第67話 ゲームのルール

【オルレアンの異端者(賊の女)③】


 天使か。こいつ、逃げたとばかり思っていたのに戻って来たのだな。


 天使の横にいるのは、プレートアーマーで武装し馬に乗った騎士だ。ふたりとも私の死角から近寄って来たらしい、全く気が付かなかった。


 騎士はロングソードを抜くとこちらに突進してきた。騎士が振り下ろした剣を自分の剣で受け止めた瞬間、私は悟った。こいつはとんでもなく強い。こいつと本気でやり合えばこちらもタダでは済まないだろう。


 私は騎士に背を向けると逃げることを選択した。なぜか騎士は私を追って来なかった。途中、先ほど放った矢を回収しておくことも忘れなかった。あのヘタレ天使が戻ってくること、しかも強い騎士を連れて来たのには驚かされた。


 それにしても私に向かって石を投げつけてくるとは。確かに集団戦において投石は有効な攻撃方法ではある。だが、ルグランをおとりにして自分は逃げ出し、今度は騎士に助けてもらう。男に助けてもらうだけの無能な女。


 胸の奥がムカムカする。何が天使だ。いやこれ以上は言うまい。私にあの女を非難する資格はないだろう。


 あの方から、すぐに次のミッションが伝えられた。ミッションは、アンジェで我々組織のメンバーと接触せよというものだった。我々組織のメンバーはあちこちにいるらしい、しかもフランス王家の近くにまで影響を持っているようだ。


 アンジェに向かう準備をしていたら、急にミッションの変更を命じられた。何でもルグランが行き先を急にアンジェからトゥールへ変えたらしい。全くこっちの身にもなって欲しいものだ。次のミッションはトゥールで騒ぎを起こせというものだった。


 トゥールのサン・ガシアン大聖堂で働く聖職者の男をあらかじめ金で買収しておいた。男と会って話をしたところ、トゥールにカトリック教の聖遺物が運び込まれたらしいとのことだった。私は聖遺物には興味がなかったが利用させてもらうことにした。私は夜陰に紛れてトゥールにあるもうひとつの教会、サン・ジュリアン教会に忍び込んだ。教会の中を荒らし証拠になる品をわざと落とす。


 その品とはオクシタニア十字というもので、かつて異端として弾圧されたキリスト教カタリ派のシンボルとされた紋章だ。あの方が、何の目的でそんなものを作ったのかはわからない。ともかくその紋章を教会へ残すようにとの指令だった。


 私が行った工作の効果は抜群だった。聖人サン・マルタンがまつられているサン・マルタン大聖堂の警備が強化されたからだ。これでは、サン・マルタン大聖堂に聖遺物があると言っているようなものだ。間抜けな奴等め。さて次はトゥール城だ。


 私の陽動作戦に引っかかり、ルグランと天使はサン・マルタン大聖堂の警備に行った。なぜかトゥール城の管理人まで同行したため、トゥール城はガラ空き状態となった。買収した聖職者が手はず通り、差し入れのワインを持ってトゥール城へ入った。聖職者からの差し入れということで誰も疑わず、睡眠薬を仕込んだワインを飲み城の使用人は大広間で眠りこけた。


 大広間から2階へ上がる階段の前にオクシタニア十字の紋章を落としておく。何名かの使用人を2階の調理場へ運び、縄で縛った上で目隠し、喋れないように猿ぐつわを噛ませる。調理場のかまどに火を起こし、オクシタニア十字の焼印を熱する。これで準備万端だ。縛った使用人に気付薬を嗅がせ目を覚まさせる。


「手記はどこにある?」


「なんの話です?」


 使用人の男に手記のありかを問いただす。だが男は怯えながら何も知らないと言う。まあいい。今からやることで気持ちも変わるだろう。かまどから熱した焼印を取り出す。


「服を脱がせろ」


 聖職者に命じて使用人の服を脱がせたその時


「やめろっ!」


 戸口の方から男の声がして誰かが調理場へ入って来た。レオ・ルグランだった。予想していたよりもずっと早い登場だ。どうやら連れの天使や騎士はおらず、ひとりで来たようだ。いや後から駆けつけるのかもしれない。ちょうど良い、この状況を利用してこいつの持っている手記も奪ってやろう。


 あの方からは第5の手記を先にと言われているのだが、今ここでルグランから手記を奪えば私の勝利は確実なものとなる。そんなチャンスを逃してたまるか。


 私は焼印を使用人の方に向け、ルグランへ言った。


「お前の持っている手記を渡せ」


「わかった。渡すからその人たちを解放しろ」


 意外にもルグランは抵抗することなく腰の巾着袋から冊子を取り出して私の方に掲げて見せた。だがまだ油断は禁物だ。渡すと見せかけておいて襲いかかってくる気かもしれない。


「ここまで取りに来い」


 予想通り、私と使用人を引き離す作戦だろう。そんな手が通用すると思っているのか、バカめ。私は聖職者の男に焼印を渡すと、ルグランが妙な動きをしたら使用人に焼印を押すように命じた。ルグランの瞳に動揺の色が浮かぶのが見てとれた。


 私はジリジリとルグランへ歩み寄ると手を差し出した。


「さあ、手記を渡せ!」


 次にルグランがとった行動は、全くの予想外だった。ルグランは冊子をかまどの中に投げ込んだのだ。


 こいつはバカか! 大切な手記を炎へ投げ入れるなど!


「この、愚か者がぁーー!!」


 私は怒りで大声を上げてしまった。


 何とか手記を炎から救い出そうと、かまどへ突進した。その後は無我夢中だった。かまどの灰を撒き散らしもうもうと煙が広がったせいで何も見えなくなった。炎が手の皮膚を焦がし、苦痛で声をあげそうになった。それでも何とか全部燃えてしまう前に冊子を取り出すことができた。


 背後ではおそらくルグランの仲間が部屋に入って来たのだろう、ルグランを呼ぶ声と足音が響いている。ほとんど視界がない中で、この部屋の窓の位置を思い出す。あらかじめ、窓の下は植え込みになっていることを確認しておいた。第1と第2の手記は手に入れた。ここは一旦退却した方がいいだろう。


 記憶を頼りに窓の方向へ走り、足で窓を蹴破った。一瞬、窓から下を見てクッションがあることを確認してから飛び降りる。聖職者の男はおそらく捕えられるだろう。まあいい、あいつには私の素性もミッションも何も重要なことは教えていない。


 柔らかい植え込みに着地した私は、庭につないであった馬に飛び乗ると通りを駆け抜けた。馬を全速力で走らせてトゥールの郊外までやってきた私は、高揚した気持ちを抑えながら手に入れた手記を確認した。


 ――なんだこれは!


 白紙だった。ページをめくってもめくっても何も書いていない。


 やがて私は笑い出した、おかしくて仕方なかった。


 私はルグランにだまされたのだ。全てあいつの演技だったのだ。


 そうか……これは対戦型のゲームだと、あの方は言っていた。ようやく私はこのゲームのルールを理解した。

 

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