第61話 裸足の聖者

 俺とマレはそれぞれ1頭の馬に乗り、ブルゴーニュ門に向かう。太陽はかなり西に傾きつつあるものの、まだ日が暮れるには大分時間があるだろう。


 本当なら、ジャックやアイヒ、解放された兵士たちも連れて来たかったが、馬は3頭しかいないし、怪我人を置いておくわけにもいかない。それでも傭兵のマレが一緒でとても心強い。


「レオ殿、拙者の記憶ではモンテギュはこのような悪事を働くような男ではござらん。いったい何があったのでごさろう?」


 ブルゴーニュ門が近付いて馬のスピードを落とすと、マレが言った。


「トゥールの聖職者のようにお金目的ということはないですか?」


「ううむ、少なくとも騎士の誇りはもっている男でござった。誇りまですててしまったのでごさろうか?」


 マレの口調には、かすかな苛立ちが混ざっていた。マレ自身が騎士の誇りをもっていることのあかしだろうと感じた。


 堀にかかった跳ね橋を渡り、やぐらの兵士に声をかけた。


「すぐにサン・テンヤン教会に向かってくれ! 怪我人がいるんだ!」


 門が開かれ、何事かと降りてきた兵士に事情を説明する。


「まさか! 信じられないな。ブーケ殿が賊の一味だったなんて」


「サン・テンヤン教会に行ってみればわかるさ」


「わかった、救援を向かわせよう」


「ブーケと一緒に帰ってきたニセ兵士たちの行方はご存知か?」


 マレが兵士に尋ねた。


「いや、修道院で手当てをすると言ってすでに立ち去ったよ」


「ミネ司祭という人が、この門からオルレアン城内に入らなかったか?」


 今度は俺が兵士に尋ねた。兵士はちょっと待てと言って門の隣にある塔に向かった。しばらくして戻ってくるとこう言った。


「名前はわからないが、粗末な身なりの司祭が入場したらしい。大聖堂へ行くと言ってたそうだ」

 

 大聖堂? サント・クロワ大聖堂か?


 いったい大聖堂へ何をしに行くんだ?


「マレさん、大聖堂へ行きましょう!」


 俺とマレはふたつの大きな尖塔に向かって狭い路地へ走り出た。右にカーブしているひっそりとした通りに差しかかった時、前方を歩く集団が目に入った。


 ――灰色ローブの集団。フードを目深に被っており顔が見えない人影が固まってゾロゾロと歩いている。その時、俺は違和感に襲われた。


 ゾロゾロと歩く集団の足元に俺の両眼は吸い寄せられる。ローブのすそから見えるいくつもの足は、茶色の革靴を履いている。真ん中のひとりを除いては……


 そう、ひとりだけ裸足だったのだ。


「止まれ!」


 思わず叫んでいた。その瞬間、灰色ローブの集団がピタリと動きを止めた。


「司祭様を解放しろ!」


 集団の後方にいた2人が、隠し持っていたであろう短刀を抜くのが見えた。


 次の瞬間、短刀を体の前面に構えるとこちらに向けて突進してきた。マレが素早くロングソードを構える。ひとりが右から、もうひとりが左からマレに切りかかる。マレはロングソードで短刀を受け止めた。鋭い金属音が通りに反響する。そのまま体を捻りもうひとりが振り下ろそうとしている短刀を横からなぎ払った。


 あまりの衝撃に短刀は敵の手からすり抜けて地面へ落ちた。最初に切り掛かった賊が体勢を立て直そうとしている間にマレは素早く接近して体当たりした。賊は吹っ飛び地面に倒れ込んだ。


 強ええっ!


 マレのとんでもない戦闘能力に唖然としていると、残りふたりの賊が短刀を抜くのが見えた。最後に残ったひとりが裸足の人物をひきずって無理やり進ませようとしている。俺は武術には全く自信がない。自信はないがやらねばならない。ロングソードを抜くとふたりに突進した。


 賊が短刀を振り下ろす。ガンと鈍い音がして持っているロングソードに衝撃が走った。腕が痺れる。慌てて数歩後退する。もうひとりが近くまで迫ってきているのが目の端に見えた。


 やばい! やられる。


 そう思った瞬間は賊の剣はマレのロングソードで跳ね飛ばされた。


 助かった! しかし我ながら情けない。こうなったら奥の手だ。


「盗賊だあ、盗賊が襲ってきたー!!」


 俺はありったけの大声で叫んだ。何度も何度も叫んだ。通り沿いの家の窓から、住民が顔を覗かせている。


「盗賊だって?」


「どこだ?」


 家から武器になりそうな棒を手にして数人が出てきた。灰色ローブの賊は起き上がると、一目散に逃げ出した。俺は裸足の人物を連れて行こうとしている賊に向かって突進した。そのまま体当たりして絡まり合いながら地面に倒れ込んだ。倒れた賊のローブをつかもうとした時、賊の足蹴りを顔面に食らった。


 一瞬、目の前が真っ暗になった。俺はなおもローブの端を掴もうと手を伸ばす。だがローブは俺の手をすり抜けてしまった。賊は立ち上がると素早く駆け出して通りの狭い路地へ姿を消した。


「レオ殿、大丈夫でござるか?」


 マレが近寄ってきて起き上がるのに手を貸してくれた。


「ありがとう、マレさん。誰も殺さずにすみました」


「城塞内で人を斬るのは避けるべきでござろう。それに無駄な血は流したくはないでござるからな」


 俺は起き上がるとすぐに裸足の人物のところへ走り寄った。その人物は気が抜けたのか地面に座り込んでいる。


「大丈夫ですか?」


 そう俺が声をかけると、その人物は被っていたフードをとった。カトリック聖職者の特徴的な髪型トンスラが姿を現した。疲れた表情をした老人がこちらを見上げている。


「ありがとう。助かりました……」


 老人は言った。


「ミネ司祭様ですね?」


 老人は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、「さようです」とうなずいた。老人の顔には深い皺がはっきりと刻み込まれてここまでの苦痛を物語っているようだった。


「あなた方は?」


 ミネ司祭の問いに、自分たちの使命とシノンで賊に襲われてから賊の正体を探っていることなどを簡単に説明した。


「そうでしたか……どうやらあなた方と私は同じ脅威にさらされているようだ」


 司祭は納得したように言葉を続けた。


「ここは目立ちますし、賊が戻ってくるかもしれません。とりあえず私たちの宿へ行きましょう」


 住民たちが何事かと集まっているところに衛兵もやって来たようだ。マレが顔見知りの衛兵のところへ行って事情を説明しているのが見えた。


「ちょっと、ここで待っててください」


 司祭にそう言うとマレと衛兵のところへ駆け寄る。


「マレさん、市内で武器を振り回すのは困るんですよ。住民も不安がってます」


 衛兵はマレに苦情を言っているようだ。やはり城塞の守備兵は揉め事を嫌うようだ。俺は満面の笑顔をつくると衛兵に近づく。


「間も無く、ブルゴーニュ門の守備兵からサン・テンヤン教会が賊に襲われたという情報が入るはずです。賊を捕まえれば褒賞ものですよ」


 そう言って俺は衛兵にグロ銀貨2枚をこそっと手渡した。


「そうですか。では忙しくなりそうですね。ですが、あまり騒ぎを起こさなでくださいね」


 衛兵は銀貨を受け取ると騒いでいる住民たちの方へ歩いて行った。


「嘆かわしいことでござる……」


 マレは深いため息をついて肩をすくめた。


「さあ、行きましょうマレさん」


 俺とマレはミネ司祭を連れて宿へと向かった。 

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