第77話 憧れのイタリア

 俺たちが白い部屋の巨大な書棚に着いたとき、ジャンヌはボーっと書棚を見上げていた。


「待たせたね、ジャンヌ。どうしたんだい、ボーっとして?」


 シモン司祭に戻ったペリエルが声をかけた。ジャンヌはこちらを向いて目をしばたたかせた。


「あの……私……ごめんなさい」


 ジャンヌはぎこちない動きでこちらに体を向けた。


「この部屋の存在を私に隠してたことを言ってるのかな?だとすれば謝る必要はないよ。私もこの部屋のことを知っていて君に黙っていたのだから。同罪ってやつだ」


「この部屋のことを説明してもらえますか?


 俺は皮肉まじりに聞いた。


「私もね、ここが何なのか詳細を知ってるわけじゃないんだ。ただ、どうやら神様の世界と我々の世界、その中間にある世界らしい」


煉獄れんごくということですか?」


 ジャンヌがおそるおそるという感じで尋ねる。煉獄れんごくとは、カトリック教会の教義で、死者が罪を清めるために訪れる天国でも地獄でもない場所を指す。俺はアイヒとペリエルに初めて会った場所をふたりが『審判の部屋』と呼んでいたのを思い出した。


「おそらく、それに近い場所だと思う。君は死んでいないけどね。ミカエル様が君や私たちをここに導いてくださったんじゃないかな」


「ああっ!ミカエル様っ!私は司祭様に隠し事をするという罪を犯しました。どうかお許しください」


 シモン司祭の答えを聞いたジャンヌは突然ひざまづくと両手を組み天を見上げた。俺は内心ほっとした。ジャンヌの信仰心は失われていない。ジャンヌの本質は変わっていないのだ。


 突然、ジャンヌの目の前でまばゆい光がきらめき出した。うっ、ペリエルめ、またやるつもりだな。光のシャワーが収まると案の定、白い翼を持った天使のペリエルがジャンヌの頭上に浮かんでいた。


「ひっ!て、天使様っ!」


 ジャンヌが悲鳴を上げた。ペリエルの声が俺の脳内に聞こえてきた。


「ルグランさん、アイヒちゃん、ふたりもひざまずいて。演技でいいから」


 この時代のキリスト教徒としてジャンヌのような反応が自然だろう。平然としていては怪しまれるし、信仰心がないと思われかねない。ここはペリエルに従うしかないだろう。俺はひざまづくと祈りを捧げる。隣を見るとアイヒはすでにひざまづいて目をキラキラさせてペリエルを仰ぎ見ている。こいつどんだけペリエルに心酔してるんだ。きもっ!


「我が子、ジャンヌよ。そなたの罪を許します。ここにある書物はそなたの血となり肉となる知識をそなたに与えるでしょう。そなたが使命を果たすには自らの頭で考え行動しなくてはなりません。この部屋にそなたを導いたのはそのための試練を与えるためなのです」


 ペリエルの声はとても澄んでいて心にすうーっと入ってきた。この俺でも思わず懺悔してしまいそうな気になる。


「ああっ!これは神様が私に与えたもう試練だったのですね。ですが、私は……私はどうしてよいか分からないのです。どうかどうかこの哀れな田舎娘をお導きください」


 ジャンヌは目からボロボロと大粒の涙を流し、すがるような声で訴えた。


「安心しなさい。そなたはすでに試練を乗り越えています。自らの心のおもむくままに進むのです」


 登場の時とは逆に、いつの間にか天使ペリエルは消えていた。


「自らの心……」


 ジャンヌが独り言のようにつぶやいた。しばらく呆然としていたジャンヌだったが、涙を袖で拭うとすっくと立ち上がる。書棚に近寄ったジャンヌは一冊の本を抜き取るとこちらへ歩いてきた。


『ボルジア家 アレクサンドル・デュマ著』


 ジャンヌが持っている本の表紙にはそう書かれている。ジャンヌは俺の目の前で本の表紙を開くと、そこには古い紙の束が挟まれていた。


「これを探していらっしゃったのですよね?」


 ジャンヌは紙の束を取り出すと俺に差し出した。俺は急いで腰に下げた巾着袋から破り取られた第5の手記の後半部分を取り出した。ジャンヌから受け取った紙の束にも破り取られたような跡があり、俺はその跡に自分が持っている手記を重ねてみた。


 跡はピッタリと一致した。そうか、やはりジャンヌは手記の残りを持っており、この部屋に隠していたのだ。


「お望みでしたらその手記は差し上げます。ですが私からもお願いがあるのです」


「どんな願いですか?」


「私がイタリアへ行く手伝いをしてくれませんか?」


 ああっ! ジャンヌの本質は変わっていないと思ったのは甘かったようだ。俺はシモン司祭(ペリエル)の方に冷たい視線を送った。シモン司祭は目を逸らしてうつむいた。


「いいじゃない、連れてってあげようよ! どうせイタリアへ行くんでしょ」


 アイヒの能天気な声が割って入った。


「えっ! そうなのですか?」


 ジャンヌが瞳を輝かせてこちらを見る。くそっ、アイヒのやつ余計なこと言いやがって。


「ちょっと待て! 誰もイタリアへ行くなんて言ってねーぞ」


 慌ててアイヒの言葉を否定するが、アイヒはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべている。


「手記をかして」


「何だって?」


「あんたが持ってる第5の手記をかしなさいって言ってるの、さあ早く!」


 アイヒの勢いに気押されて手記を渡してしまった。アイヒは手記をペラペラとめくり始める。


「えっとーどこだっけ? うーんと……ここじゃない。あっ!あった、ここ、ここ。読むわよ」


 探していた部分が見つかったのか満足げな表情を浮かべるアイヒ。


「えー、オホン。『私は決心した。モレー総長が残されたふたつの宝のひとつをへ運ぶ。ロンバルディアであればきっと受け入れてくれるに違いない。だが、もうひとつの宝である黄金はどうすればいいのか?』――わかった?」


 思いっきりドヤ顔になるアイヒ。ああそうだ。テンプル騎士団の財宝はふたつある。ひとつめの財宝である黄金は今俺たちがいる白い部屋のどこかにある。そしてもうひとつの財宝はジャンヌが行きたがっているイタリアにあるのだ。


 

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