第91話 メディチ家の商売

「おい、ちょっと気になることがあるんだが」


「えっ、何なの?」


 俺は高さ85メートル、ジョット・ディ・ボンドーネが設計したことから『ジョットの鐘楼』と呼ばれる塔を、口をあんぐり開けて見上げているアイヒに声をかけた。


「俺たちはイタリアにいるんだよな? 俺はイタリア語は話せねーぞ」


「あんたバカね。天使ノートの『旅の注意事項』読まなかったの?」


 バカにしたような口調がカンに触るが、急いで天使ノートの該当の箇所を開く。


『本物のジャンヌを当てろミッション達成特典として、イタリア語の読み書きが可能になりました』


 何じゃこりゃ! 随分都合がいいじゃないか。


「本当か? これ全然実感がないんだが」


「よく見てみなさいよ。その文章自体すでにイタリア語で書かれてるんだから」


 俺はもう一度、『旅の注意事項』の文章を見直す。それはフランス語ではなくイタリア語のアルファベットで書かれていた。


「マンマ・ミーア!(なんてこった!)」


 俺は叫んだ。


「レオ、安心してください。私がイタリア語を話せますので、もしもの時は通訳可能ですよ」


「ルグランさん、ちなみに私もイタリア語は話せますのでご安心を」


 ジャンヌと傭兵レオンもイタリア語が話せるようだ。


 ドゥオーモ(大聖堂)がある広場を抜けてラルガ通りに向けて北上する。メディチ一族はもともとドゥオーモの南に位置するメルカート・ヴェッキオ(旧市場)周辺を拠点としていた。1348年にペストがフィレンツェを襲った後、困窮した一族の店舗や館を買収して拠点を拡大していった。


 現代のフィレンツェでは、メルカート・ヴェッキオはシニョリーア広場となって生まれ変わっており、広場に面しているヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館は世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の主要スポットである。


 ラルガ通りは新設された幅の広い通りだ。メディチ一族はラルガ通りにある大きな建物パラッツォを購入していき、やがてメディチ宮殿やメディチ家の菩提寺ぼだいじとなるサン・ロレンツォ教会を建設することにより自分たちの新しい拠点としていく。


 しばらく歩いて、俺たち4人は改築される前のメディチ邸に到着した。邸宅といっても1階は店舗になっており商館ファンダコといってもいい。扉を開けて中へと入る。天井は高く広い。モミ材が張ってある壁に沿って棚があり、絹やビロード、テーブルクロスなどの布製品が並べてある。部屋の奥に装飾が施されたアルカが置かれており、その横に木製のカウンターが設置されていた。カウンターの奥には帳簿が入った戸棚があり、その前に会計係と思われる男性と少年が座っている。


「いらっしゃいませ」


 おそらく見習いだろうと思われる少年が俺に声をかけてきた。あらかじめイタリア貴族風の服装に着替えていたので少年が警戒している様子はない。もちろんここでフランス王の部下だというと怪しまれる要因になるので、商人のふりをして話をすることにした。


「アレクサンドリアから最高の砂糖ズッケロを入荷したと聞いてね」


砂糖ズッケロ!」


 少年はそう声に出しながら後ろにいる会計係の方を振り返った。内陸都市であるフィレンツェでは1421年にジェノヴァからリヴォルノ港を購入し、地中海貿易に進出していた。1422年にはガレー船によるアレキサンドリアへの航海が行われている。


「失礼ですが、お見かけしたことがない方ですね。アレクサンドリアからの積荷については、まだほとんどの方が知らないはずですがどこでお聞きになりました?」


 会計係は落ち着いた物腰の中年男性で、笑顔で聞いてきた。


「これは失礼しました。私はブールジュのクール商会から派遣されてきたレオ・ルグランと言います。こっちが妻のアイヒヘルンで、後ろのふたりは商会の社員です」


「ブールジュ!? フランスの?」


 勝手にジャック・クールの名前を使ってしまった。 会計係は少なからず驚いたようだ。


「はい、フランスのブールジュです。上司のジャックが良質の砂糖を探しておりまして、色々なところから情報を集めているんです」


「砂糖はご存じの通りとても貴重な品となりますので、このフィレンツェのみならず、ローマからも引き合いがきております。わざわざフランスからお越し頂いたのですが、他国のそれも一見いちげんのお客様に売ったとなると問題になりましょう」


 相変わらず会計係は柔らかな微笑みを浮かべてはいるが、商人としてのルールを破るつもりはないという断固たる態度が透けて見える。


「コジモさんに直接お願いしてもダメですかー? お金ならいくらでも出しますわよ。いくらでもぉー、オホホホッ」


 テンプル騎士団の黄金が手に入りお金の心配がなくなったからだろう。アイヒが成金貴族のような下品なセリフを吐いた。


「失礼ですが、奥様。これはお金の問題ではないのです」


 エヘン、と会計係は咳払いをした。


「それよりも奥様。奥様にはあちらの品の方がよく似合われるかと思いますよ。マルコ、そこの帽子を奥様へ!」


 マルコと呼ばれた見習いの少年が、棚から赤いビロードの帽子を手に取るとアイヒのところへ持ってきた。


「うわーっ、かわいい帽子!」


 アイヒは帽子を手に取りうっとりと眺めている。これがイタリア商人、いやメディチ家の商売か。油断も隙もないぞ。    


  


 

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