第93話 庶民のワイン

「アイヒさんは、どこのワインがお好きなのですか?」


 アイヒがロースト肉を飲み込むのを待って、ジャンヌが声をかけた。


「へっ!?」


 アイヒが間抜けな声を出した。


「うわー興味あるなー。アイヒさん酒豪だからいいワイン知ってそう」


 傭兵のレオンも話にのってきた。アイヒの目が泳ぐのがわかった。


「えっとー、どこのかなー? うーん……そのー」


 しどろもどろになりながら、俺に流し目を送ってくる。助けてくれというサインだろう。


「ほら、ジャックがロッシュ城に届けたワインが好きだと言ってただろ?」


 仕方なく助け舟を出してやる。世話が焼けるヤツだ。


「ジャックさんが……んー、あっ! そうそう「山がらすの目」よ! とってもかわいい色なのよ」


 アイヒの答えを聞いたジャンヌはしばらく考えてから口を開いた。


「ウィユ・ド・ペルドリー(山の目)ですね。アイヒさんは、ボーヌのワインがお好きなんですね」


「え、うん、そうそう、ボーヌワインが好きなの」


 しれっとアイヒの間違いを訂正するあたり才女の風格がある。薄めたワインをカップ1杯しか飲まないくせにワインの知識も持っているのか。こりゃ手強てごわそうだ。


「ボーヌワインと言えば、テンプル騎士団の手記にたびたび登場するフィリップ王が大変お好きだったとか。まさに『王の愛するワイン』ですね」


 ワインに関するウンチクを披露するジャンヌ。アイヒは訳もわからずうなずいている。


 フィリップ王とは、テンプル騎士団を破滅に追いやったイケメン王、フィリップ4世のことだ。そしてボーヌワインは、俺たちの王様シャルル7世と敵対しているブルゴーニュ公国のワインなのだ。


「ジャンヌさんはどんなワインが好きなのですか?」


 レオンがジャンヌに尋ねた。アイヒを助けるとともにジャンヌにもしゃべらせることを狙ってるのだろう。かなり気遣いのできる男だ。


「私はガメイ種のワインしか飲んだことがなかったのですが、みなさんと旅をするようになってピノ・ノワールのワインも飲むことができました」


 14世紀に登場した赤ワインの品種であるガメイ種は、手間がかからず、病気にも強い。だがブルゴーニュ公国の君主たちはガメイを二流のワインとして嫌い、禁止令を出した。病気に弱く手間のかかるピノ・ノワールをブルゴーニュの主力とすることにより、高級ブランドを確立しようとしたのだ。禁止されたにも関わらずガメイ種の生産量はどんどん増えていった。それだけ需要があったということだろう。


 ワインは当初、貴族や聖職者たちだけが飲める高級品だった。だが中世後期になると農業の発展とともに都市の住民や農民もワインが飲めるようになる。彼らがワインを飲めるようになったのは安価なガメイ種のワインが普及したからだ。地方の農民であるジャンヌも例外ではないだろう。


 ジャンヌは言葉を続ける。


「ワインはイエス様の血です。聖なる貴重な血をいただけるだけで幸せなことだと思います。もちろんピノ・ノワールの繊細で複雑な味も好きですが、ガメイの素朴さもいいものですよ」


「あのね、ジャンヌ」


 何かを決心したのかアイヒがジャンヌに声をかけた。


「はい、なんでしょう?」


「実はね。私が一番好きなのはエールなの!」


 アイヒは秘密を打ち明けるような口調で言ったが、ジャンヌはキョトンとした表情になった。


「ええ、知ってますよ」


 ジャンヌは苦笑を交えて答える。あれだけがぶ飲みしてりゃあ、ジャンヌだけではなく誰でも気づくだろ。


「それと……ジャンヌみたいにワインのこと詳しくないんだ。すごいねジャンヌは」


 どうしたどうした? 素直に自分が無知だと告白するアイヒ。ジャンヌに対して劣等感を感じているのか?


 ジャンヌは気まずそうな表情を浮かべた。


「ごめんなさい、アイヒさん。知っていることをベラベラと話してしまいました。ああっ、私は自らの傲慢ごうまんを恥じなければなりません。神よ、お許しください……」


 そう言うとジャンヌは手を組み、神へ祈りを捧げた。


「ジャンヌ、教養があることは悪いことじゃない。君は傲慢ごうまんなんかじゃないぞ」


「そうですよ。ジャンヌさんのその知識がきっと役に立つ時が来ますって」


 俺がジャンヌをフォローするとレオンもつかさず乗っかってくる。抜け目ないやつめ。


「そう……でしょうか?」


 まだ自信なさげにうつむくジャンヌを見て俺はひらめいた。


「よし、ジャンヌ。俺はコジモを仲間にしたいと思っている。君ならどう攻める?」


「コジモさんを私たちの仲間に?」


 ジャンヌは青い瞳を大きく見開いた。


「ひとつ質問してもいいですか?」


「ああ、いいよ」


「ルグランさんの本当の目的はなんですか?ルグランさんは、ドンレミ村の教会で私におっしゃいました。事業に失敗して全てを失ったが、今は別の目標に向かって進んでいると。その目標とは何なのです?」


 何と答えるべきか? 確かに最初は大天使ミカエルから与えられたミッションを成功させ、前世での人生をやり直すことが目的だった。だが今はどうだ。テンプル騎士団の黄金を目の当たりにして俺のもう一つの野望が頭をもたげている。


 ――歴史上、最初のバブルを起こす


 この狂気とも思える野望を叶えたい。日に日にその想いは強くなっている。



 

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