第92話 テンプル騎士団の金貨

「この帽子おいくらですの?」


「はい、通常であれば2フィオリーノでございますが、奥様には特別に半額の1フィオリーノでお譲りしましょう」


 フィオリーノ金貨2枚のところ1枚でいいと言っているのだが、そもそも一般の庶民が金貨を使うことはほぼない時代だ。これは貴族もしくは商人相手の高額取引ということになる。


「私たちはフィレンツェへ着いたばかりでして、フィオリーノ金貨はまだ持っていないのです。こちらの金貨で支払いたいのですが可能でしょうか?」


「えっ! いいのレオ。却下じゃないの?」


 アイヒがキラキラした目を向けてくる。正直、帽子はどうでもいい。俺には試したいことがあるのだ。俺は袋からテンプル騎士団の金貨を1枚取り出して会計係の前に置いた。


「これは……?」


 会計係が怪訝そうな表情を浮かべる。


「見たことがない金貨だ。調べさせてもらってもいいですか?」


「どうぞ、お調べください」


 フィレンツェで流通しているフィオリーノ金貨の金含有量は3.53グラムだ。テンプル騎士団の金貨は同じ大きさでそれを上回る含有量を持っていることはすでに調査すみだった。


 会計係は、天秤に金貨を載せるといろいろと調べ始めた。しばらく見守っていると男の表情に驚きが浮かぶのがわかる。


「ルグラン様、この金貨はどこで使われているものです?」


 会計係はかなり興味を引かれているようだった。よし、状況は少しだけ有利になっている。


「何か気になるところがありましたか? その金貨に」


 もったいぶって聞いてみる。


「不純物がとても少ないのです。逆にいうと極めて金の含有率が高い金貨です。これほど純度の高い通貨を流通させている都市を私は知らない。もしかしてイスラム商人から手に入れられたのですかな?」


「イスラム商人からではありません。詳しくは言えませんが、今はフランス国内にあるとだけ言っておきましょう」


 俺は芝居がかった口調で続ける。


「ご存じの通り、胡椒こしょう、砂糖の代金支払い、戦争の費用とせっかく手に入れた金もすぐに流出してしまいます」


 会計係の男は、小さくうなずく。


「私は大量の金を手に入れる方法をずっと探していましてね。そのことでコジモさんと話がしたいのです」


 俺は金貨の入った袋に手を突っ込み、ゆっくりと引き抜いた。手に握りしめた金貨をバラバラと机の上に落とす。


「なんと!」


 目の前の男の目が驚愕で見開かれた。


 ※※※※※※※


 メディチ邸を後にした俺たち4人は大通りから少し離れたところにある宿屋へ向かった。フランス国内の旅は資金不足に悩まされた旅だったが、今は余裕がある。とは言ってもあまり贅沢もよくない。早めにミッションを達成しなければ。


 メディチ家に限らず、中世ヨーロッパの商人は貨幣としてのきん不足に悩まされていた。そのためイタリア商人はアフリカの金に大きな関心を持っていた。黄金産地である西アフリカ諸国は塩を求めていたが、北アフリカにある岩塩の鉱山はベルベル人が支配していたのでイタリア商人は金と毛織物を交換することにした。交易によって黄金を手に入れたイタリア商人はその黄金の大部分をインド洋貿易に使ってしまった。


 結局、本格的にアフリカ西海岸の航海に踏み出したのはイベリア半島の国、ポルトガルだった。そしてポルトガルの航海事業を支えたのはジェノヴァの資本と航海技術だったのだ。


 大量の黄金があれば、コジモの銀行事業は大幅に拡大できるはずだ。そう思った俺はあえて純度の高いテンプル騎士団の金貨をメディチ家の会計係に見せた。


 どうやらコジモも純度の高い金製品に興味があり情報収集を命じていたらしい。会計係はコジモに時間を作ってもらうので、明日もう一度来て欲しいと言った。


 宿屋の食堂に集まりいつものように作戦会議を行う。ジャックとマレがいなくなり、ジャンヌとレオンが新たに会議のメンバーに加わった。レオンには正直にテンプル騎士団の財宝を探していると話してある。レオンは、報酬さえもらえれば事情には深入りせずに働くと言った。まさにプロの傭兵という感じの反応だった。


「ねえ知ってる、この宿屋の料理は美味しいと評判なのよ」


 アイヒが興奮してみんなに言う。どおりで俺が探した宿屋ではなくこの宿屋にしろとうるさかったはずだ。


「フランスの料理とそんなに違うのでしょうか?」


 食欲で脳が支配されているアイヒとは違い、ジャンヌは純粋に興味があるようだった。


 テーブルにアヒルのロースト肉が運ばれてくる。付け合わせとしてマッシュルームのトスカーナ風炒めが添えられている。トスカーナ風炒めとは、マッシュルームとタマネギにオリーブオイル、ショウガやナツメグなどのスパイスで味付けしたものらしい。


 いつもは自分たちで切り分けるのだが、この食堂では従業員が切り分けてくれた。ロースト肉とマッシュルームを一緒に食べるとなんとも言えないバランスのいい味になる。さすがイタリアだ、料理も洗練されている。


「このお肉最高ーっ!」


 相変わらずムシャムシャと肉を頬張るアイヒ。一方、ジャンヌはほんの少しだけ口に運び静かに食べている。これまでの旅でジャンヌが非常に少食であることはわかっていた。決してお腹が空いていないわけではなく、大食が罪であるという意識があるらしい。


 ジャンヌは、ワインを必ず水で割って飲みカップ1杯以上は決して飲まない。酒乱天使がジャンヌに飲ませようとムキになっていたが、無駄な努力だった。俺は思った、どっちが天使なんだと。

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