第95話 為替取引

 結局、ジャンヌとアイヒにはコジモへのアプローチの仕方を考えるという宿題を出し会議はお開きとなった。コジモの屋敷には自分ひとりで行くことにした。出来ればふたりだけで話をしたかったのだ。


 翌日、約束の時間にメディチ邸へ行くと昨日の会計係が出迎えてくれた。会計係は俺を客間へ案内した。

 

「コジモ様は、先客と面談中なので少しこちらでお待ちください」


 会計係は折り畳み式の肘掛け椅子を用意してくれたので座って待つことにした。客間の床は幾何学的な模様の入ったタイルが敷き詰められており、部屋の中央に正方形のテーブルが置かれビロードのテーブルクロスが掛けられている。季節は10月も後半に入っていて少しづつ冬が近づいていた。部屋の奥にある暖炉に火が入れられるのも近いだろう。


 客間には客と使用人と思われる男女が数名づついた。使用人はせっせと歩き回り客の世話をしている。客の数に対して椅子の数が少ないので若い女性は床に置かれたクッションの上に座り、その隣の男性は大きな箱の上に腰掛けていた。俺を含めた貴族だけが椅子に座っている。身分によって座る場所も決められており、使用人は床の上に座るのが普通なのだ。


 ふと気がつくとひとりの若い男が近づいてくるのがわかった。大きな青い瞳にひとなつこい笑みを浮かべている。ウエーブのきいた肩まである栗色の髪が目を引いた。胸元の開いた麻のシャツから白い肌がのぞいておりなんとなくセクシーな雰囲気をかもしだしている。


「もしかしてコジモ殿とお会いになるのですか?」


 いきなり質問されて俺は戸惑った。


「失礼ですが、あなたは?」


 俺の警戒感が伝わったのだろう、男は大袈裟に身をのけ反って見せた。


「おおっ、これはこれは失礼しました。私はサルヴァドーリ商会の幹部社員、テオ・ダンディーニと申します。今日、これからコジモ殿と初めて商談をするので緊張してましてね。あなたも商人だとお見受けしたものですからお話を伺いたいと思ったのです」


 テオと名乗った男の口調は丁寧で嫌味なところがない。それどころかとてもいいやつに思えた。それにしてもやはりコジモは人気なんだな。俺以外にも面談を待っている人間が大勢いるのだろう。


「こちらこそ失礼しました。私はブールジュにあるクール商会から来たレオ・ルグランです。ご想像通り、コジモ殿に会い来ました」


「やはりそうでしたか。コジモ殿とは世間話程度ならしたことがあるのですが、ちゃんとした商談はこれが初めてでうまくいくかどうか、心配になってしまって」


 テオは眉尻を下げて困り顔を作ってみせた。愛嬌があって男の俺から見ても可愛らしい。顔がイケメンで愛嬌もある、多分モテるだろう。


「ハハッ、それなら私も同じですよ。なんせ今日初めてコジモ殿に会うのですから。ダンディーニ殿は何を取り扱っておられるのですか?」


 テオに興味をそそられた俺は商売の話をすることにした。何か有益な情報が得られるかもしれない。


為替カンピオ取引ですよ」


 テオは俺に顔を近づけると小声で言った。


 ――為替カンピオ取引、俺はジャックがロワール川沿いの旅で為替決済網を作ろうとしていたことを思い出した。例えば都市Aの商人が都市Bまで行き、現地の商人にワインを売ったとする。現地の商人が現金でワインの代金を支払ったとすると都市Aの商人はその現金を持って都市Aまで帰らなければならない。多額の現金を持った旅は手間がかかるし何より危険だ。


 そこで都市Bの商人から現金を受け取るのではなく銀行への支払い証書を発行してもらい、それを受け取る。都市Aの商人は支払い証書を持って帰り、都市Aの銀行へ持ち込む。商人は銀行からワインの代金を受け取り支払いが完了する。これが為替取引だ。ただし、この取引を行うには都市Bの商人があらかじめ都市Aの銀行に預金を持っておかなければならない。ワインの代金は都市Aにある預金から差し引かれるからだ。


 ところが都市Aの銀行も都市Bの銀行も同じ銀行の支店だったらどうだろう。どちらか一方の支店に預金があれば、預金のない支店で立替払いをして後からどちらかの支店にある預金を減らせばいい。さらに違う銀行同士であっても支払い証書が持ち込まれたら一旦自分たちで支払い、後から支払った商人が預金を持っている銀行からお金を受け取るという取り決めがあればどうだろう。


 この取り決めに参加している銀行に預金を持っていれば、その銀行の支店がない都市で売買を行ったとしても現金を使わず支払い証書だけで取引が完了するのだ。そしてこれこそが現在の銀行システムの原型と言える。


「コルレス銀行か? それとも手形ブローカーをやるのか?」


 俺は興奮して思わずタメ口になってしまった。テオのやろうとしている為替取引が単に現金を使わなくてもいいという単純なものではないと直感したからだ。


「ご存知でしたか。さすがですね」


 テオは爽やかな風貌に似合わない歪んだ笑みを浮かべた。

 

 

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