教え、本もいっぱい読ませたらしい。でもでも先輩は私の先輩なんだから、私にもいろいろ教えて欲しい。


 先輩はジャンヌの身代わりとしてドンレミ村で頑張ってるんだから私も頑張らなきゃね!


 というわけで今日は、ひとりで探索をすることにした。だってジャンヌがダンディーニ商会への同行に立候補してレオもあっさりOK。私ひとりが置いてけぼりとなったからだ。


 オルレアンでの私の名探偵ぶりをみんな忘れたのかしら? そっか、その時のメンバーだったジャックさんや傭兵のマレさんはフランスへ帰ってしまったんだった。


 問題はレオよ。レオ! あいつ最近、私をほっときすぎなのよ。もっと私にエールを飲ませなさいよ。もっと肉を食べさせろっつーの。


 さて、私が探すのはテンプル騎士団のもうひとつの宝だ。ここで私の予想を大発表なのだ。


 ジャーン! ズバリ、テンプル騎士団のもうひとつの宝は――聖杯でーす。初めてレオからテンプル騎士団の話を聞いたとき、私はアーサー王の部下だと勘違いした※。確かアーサー王は部下に命じて聖杯を探していたはず。


 ※注……第8話参照


 でも私の直感が単なる勘違いではないと告げているのだ。でも聖杯ってなんなんだろう? イエス様が最後の晩餐で使った、さかずきだと言われているけど正直よくわからない。とにかく手に入れればすごい力を手に入れることができる……はずだと思う。うん、そうに違いない。

 

 まず最初に向かうべきは教会ね。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂へ行こう。ちゃんと服装も商人っぽく目立たないようにしてきた。フランスでは伝統を大事にするとかであんまり変わった格好する人はいなかったけど、さすがイタリアね。最先端のファッションで歩いているお金持ちがいっぱいいる。


 そうこうしているうちに霧が出てきた。とても濃い霧が立ち込めて視界が悪くなっている。まだそんなに慣れた道じゃないので迷ってしまいそうだ。案の定、狭い路地に迷い込んでしまった。


 路地を抜けると目の前に教会があった。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ではないわね。小さな教会だもの。なんだかドンレミ村にあった教会に似ている。


 気になるので入ってみることにした。思わぬヒントがあるかもしれないしね。正面入口の扉を開けて中に入ると目の前に身廊と呼ばれる中央通路がある。奧に主祭壇がみえるけど誰もいない。


 んんっ? 身廊の壁に沿って木で作られた小部屋のようなものがある。左右に2ヶ所入口があってそれぞれカーテンが取り付けられている。


 ――告解こくかい


 だよね。懺悔ざんげ室といったほうがわかりやすいかも。告解とは、ローマ・カトリック教会で神に対して自らの罪を告白してゆるしを請う儀式のことだ。告解こくかい室はそのためにもうけられた専用スペースなのだ。


 むー、とても気になる。と言うか、入ってみたくて仕方ない。もういいや、入っちゃおう。


 

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