第89話 逆境の天使

【フィレンツェ 暗殺教団の女②】 

 

「レオ・ルグランは単に生まれながらの強運の持ち主である……だからうまくいったと思ってる?」


 謎かけのように女は言う。


「どういう意味だ?」


「アイヒヘルンの別名を知ってる?」


 もちろん知らないので私は首を振る。


「アイヒはね、『逆境の天使』と呼ばれているの」


「なんかカッコいいあだ名だな」


 そう言って意味を考えてみるが、良くわからない。


「良く思い出してみなさいよ。あんたがルグランを追い詰めるたびになんとなくうまく切り抜けられてない?」


 私はルグランとの間にあった出来事を思い出してみる。シノンの郊外でルグランとアイヒヘルンを追いかけた時はどうだ?


 アイヒヘルンは、いったん逃げたのだが強力な傭兵のマレを連れて戻って来た。アイヒヘルンは、偶然マレと会ったと言ってなかったか?


 トゥールではどうだ? 私と裏切り者の聖職者がトゥール城に乗り込み使用人に焼印を押そうとしたちょうどその時、アイヒヘルンは部屋に乗り込んできたのではなかったか?


 オルレアンでは?


 私は胃がムカムカするような不快な気分を味わい始めていた。いつもあの女が邪魔に入っていることに気がついたからだ。


 ――オルレアンではなぜか、衛兵に成りすまして城内に侵入するという、私たちの計略が見破られた。見破ったのがアイヒヘルンであるという証拠はない。ないのたが……。


 私は盛大にため息をついた。


「アイヒヘルン。あいつがいるからレオ・ルグランに幸運が訪れると言うのか?」


「あいつはね。普段アホっぽいんだけど実は強力な力を持っているの。人間になったことでその力は封印されてるはずなんだけど、力の一部は残っているのかもしれない」


「でも、『逆境の天使』ってのはどういう意味なんだ?」


「それはね、不利に状況に追い込まれた時、つまり逆境に陥ったときなぜか事態が好転して復活してくるからよ。もともとはアホだから失敗することが多いのよ。それでもミカエル様にはなぜか可愛がられているらしいわ」


「アホだけど強運な天使というわけか、厄介だな」


「そうね厄介だわ……えっと、何の話してたんだっけ?」


 目の前の女が可愛らしい仕草で唇に指を当てる。


「なんでフィレンツェへ行くのか?という話だ」


「そうそう、そうだったわね。成功ルートである『テンプル騎士団の財宝ルート』はまだ終わっていないってこと」


「黄金の他にも財宝があるってことか?」


 女はちょっと考えているようだった。


「あるわ。でもそれが何かはわからない。どこにあるのかもわからない。まずはもうひとつの財宝が何か?そこから探るしかないわね。現在のこのゲームのルートは『テンプル騎士団の財宝』でパラグラフは『フィレンツェで財宝のありかを探る』になってるの。ルグランを出し抜いてルートをあなたの都合のいいものに変更しなさい」


「フィレンツェで財宝のありかを探るって言ったって、まるで雲をつかむような話だぞ。何をすりゃいいんだ?」


 抗議の声をあげる私に、女はイタズラっぽい笑みを返してきた。


「フィレンツェにあなたの補佐役を用意しておいたわ。かわいそうなモンテギュの代わりってとこね。まずはその人物に接触して指示に従ってちょうだい」


 約3週間後、私は「あの方」の指示通りフィレンツェにやって来た。まずは、教団の拠点を訪ねて補佐役に会わなければならない。教えられた住所は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の北西にあるサン・ロレンツォ教会の通りを挟んで向かい側だった。


 サン・ロレンツォ教会は4世紀ごろ設立され、長い間フィレンツェの大聖堂として利用されていたらしい。その後、9世紀にフィレンツェ司教だった聖ザノービの遺骸が新しく建設されたサンタレパラータ教会に移され、大聖堂の地位も同時に譲ることになった。


 さらに時は流れ、かつてのサンタレパラータ教会の敷地の上に建設されたのが――ドゥオーモことサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂である。


 教団の拠点とされる建物はフィレンツェの貴族が住む邸宅として伝統的な作りだった。5階建ての長方形で最上階には開かれたバルコニーが設置されている。正面ファサードに手の込んだ装飾はなく簡素な作りだ。1階の中央部分にはアーチ型の扉があり、私は呼び鈴を鳴らした。


 しばらく待つと扉が開き、若い男が顔を出した。


「ご用ですか? シニョーラ」


 涼しげな青い瞳がこちらに向けられている。


「お約束していた……マリア・サルヴァドーリです」


 一瞬言いよどんだ。イタリアでは「マリア・サルヴァドーリ」と名乗るように「あの方」から言われていたのだが、まだ慣れていない。


「お待ちしておりました、サルヴァドーリさん。さあどうぞお入りください」


 若い男はニッコリと微笑むと家の中に入れてくれた。


「ようこそ、おいでくださいました。テオ・ダンディーニです」


 テオと名乗った目の前の男を素早く観察する。やや大きめな鼻にシャープな顎のライン。肩まである栗色の髪。大きな青い瞳には警戒感は感じられない。胸元の大きく開いた麻のシャツの上にプールポワンと呼ばれるオレンジ色の丈の短い上着を羽織っている。少し線が細いような気もするが程よく筋肉のついた引き締まった体をしている。


「あなたが新しいアシスタント?」


「おっしゃる通りです。ご主人様パドローナ


 私はテオに手を差し出す。テオはうやうやしく私の手を取ると手の甲に優しくキスをした。


 

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