第85話 ハプスブルク家
「ああ……もういいんです。気にしないでください」
「おや、忘れちゃったのかな? 君はとても怒ってただろう? えっと……なんと言ったんだっけ?」
感じの悪い尋問のようだとは思ったが、そんなことを気にしてはいられない。
ジャンヌAはふうーっと息を吐き出した。
「ペリエル様に失礼なことを申し上げました。その……ご主人をないがしろにしているのでは、と」
これは決定的じゃないか。あとはジャンヌBに同じ質問をすればいい。ジャンヌBが答えられなければ、ジャンヌBが偽物で、ここにいるジャンヌAが本物だ。ここでジャンヌAには部屋を退出してもらい、ジャンヌBを部屋に招き入れた。
いきなり核心の質問をしても良かったのだが、アイヒにも同じ質問をさせることにしてみた。
「ねえ、先輩、覚えてます。ミカエル様の部屋に勝手に入って怒られた時のこと?」
ジャンヌBの反応はジャンヌAとは違っていた。
「私になりすましているもうひとりの私は、アイヒさん、あなたの先輩なのですね? だからその先輩との思い出を話せば私がおかしな反応をすると思っているのでしょう?」
「うっ……」
アイヒは言葉に詰まる。歴史上のジャンヌの反応とはかけ離れているんじゃないか。頭がキレすぎるぞ。ジャンヌBは言葉を続ける。
「私になりすましているもうひとりのジャンヌは邪悪な存在である可能性があります。そしてその邪悪な存在があなたの先輩なのだとしたら、アイヒさん、あなたは何者なのでしょうか?」
「うげっ……」
アイヒが情けない声を出した。こいつ完全に墓穴を掘ったな。
「相変わらず、アイヒには厳しいねジャンヌ」
ジャンヌBの瞳が俺に向けられた。その瞳には読み取れる感情は浮かんでいない。
「先日は失礼しました。感情的になってしまいお見苦しいところをお見せしました」
えっ!なんだって? まだ質問していないぞ。嫌な予感がする。
「えっと……何の話だい?」
「ルグラン様、あなたがシノン城にある塔にお泊まりになった話をされた時のことです」
だめだ、だめだ! 俺は目の前にいるジャンヌBが偽物だと確信していた。本物のジャンヌとクードレイ塔の話をした時、ペリエルはその場にいなかったはずだ。なのになぜふたりとも話の内容を知っているのだ。
「ジャンヌ、はじめて俺たちが会った時に話した内容をシモン司祭にも教えたりしたかい?」
「はい、私、アイヒ様に失礼なことを言ってしまったとすごく心配になって、シモン司祭に相談したんです」
やった、やってしまった。極めて初歩的なミスだ。ジャンヌがシモン司祭になりすましたペリエルに俺たちと話した内容を伝えるとは考えていなかった。どうする?いったいどうすればいい?
俺の直感は、目の前にいるジャンヌBが偽物だと告げている。根拠はない、ただ何となくそう思うというだけだ。ならばペリエルの気持ちになって考えるしかない。ペリエルの感情を揺さぶるにはどうしたらいいのか?
俺の頭にひとつのアイデアがひらめいた。もうこれしかない。
「マリー・アントワネットの話をしようじゃないか」
俺はゆっくりとした口調でジャンヌBに語りかける。
「存じ上げない名前ですね」
ジャンヌBは少しだけ眉を上げた。
「マリーは君と同じようにフランスを愛していた女性だ。彼女の夫はフランスの王様なんだ」
ジャンヌBは黙って耳をかたむけている。
「彼女はフランス王妃としてふさわしい振る舞いをしようと頑張った。国民に愛されようと努力もしただろう。だが時代の大きな流れに逆らうことは出来なかった。最後はフランス国民の手によって処刑されてしまう」
処刑という言葉を聞いた途端、ジャンヌBが眉をひそめた。
「ルグラン様、なぜそんな話を私にするのです?」
ジャンヌBの言葉を無視して俺は話を続ける。
「俺は、マリー・アントワネットの悲劇を避ける方法を考えてみた。マリー・アントワネットはオーストリア・ハプスブルク家の人間だ。母親はマリア・テレジア、ここから家系図を
一旦、言葉を切ってジャンヌBの反応を確かめる。表情に変化はなかった。だが、ジャンヌBの拳はいつの間にか握りしめられている。
「フェリペ1世、マクシミリアン1世、フリードリヒ3世。ここまで来てようやく今現在生きている人物の登場だ。フリードリヒ3世は1415年生まれで1424年の今はまだ9歳だ。27年後、フリードリヒ3世は神聖ローマ皇帝となる。予想を裏切って50年以上その地位を維持することに成功、以後、神聖ローマ皇帝はハプスブルク家の世襲となる」
「ルグラン様、もうやめましょう。こんな話無意味です。私は確かに白い部屋にあった書物で未来の出来事を想像で書いたものにも目を通しました。それは刺激的でとても興味深いものでした。ですがあなたがこの話で私に何を伝えたいのか全く理解できません」
冷静な言葉とはうらはらにジャンヌBの唇はほんの少しだけ震えている。
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