第96話 外国為替

 新訳聖書には「汝は何も望まずして貸し与えよ」との一節がある。この一節をしてキリスト教が金を貸して利息を取ることを禁じる根拠とするとの説があるが定かではない。また利子は財産そのものから発生したのではなく、時間の経過によって生まれるとする考えがあり、時間は神のものであった。


 為替取引はそんなキリスト教の教義に反することなく、利子を徴収することを可能にした。現金を使わずに商品を売買するシステムはさっき説明した通りだが、利子を取るための為替取引とはどのようなものか?


 それは異なる通貨どうしで行われる為替取引だ。現代なら外国為替取引と言われるものに近い。わかりやすく現代のアメリカドル(USドル)と日本円の取引を考えてみよう。USドルと日本円の交換レートは24時間常に変動している。今、仮に1USドルが140円だと仮定しよう。USドルを借りて商売をしたい日本人が1万ドルをアメリカ人から借りる。ここで1万ドルを借りた日本人は『為替手形』を振り出してアメリカ人に渡す。


『為替手形』とは手形を作った人(振り出し人)が、手形に記載された金額を支払う義務のある人(支払人)からその金額を受け取る権利を持った人(受取人)へお金の支払いを指示する内容が書かれた証書のことだ。


 この時、『為替手形』にこう記載する。


『○月○日、1USドルに対して145円の交換レートにより、受取人に対して日本円で日本国内で支払うこと』


 この取引を実行するとどうなるか? 日本人は1万ドルを借りるが、現時点は1USドル=140円なので日本円に換算した価値は、140万円となる。ところが○月○日、支払人は1USドル=145円換算の日本円で支払う約束なので145万円を日本円で支払うことになる。支払人は主に振り出し人が口座を持っている銀行などで、後から振り出し人の口座にある預金から145万円が引き落とされる。


 日本国内で支払われた145万円は、日本国内の銀行からアメリカ人が口座を持っているアメリカの銀行へ送金されるが、この時USドルに交換されて送金される。もし1USドル=140円という為替レートが変化してなければ145万円÷140円=10,357.14となり約10,357ドルが送金されることになる。


 つまり当初貸した10,000ドルが10,357ドルに増えて返ってくる。この差357ドルが金利というわけだ。


 もちろん金融マーケットで為替レートが決まる現代ではこんな取引はできない。だが、中世ヨーロッパでは国ごとで通貨の交換レートが違っていた。だからこそ可能な取引だったと言える。さらに上記の例では借りる時と返す時で為替レートが変化していないと仮定している。ところが実際の為替レートは常に変化しており返すときの為替レート以上にドルが値上がりしている可能性もある。


 その場合、例えば実際の為替レートが1USドル=135円だった場合、本当は145万円÷135円=10,740.74ドルともっと多くのドルを受け取れるはずなのに少ないドルしか受け取れなかったということも考えられる。つまり日本人に1万ドルを貸したアメリカ人は為替リスクをとっているということになる。


 貸し手が為替リスクをとっているので貸し手が得た利益は金利ではない。というロジックで利息禁止の規制を逃れていたのだった。


 話がかなり複雑でわかりにくくなった。要するに中世ヨーロッパの商人たちは、同一の通貨同士でも取引される国によって交換レートが違うことを利用して金利を取ったのだ。さらにメディチ銀行は、貸し付けと返済の両方を為替手形の交換だけで行い、実際に外国の通貨に交換することなく金利を得たという。


 話をもとに戻そう。俺がテオに言ったコルレス銀行とは「為替手形」の指示に従ってお金の受け渡しを行う現地の銀行のことだ。そしてもうひとつの手形ブローカーとは、商人や銀行家と話し合って為替レートを決める職業である。どちらもその際に受け取る少額の手数料が収入になるが、リスクをとって大きな利益を狙う仕事ではない。


 ※※※※※※※


「申し訳ありません。私も為替カンピオ取引にとても興味があるので、つい興奮してしまいました」


 俺が恐縮してそう言うと、テオは元の爽やかな笑顔に戻った。


「ルグランさんは、フランスのブールジュから来られたんですよね? であれば私たちは良いビジネスパートナーになれるかもしれません。今度ぜひサルヴァドーリ商会へお越しください。サン・ロレンツォ教会の通りを挟んで向かいにありますので」


 テオの言葉が終わるとほぼ同時に、戻ってきた会計係が俺に声をかけた。


「お待たせしました、ルグラン様。ご案内いたします」


「いずれ、お伺いさせてもらいますね」


 俺はテオにそう言って席を立つと、会計係に連れられてコジモの待つ応接間へと向かった。


「ルグラン様をお連れしました。コジモ様」


「ああ、入ってくれ」


 会計係が扉を開け、俺は部屋へと足を踏み入れる。


 目の前には褐色の顔色をした若い男が立っていた。まず長く大きな鼻が目を引いた。次に突き出した大きな顎と下唇。メディチ家に代々受け継がれている容貌ようぼうだと気づく。


 ――コジモ・デ・メディチ


 目の前にいる男の名だ。




 

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