第74話 偽りの異端裁判

乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセル。私は、ミネ司祭から重要なものを預かりました。テンプル騎士団の手記です」


 ジャンヌの言葉からはミネ司祭のことを本当に心配しているのが伝わってきた。ならばミネ司祭からもらった手記のことを話してもいいだろう。そう判断した。


 ジャンヌは驚きの表情のまま固まっている。次々と出てくる新しい情報に処理が追いつかないのだろう。


「ミネ司祭が……手記を……なんで?」


 やっと絞り出すように言葉を発した。


「手記のことをご存知なんですか?」


 第5の手記がドンレミ村にあると聞いた時からジャンヌが関わっている可能性も考慮に入れていた。ジャンヌの反応からいって手記のことを知っているのだろう。


「ルグラン様、本当は口外してはならないのですが……神様はこうも言われました」


 言葉を選びながら慎重にジャンヌは語り始めた。


「やがて西方から旅人がやってくる。その旅人と協力して使命を果たすために必要なものを手に入れよ、と」


 ジャンヌが青い瞳をじっとこちらへ向けてくる。真剣な表情だ。


 ジャンヌは続ける。


「ルグラン様……あなたが『旅人』なのですか? 私にはわからないです。私に必要なものとは何なのでしょうか? 私はどうすればシャルル王をお救いできるのですか? いや……そうではない。……シャルル王を、フランスを救うことだけが私の使命なのでしょうか?」


 きっと、本来の歴史にない色々なことが起こったのだろう? 伝えられている歴史でのジャンヌは、神の言葉をただ一心不乱に信じ、それだけを頼りに行動に移した。そして目的を果たした時、自分の存在意義を見失った。だが、今目の前にいるジャンヌはそれとは違う。自分の使命に疑問を感じて悩んでいる。


 すがりつくようなジャンヌの瞳にとらえられて、今度は俺の方が固まった。何と答えればいいのか? そもそも俺が歴史的な英雄であるジャンヌ・ダルクに偉そうな助言を与えていいのか? ――いや、正解を求めても無駄だろう。目の前にいるのは、人生の進路に悩むひとりの少女だ。押し付けがましい助言など不要だろう。


「ジャンヌさん。私はかつて事業に失敗して全財産を失いました。そのことをとても後悔しました。酒におぼれて何もかもいやになりました。もっと上手くできたのではないか、自分はなんて運が悪いのか、もう一度チャンスが欲しい。いろいろなことを考えました。ですが、今は違います。別の目標に向かって進んでいます。不思議なものであれほど後悔したことについてだんだんどうでもよくなってきているのです」


 ジャンヌはただ黙って耳を傾けている。


「私が神様のおっしゃる『旅人』かどうかは私にはわかりません。そしてあなたの使命についてもお答えできません。それはあなた自身が決めることです。私は自分の目標を果たすためにここに来ました。あなたは、あなたが本当にやりたいことをやった方がいい。自分のやりたいことをやり続ければ、私のように失敗しても歩き続けられますよ」


「私の本当にやりたいこと……」


 ジャンヌは独り言のようにつぶやいた。そして何かに思い付いたように言った。


「私……行きたい……イタリアへ……行ってみたい」


「キャー!」


 ジャンヌの言葉が終わらないうちに部屋の外から女性の悲鳴が聞こえた。アイヒの声だ。続いてドカドカと荒々しい足音が響く。俺とジャンヌは何事かと急いで応接室を飛び出した。


 身廊の奥、祭壇の前にはアイヒとシモン司祭が呆然として立っているのが見えた。ふたりの怯えたような視線の先に目を向けると数人の武装した男が剣を構えている。


「剣をしまいなさい! ここは教会ですよ」


 シモン司祭が侵入者へ向かって叫ぶ。


 一番手前にいる大柄の男は鎖帷子を身につけ、お椀のような鉄のヘルメットを被っている。頬には大きな傷があった。他の数人も同じ格好をしている。


「俺は異端審問官のクレモン・ブーケだ」


 頬に傷がある男が言った。


 クレモン・ブーケ? こいつがオルレアンでサン・テンヤン教会を襲い、ミネ司祭から第4の手記を奪った男か。傭兵マレさんの元同僚で元の名前はモンテギュという。


「聖ヨハネ騎士団から異端審問官へジョブチェンジか? モンテギュ」


 からかうような調子で言った俺の方をモンテギュはキッとにらみつけた。


「そうか、マレから聞いたのだな。シャルルの犬め」


「おっと失礼。今は盗賊の仲間だったな」


 俺の挑発にモンテギュは口の端を歪める。


「レオ・ルグランならびに妻のアイヒへルン、両名には異端の疑念がある。おとなしく捕縛されよ」


 モンテギュが大声で言った。


「は? 何言ってんの、あんたたちこそ異端のふりをして悪いことしてるじゃない。知ってるわよ、あんたたち暗殺教団なんでしょ」


 アイヒが口を尖らせて言い返した。


「異端を認めろ、今ここで異端であることを宣誓するのだ。その上で我らがキリストの名において罪を悔い償うのであれば、汝らの罪は許されるであろう」


 モンテギュはアイヒの言葉に耳を貸すことなく言葉を続ける。モンテギュは異端裁判を勝手に進めている。俺とアイヒの有罪は既に確定したかのような言い振りだ。今はその次の段階、悔悛かいしゅん※の勧告へと移ったようだ。


 ※注……過去の罪をいて、神の許しを請うこと


「待ちなさい、間違っている! こんな異端裁判はあり得ません」


 シモン司祭も抗議の声を上げた。


「異端者をかばうものも同罪ですよ、司祭」


 モンテギュにとりつく島がないのを見て、シモン司祭は「ああっ」と絶望の声を漏らした。


「俺も妻も異端の罪は犯していない。認めるものか!」


 モンテギュの目的はテンプル騎士団の手記を奪うことだろう、そのためならどんな手段でも使うつもりだ。


 俺はゆっくりと腰の剣を抜いた。


 

 


 

 


  

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