第53話 異端審問官

【オルレアンのサント・クロワ大聖堂】


 いつも通り衛兵に、自分たちの名前とシャルル王の命で旅をしていること、司教様にご挨拶に来たことを伝える。


 しばらくすると、アルバと呼ばれる長尺のチュニックの上にマントを羽織った青年が現れた。髪形はやっぱり、ハチマキみたいなトンスラだ。


「司祭のラ・トゥールと申します。申し訳ありませんが司教様は所用でトゥールへ行かれておりまして、いつ戻られるのかわからないのです」


 そうか、ちょうど行き違いになってしまったようだ。もしかしたら、今回の事件に関係あるのかもしれない。司教様に会えなかったのは残念だが、手ぶらで帰るわけにはいかない。何でもいい情報が欲しい。


「実を申しますと、私たちはシノンから盗賊を追っておりまして、その賊に関する情報を集めているのです。もしよろしければお話をお聞かせいただけませんか」


 ラ・トゥール司祭は、ニッコリと微笑んだ。


「もちろんでございますとも、ルグラン様。なんじ、盗むなかれ。盗みは許されません。こちらへどうぞ」


 ラ・トゥール司祭は、俺たちを応接間へ案内してくれた。


「トゥール司教区から書簡が届いています。異端者の賊に注意せよと」


 席につくなり司祭は話を切り出した。


「ご存知でしたか、なら話は早い。これをご覧ください」


 俺はいきなり重要証拠であるオクシタニア十字の紋章を取り出し、テーブルへ置いた。


 司祭は、身を乗り出して紋章をよく眺めようとした。


「ほう、これは、これは、手にとってもよろしいでしょうか」


「もちろん」


 司祭は、紋章を手に取るとじっくりと眺めた。それこそ穴があくほど眺めていたが、やがてテーブルに置いた。


「新しいですね。最近作られたものだ。ラングドック※へ行かれたことはおありですか?」

 ※注…フランス南部の地方名、カタリ派の中心地といわれる。13世紀フランス王領へ併合される。


 紋章が新しいものだと見抜いた! それともトゥール司教区から情報が伝わったのだろうか?


「いえ、ありません」


 俺は平静を装って答えた。


「私はあるのです……ラングドックにカタリ派はいたでしょうか? もちろん何処にもいませんでした。いるはずないのです。なぜなら、かの十字軍が……すべてをなきものとしたからです。1145年にクレルヴォーのベルナルドゥス様がラングドックへ行かれました。彼の地で異端を広める活動していたものがいるからです。ローザンヌのアンリと呼ばれる修道士のことです」


 クレルヴォーのベルナルドゥスは、カトリック教会の聖人だ。聖人の中でも特に学識に優れて偉大な業績を残した人たちに与えられる教会博士の称号を持つ。教会博士のうちでも、ラテン教父アンプロジウス、聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムス、教皇グレゴリウス1世を、西方の四大教会博士という。


 一方、ローザンヌのアンリは、フランスの修道士で教会を批判する説教をして民衆から支持されていた人物だが、ラングドック地方で活動していた時に前述のベルナルドゥスに打ち負かされ、投獄のうえ獄死したという。


 話の先が見えないので、俺が黙っているとラ・トゥール司祭はニヤリと笑みを浮かべて話を続けた。


「おや? おかしな顔をされましたね。私が何を言いたいのかわからないというお顔だ。ラングドックへ行った私は、聖書の言葉を住民に伝える活動を行いました。ローザンヌのアンリのような不信心ふしんじんな者は……もちろんいませんでした。もうひとつ、1208年、教皇様の特使としてラングドックへ派遣されたピエール・ド・カステルノー様は彼の地で殺されました。私がカステルノー様のような目にあうことがあったでしょうか?」


 司祭はここで、一呼吸おいた。


「――断じて、ありません! そのようなことはないのです。なぜなら我々は勝利したからです。カタリ派最後の完徳者かんとくしゃ※ギヨーム・べパリストが捕縛されてから約100年、我々の平穏が乱されることはなかったのです。心配はいりません。この紋章は欺瞞ぎまんに満ちた出来の悪い冗談なのです」

 ※注…カタリ派の教義を完全に実行する者


「つまり――この紋章は模造品であるとおっしゃるのですね」


 ろうろうと語るラ・トゥール司祭の迫力に押されてやっと口を開くことができた。


「いかにも! 過去の亡霊が甦ったかのような芝居で我々を惑わすつもりでしょう」


「トゥールのフーリエ司祭は、フス派の陰謀じゃないかとおっしゃってました」


 急にアイヒが口を挟んだ。こら、余計なことを言うんじゃない。


 ラ・トゥール司祭は歪んだ笑みを浮かべた。


「ハハハハッ、フーリエが言いそうなことです。彼は……こう言っては何ですが、心配性なところがある男でしてね。ここはボヘミアではないのです。我がフランスの脅威はイングランドでありましょう」


「差し当たっての脅威がイングランドであるという点については司祭様に同感です。まずは捕えられたオルレアン公をお救いしなければなりませんね」


 司祭は、そうだと言うように深くうなずいた。


「ルグラン様、残念ながら私は貴公にお伝えできる情報を持ち合わせておりません。おりませんが……情報を持っていそうな男は知っております。男の名はクレモン・ブーケです。そうだ、紹介状を書きましょう。少しお待ちください」


 そう言って司祭は戸棚から紙とペンを取り出し紹介状を書いてくれた。受け取った紹介状には男の訪ね先の住所と職業が記載されていた。男の職業は――


 ――異端審問官だった。


 ラ・トゥール司祭に別れを告げ、サント・クロワ大聖堂をでた俺たちは宿の部屋へ戻った。


「異端審問官になんか会いたくないから」


 部屋に戻るなりアイヒが言った。


「何でだよ?」


「ジャンヌがどうして火刑になったか知っているでしょ」


 ジャンヌの異端裁判は、1431年1月9日から火刑に処せられる5月30日まで、約5ヶ月間続いた。ジャンヌは弁護人をつけられることもなく、集まったジャンヌに有利な証拠は全て無視された。裁判の判事だったピエール・コーションは、さまざまな罠を仕掛けてジャンヌを追い詰めていった。


「知ってるけど、それとこれとは話が別だろ」


 ジャンヌが火刑になる過程を見てきたアイヒが、異端審問官に拒否反応を示すのは十分理解できる。だが俺たちはそのジャンヌを救うために行動しているのだ。必要なら異端審問官であろうと会う必要があるだろう。


 仕方ねえなあ、またいつものやつで元気になってもらうか。そう思い、食堂にエールをもらいに行こうとした時、天使ノートが振動した。ノートを開き、書き込まれた新着メッセージを読む。


『グランドマスターの兄弟が奮戦せし十字軍は失敗に終わり、遅れてきた破門皇帝は戦わずしてイェルサレムを得る。求めるものは兄弟の手にあるであろう』


 俺はヒントをアイヒにも見せた。


「シノン城ででたヒントと似てるわね。特にグランドマスターってとこ」


 確かにそうだ。ちなみに俺がシノン城で受け取ったヒントはこんな感じだった。


 『獅子心王ライオンハートともにアッコンにきたれるグランドマスター。その者の名を探せ』


 いや、何だかヒントの難易度も上がってる気がするぞ。

 


 


 



 

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