第50話 アンボワーズの陰謀

「司祭様、新しい仮説があるんです! 聞いてもらえますか?」


 コイツ、何を言い出すんだ。


「ほおー、聞きたいです! ぜひ聞きたいです!」


 フーリエ司祭は、身を乗り出してきた。ものすごく興味があるという感じだ。


「昔、『暗殺教団』という異教の集団があったらしいんです。その暗殺教団の子孫が今も生き残ってましてそういう汚い仕事を請け負っているんです。あの賊の黒幕がハッキリしないのはあいつがプロの暗殺者だからなんです」


 こらこら天使ノートのヒントをバラすんじゃない。俺はやめろとアイヒに視線で合図を送った。


「なるほど! そうですな。神出鬼没で常人離れした身のこなし、特殊な訓練を受けたものであるかもしれませんな。いや、フス派に雇われた刺客かもしれない。今回は、暗殺ではなく何かを盗むとか破壊する依頼を受けているということか」


 いや、司祭様、乗っかったらダメでしょ。それに自分の説に取り入れてフス派に雇われたことになってるし。


「興味深いですね。アイヒヘルン様はどこで『暗殺教団』についてお知りになったのですか?」


 ほら、余計なことを言うから突っ込まれたじゃないか。


「それは……ええっと……」


「それはですね。シャルル王から依頼で各地の書庫や資料を調べておりまして、そのような資料を目にしたことがあったのです」


 答えにつまるアイヒに助け船を出しておく。後で注意しておこう。


「そうでしたか。それで色々な見識をお持ちなのですね。うらやましいことです。私の方でも賊が残していった紋章と焼印を調べているところです」


「何か分かりましたか?」


 犯人が残していった物的証拠を調べる、確かに捜査の基本だろう。


「正確なことはわかりませんが、どちらも割と最近作られたものではないかと思われます。カタリ派が歴史から姿を消したのが今から100年ほど前ですが、どちらも100年も過ぎたような劣化が見られない。すなわちカタリ派が消滅した後に作られたものではないかとのことです」


「なるほど、だとするとこれらの紋章や焼印はカタリ派の生き残りか、カタリ派以外の人間がわざわざ新しく作ったということになりますね」


「いかにも、今、カトリック教会のネットワークを使って情報を収集しているところです。また、こちらへお越しになるのであれば調べた結果をお伝えしましょう」


「ありがとうございます。旅の帰りに寄らせていただきますね。こちらでも引き続き調査を続けますのでその時にお伝えしますね」


 俺たちは、フーリエ司祭に別れの挨拶をして城へ戻った。


 翌日の朝、いよいよオルレアンへ向けて出発だ。アンドレさんに別れの挨拶をする。


「アンドレさん、いろいろご迷惑をおかけしました。嘘をついてしまって本当にごめんなさい」


 俺はもう一度、アンドレさんに謝った。


「彼女さんが早く戻ってくるといいですね、アンドレさん」


 アイヒの言葉にアンドレはうれしそうに微笑んだ。


「ルグラン様、アイヒさんを大事にしてあげてください。それでは旅の幸運をお祈りします」


 用意された馬に乗り、門まで見送りに来てくれたアンドレに手を振って別れた。町の宿屋でジャックとマレに合流しロワール川の船着場へ向かう。トゥールからオルレアンまでの距離は約108km、途中休憩を挟んで約24時間で到着するらしい。船賃はシノン〜トゥール間と同じグロ銀貨2枚だった。船賃を払って所持金は2.03リーヴルから1.93リーヴルへ減った。


 川船は前回乗ったのよりも大型のハルク船だった。


「このところ天気に恵まれている。神様のおかげだな、レオ」


 夏の青空を見上げてジャックが言った。確かに大雨が降ってロワール川が増水し流れが急になったら、船旅は断念しないといけないかもしれない。


「そうだな。それに気持ちのいい風だ」


 船べりから穏やかな川面を眺めていると、爽やかな風がほおを撫でて蒸し暑さを吹き飛ばしてくれた。


 やがて船はアンボワーズ城へと差し掛かった。現代のフランスではロワール川沿いの古城巡りでこのアンボワーズ城も有名なスポットのひとつになっている。だが、現代のようなルネサンス風装飾を取り入れた華麗な姿になったのは、我々の王シャルル7世の息子、シャルル8世の時代にイタリア文化に心酔した王が大改修を始めてからだ。今、目前に見える城はどちらかと言いうと石造の要塞といったところだ。


 また、まだ100年近く先の話になるが、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごしたクロ・リュセ城もこの近くにある。建築されるのは1471年でまだ50年先の話だ。そして、アンボワーズ城で起こった歴史上の事件で最も凄惨なものは『アンボワーズの陰謀』だろう。トゥールのフーリエ司祭が恐れていたフス派による宗教戦争。これは138年後に別の形で現実のものとなる。いわゆるユグノー戦争が勃発するのだ。フランスではカトリックとプロテスタントが40年にわたって血で血を洗う内戦を繰り広げることになる。


 だが、カトリックと戦ったのはフス派ではない。フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンの思想を掲げるプロテスタントの一派でユグノーと呼ばれる人々だった。ユグノーの語源はドイツ語の「アイトゲノッセン」で「同盟者たち」という意味だそうだ。これがフランス語風になまって「ユグノー」になったという。フランスは伝統的なカトリック国であったが、16世紀ついに宗教改革の波が押し寄せることになった。


 フランスヴァロワ朝10代目の王、アンリ2世が不慮の事故で亡くなると息子のフランソワ2世が15歳で即位した。若く病弱だったフランソワに代わりギーズ公家のフランソワ・ド・ギーズが政治の実権を握った。フランソワは熱狂的なカトリック信者だった。1560年3月、この状況に不満を持ったプロテスタントの貴族たちが、アンボワーズ城にいたフランソワ2世を誘拐しギーズ公をはじめとするカトリック派を排除しようと計画した。


 ところが、この計画は事前に露見して失敗する。多数のユグノーたちが逮捕され、アンボワーズ城内で裁判が開かれた。その結果、1,200名が絞首刑に処され、見せしめとして遺体が城壁や室内、バルコニーへ吊るされた。遺体はそのまま放置されひどい悪臭が発生したという。


 船はアンボワーズ城から次第に遠ざかる。小さくなる城を見ながら将来起こるであろう凄惨な事件について考えてみたが、のどかな風景からは全く想像できない。その後も船は順調に進んで行き、中間点のブロワで休憩を取った後、翌日の午前中には次の目的地オルレアンに到着した。


 オルレアンはシャルル王の支配地域では最も北に位置する。ここより北の地域はイングランドとその同盟国であるブルゴーニュ公国の支配地域だ。オルレアンの領主はオルレアン公シャルル1世・ド・ヴァロワという人で先代のフランス王、シャルル6世の弟であるオルレアン公ルイ1世の子供だ。とは言っても訳がわからないだろうから簡単にいうと今のフランス王であるシャルル7世のいとこだ。ルイ1世とかシャルル1世といわれるとフランスの王様と勘違いするかもしれないが、この人たちは王の親戚だ。


 ルイ1世もシャルル1世もフランス史上、他にも何人もいるので注意しなければならない。ちなみに現在の王家ヴァロワ家の初代王は、フィリップ6世でそもそもシャルルじゃない。フィリップ6世のお父さんは、何度も出てくるイケメン王、フィリップ4世の弟なのだ。


 まあ、その人が治めている土地の名前をとって○○公○○という言い方もあるので両方を参照して把握していくしかない。これで世界史が嫌になる人もいるのだろう。 

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