第75話 謎の声

「モンテギュ、お前の目的は俺の持っているテンプル騎士団の手記だろう? なら取引をしようじゃないか」


 剣を構える動作とはうらはらに俺は取引を提案する。


 モンテギュは、歪んだ笑みを浮かべた。


「バカめ!自分が取引できる立場だと思っているのか?お前の選択肢は二つしかない。大人しく捕縛され火炙りとなるか、ここで死ぬか、そのどちらかだ」


 トゥール城で、盗賊の女にニセの手記をつかませたことがあった。そのことが女からモンテギュに伝わっており、俺の言うことを信じないように言われているのかもしれない。


 モンテギュと仲間たちがジリジリと距離をつめてくる。武芸が苦手な俺が、もと騎士団員のモンテギュと戦って勝てるはずはない。さらに3名の仲間が背後に控えている。


 ――これはヤバい。


 アイヒとジャンヌという女性ふたり、聖職者のシモン司祭。戦えるのは俺だけ。甘かった。賊どもの襲撃に備えてマレとジャックにもついて来てもらえばよかった。


 ヒュン!


 空気を切り裂くような音がして、モンテギュの剣が振り下ろされた。


 ガチャン!


 なんとか剣で受け止めたが、衝撃で俺はよろめく。


「どうした? ふらついているぞ」


 あざ笑うかのようなモンテギュの言葉。すぐに体勢を立て直して剣を構える。モンテギュの後ろにいる男たちは必要なしと思っているのか成り行きを見守っている。


 いきなりモンテギュが踏み込んで来た。右から一撃、なんとか受け止める。次は左から、のけぞってかわしたと思ったのだが、左腕に剣がかする。鋭い痛みを感じて左腕を見ると上着が切り裂かれて血が滲んでいる。幸いかすり傷で済んだようだ。


「レオ! 大丈夫?」


 緊迫したアイヒの声が背中越しに聞こえてきたが、振り向く余裕はない。だめだ、このままでは確実にやられる。隙をみて逃げるか?みたところ教会の出入り口はモンテギュたちが立っている後ろ側にしかないようだ。俺たちの背後には内陣ないじんと呼ばれる半円形のスペースがあり祭壇が設置してある。


 教会の外が曇っているのか、薄暗くなってきた。もともと陽の光があまり入ってこない構造だが、蝋燭の明かりがないとかなり見えにくくなっている。


 俺は一歩、二歩と後退してモンテギュと距離をとる。ベチャと後ろに踏み出した足裏におかしな感触があった。


 ――床が濡れている?


 頭を動かさないように視線を下げると、俺の足元から前方へ向かって水が流れたような黒い筋ができている。チョロチョロと流れてちょうどモンテギュが立っている付近に水溜りが広がっているように見えた。


『ルグランさん、聞こえますか?みっつ数えたら、左後方の袖廊しゅろうへ向かって走ってください。いいですか振り向かず全力で走るのです』


 不意に女の声が聞こえた。聞こえたというよりは、頭の中に直接響いてくるようなおかしな感覚だった。アイヒか?違う、アイヒの声ではない。ではジャンヌかと思って横を見るがいつの間にかジャンヌはいなくなっていた。ジャンヌでもないのか。だがなんとく聞き覚えがあるような気がする。教会は十字架のような構造をしている、袖廊しゅろうとはちょうど十字架の横棒のように出っ張った部分のことだ。そこに向かって走れというのだ。


 いち、……に……。


 謎の声がカウントダウンを始めた。


 目の前ではモンテギュが薄笑いを浮かべながらこちらに踏み出そうとしているのが見える。次の一撃で俺の息の根を止めるつもりだろう。


 やるしかない。心臓がどくどくと激しく鼓動する。


 ――さん!


 俺は勢いよく振り向くと、袖廊しゅろうへ向かって駆け出す。スローモーションのように俺の背後に向かって何かが飛んでいく。目の端で捕らえたそれは、火のついた蝋燭だった。蝋燭を投げたのはシモン司祭だった。司祭の隣には横倒しになった樽が置かれており、栓を外された穴から液体が流れ出している。


 気がつくとシモン司祭、アイヒ、ジャンヌの3人も一斉に走り出していた。


 ボンッ!


 後方で何かが破裂するような音がして背中に熱を感じた。熱い風が教会の奥に向かって吹きつけてくる。続いて男たちの悲鳴が上がった。おそらくこぼれた液体は何かしらの可燃物だったのだろう。


「こっちです、ルグランさん」


 シモン司祭が立っているすぐそばの床には四角の穴が空いており、すでにアイヒが降りて行こうと穴に入っているところだった。ジャンヌの姿が見えないということはすでに穴から下へ降りたのだろうか?


「これは?」


「質問は後です、さあ階段で下に降りてください!」


 穴と覗き込むと地下へ続く階段になっているようだ。言われるがまま、アイヒに続き階段を使って地下へ降りていく。階段はすでに取り付けてある燭台で照らされている。俺が降りていく後からシモン司祭も穴に入るとスライド式の穴の蓋を閉じた。


 ドン!


 また破裂するような大きな音がした。


「樽に残っている油に引火したのでしょう。いずれここにも煙が入ってきます。さあ急いで」


 シモン司祭が言った。


 階段の下は正方形の広い部屋になっていた。部屋の中央には木製のテーブルと椅子が置いてある。部屋の壁一面には――


 ――大量の写本


 なんなんだ、ここは! こんな田舎の教会にこれほどの本があるなんて信じられない。アイヒも目を丸くしている。ジャンヌは肩で呼吸しているのがわかったが特に驚いた様子はなかった。おそらくこの部屋の存在を知っていたのだろう。


 シモン司祭が部屋へ入ってきた。俺は司祭へこの部屋のことを聞こうと口を開きかけた。だが、司祭はそれを遮るように言った。


乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセル、秘密の入り口を開けてください」


 ジャンヌの瞳が大きく見開かれた。 


 

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