第62話 空っぽの乙女

【ドンレミ村のジャンヌ】


 最近、白い部屋の書物のことやミネ司祭のことで、テンプル騎士団の手記解読がおろそかになっていた。マンサ・ムーサ王がカイロでばら撒いた黄金を買い集めることに成功し、これから運ぶ――というところまで読んでいたのだが、その先がどうなったのか? 該当の記述が見つからない。


 気になるのは、この手記の一番最後のページに破り取られたような跡があることだった。もしかしたら肝心な部分はこの破られたページに書かれていたのではないか? 筆者は黄金をいったいどこへ運んだのか? 気になって仕方ない。それだけの黄金がもし今も残っているのなら、シャルル王へ献上してイングランド軍と戦うための戦費として役立ててもらえるに違いない。


 いや、私も自分の旅費、自分にあった鎧や剣を作る費用、また傭兵を雇う費用としても使えるだろう。シャルル王のとこへ行けばなんとかなる、そう思っていたのだがやはりそれなりの備えをしておかなければ、王の負担になってしまうだろう。そんなことは考えてもいなかったのだが、なぜ今まで思い付かなかったか。


 そうだ、できればかっこいい旗印も欲しい。旗にはどんな紋章がいいだろうか? 聖母マリア様のお姿があれば最高だ。マリア様の両側には天使もおこう。聖母マリア様の旗印を大きく振りながら私は兵に呼びかける。


「行け! 我らには神がついておられるのだ」


 気がつくと頬が緩んでいる。なんだかとても恥ずかしくなった。こんな田舎娘がマリア様の旗印など畏れ多いのではないか? だが私のこの神様を信じる心をどうやって表すことができるというのか。この気持ちだけは誰にも負けない。


 手記を読み進めると気になる部分があった。


『私はいったいどこへ行けばいいのか? スペインはどうだ? ヴァレンシアにはモンテサ騎士団というものが新しく作られたと言う。アラゴン王にとってはムーア人と戦うために必要な組織だったのだろう。ただ組織の実質は我々テンプル騎士団と何も変わらないはずだ。ポルトガルの騎士団も難を逃れたようだ。ポルトガル王ディニス1世はイケメン王フィリップの圧力を跳ね除けてテンプル騎士団の財産が奪われることを防いだ。我々を断罪した教皇クレメンス5世の次の教皇であるヨハネス22世と交渉してキリスト騎士団を作った』


 どうやらテンプル騎士団は完全に消滅したわけではないようだ。スペインのアラゴン王やポルトガル王にとっては、まだまだ必要な組織だったようで名前は変わってしまったが同じような組織が存続したのだ。人間というのは勝手なものだ。勝手に利用したり邪魔になったら切り捨てたり、その時の権力者によっていいように扱われているだけではないのか?


 なら権力を持って利用する方になればいいのではないか?という考えも頭をよぎった。いやいやそれは私の使命ではない。やはり信じられるのは神様だけだ。ふと、シャルル王はどんな方なのだろう?と思った。イザベル母さんは、イングランドとくっついたり離れたりするブルゴーニュ派と違い困難な立場ながらイングランドと戦っている立派な方だと言う。


 神様もシャルル王をお助けするようにおっしゃるのだから、そうに違いない。だが頭のどこかで何かが引っ掛かる。神様が私にお命じになった文字を学ぶこと、新しい知識を取り入れること、その結果私は色々なことを知った。そして私が得た結論はソクラテスさんの言葉に要約されている。


『無知は罪なり 知は空虚なり 英知を持つもの英雄なり』


 無知とは罪なのだ。なら文字を知らないドンレミ村の人々は罪を犯しているのだろうか?そんなことはない。彼らに罪はない。学びたくても学ぶ機会がないのだから。私のように学ぶ機会を与えられたのにそれをしないことが罪なのだ。そして知識を得てもただ知っているだけで何も行動しないのは空虚だ。からっぽなのだ。これこそ今の私

乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセル』の情けない姿だ。


 知識を持って行動する者が『英雄』なのだ。そう――カエサル様のように。そしてクレオパトラのように。


 手記にはまだ続きがあった。


『イタリアのロンバルディア※はどうだ? 彼の地には多くのテンプル騎士団員が逃げ込み保護されていると言う。ロンバルディアはかつてカタリ派の信者も多く避難したらしい』

 ※注 北イタリアのポー川沿岸の平野一帯の地名。中心都市はミラノ。


 またイタリアか。カエサル様、ルカ・パチョーリさん、ニコロ・マキアヴェッリさん、そしてチェーザレ。このところ私の前に現れるのはイタリアの人ばかりだ。唯一の例外がプロイセンのクラウゼヴィッツさんだ。


 こんなに優れた人がいるイタリアってどんなところなのだろう。急速にイタリアへの興味が湧いてきた。


 もし神様がお許しになるならイタリアへ行ってみたい。この目でどんなところなのか見てみたい。


 いけない、また自らの欲望にとらわれている。前回、未来を知りたいという欲望を抱いて神様から警告を受けたというのに。私はシャルル王が治めているこのフランスが好きだ。


 同じように、神様の意思に反してフランスを我が物にしようとしているイングランドが嫌いだ。ならイタリアは? 好きとか嫌いとかではない。イタリアには私の心をとらえて放さない何かがある。それが何か知りたいのだ。


 白い部屋へ行き書庫の前に立った私は迷うことなく、アレクサンドル・デュマの『ボルジア家』を手に取った。


 この本によると、1494年にフランス王シャルル8世がイタリアへ攻め込んだ。これによってイタリアは、フランス、神聖ローマ帝国、スペインの勢力争いの場となってしまう。世にいう「イタリア戦争」が勃発したのだ。イタリアにはローマを取り囲んでナポリ王国、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国といった小国家が存在しており、上記のような大国が海や山を越えてイタリアへ攻め込もうとした際に盾の役となる筈だった。


 だが実際はどうだろう? これらの小国はまとまることなく権力争いを繰り広げた。そのことがフランスの侵入を許すことにつながったようだ。


 これって今のフランスと同じじゃないのか? シャルル王を支持するアルマニャック派と対立するブルゴーニュ派の争いがイングランドを呼び込むことになった。そんなフランスが今度は侵略する側になるのだろうか?


 イタリアに話を戻そう。チェーザレはイタリアを統一することを夢みた。私はフランスを統一するなどと大それたことを考えているわけではない。ただ神様の言葉にしたがってシャルル王をお救いしようと思っているだけだ。


 それでも自分の国を救おうと考えて行動したチェーザレから学ぶべきことはあるばずだ。知識を持ち行動するものが英雄なのだから。

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