第49話 青髭伝説
そうか、マレはジル・ド・レに会ったのか。この後の歴史でジャンヌの戦友となる男――ジル・ド・レ。シャルル・ペローの童話『
主人公である資産家の男はヒゲが青かったため『青ひげ』と呼ばれ周りの人から恐れられていた。男はこれまで6回結婚したが、その妻たちはみな行方不明になっていた。男は近くに住む姉妹に求婚し、何とか妹と結婚することに成功する。結婚してからしばらくして、男がしばらく旅行で家を留守にすることになった。
男は妻に家の鍵束を預けるが、ある小部屋だけは絶対に入ってはならない、と命じた。しかし、好奇心を抑えられなかった妻は部屋の鍵を開けてしまい、そこで殺された妻たちの血まみれの死体を発見した。驚いた妻は床に部屋の鍵を落としてしまい鍵に血がついてしまった。鍵に付いた血はどんなに拭っても落ちなかった。やがて旅行から帰った男に鍵を見つけられて部屋に入ったことがバレてしまう。
激怒した男に妻は殺されそうになるが、ぎりぎりのところで救援に駆けつけた二人の兄たちによって男は殺され妻は助け出された。男には後継がいなかったので妻は莫大な遺産を手に入れて二人の兄と姉のために使った。
一方、青髭のモデルと言われるジル・ド・レはどんな人間だったのか?
代々アンジュー家※に仕える家系に生まれたジル・ド・レは10歳の時に父母を相次いで亡くし、祖父のジャン・ド・クランに育てられた。ジャンは、領地拡大のためジルを有力者の娘と結婚させようと画策する。ノルマンディ地方の豪族の娘ジャンヌ、ブルターニュ公ジャン5世の姪ベアトリスと次々に接近するがいずれも病死してしまった。次の候補はトアール家の娘カトリーヌだったが、この結婚がカトリックで禁止されている近親結婚にあたり行き詰まると、なんと兵士を引き連れてカトリーヌを拉致したのだった。
※注 フランス王家ヴァロワ家の支流。ヴァロワ朝第2代の王、ジャン2世と王妃ボンヌの次男アンジュー公ルイ1世に始まる。ルイ1世の家臣にジル・ド・レの曽祖父、ピエール・ド・クランがいた。
おそらくこの祖父ジャンが見せた孫の結婚に対する異常な執念と暴力的なやり方がジルの『青髭』伝説につながったのではないだろうか? ジル自身は祖父の家にあった高価な写本を読み漁っていた。中でもジルが好んで読んだのが、『ローマ皇帝伝』で、ティベリウス、カリグラ、ネロと言った皇帝の残忍な行為を綴った物語であったという。
最近のジルは祖父ジャンのコネで今年(1424年)から宮廷に仕えるようになったはずだ。後の歴史で狂気の連続殺人犯と伝えられることになるこの男と会った印象はどうだったのか? 俺は興味をひかれた。
「何かとても禍々しいものを感じ申した」
マレは顔をしかめながら言った。
「そうなのか? ヴァレリー。俺には洒落たあんちゃんにしか思えなかったけどな」
軽い感じで返すジャックにマレは首を横に振った。
「拙者の勘違いなら良いのでござるが」
ジル・ド・レが悪事に身を染めるのはジャンヌの死後の話だ。それまではジャンヌの忠実な戦友だったはずだ……少なくとも表向きは。今のジルに差し迫った危険はないだろう。
「マレさん、教えてくれてありがとう。そのジル・ド・レという人物には気をつけるよ。最近、物騒なこと続きだからね」
「かたじけない」
ジル・ド・レの話はそこで終わった。
「よし、じゃあオルレアンにある手記をみんなで探すということで、ここトゥールでの仕事は早めに切り上げて明日の午前中には出発するか」
「いいのか? 商業ルートの開拓とか、やることがあるんだろ」
俺はジャックの提案に申し訳ないという気持ちで答えた。
「いいんだ。それは商隊にいる他のメンバーにお願いしておく。さあそう決まったら早速仕事に取り掛かろう」
ジャックは爽やかに言った。なんかいいやつだな、ジャックって。そう思った後、将来ジャックの身に降りかかる災難を思って少し心が痛んだ。
ジャックたちと別れてトゥール城へ戻る前に、お世話になったサン・ジュリアン教会のフーリエ司祭のところへ挨拶とお礼で行くことにした。フーリエ司祭は、後処理のためサン・マルタン大聖堂へ行って不在だったため修道院の応接室で帰りを待つことにした。
「ジル・ド・レさんの話なんだけど……」
司祭の帰りを待つ間、アイヒがポツリと言った。珍しく真剣な調子だった。
「フランス軍がパリを攻撃した時、私は雲の上から様子を見ていたの。先鋒の部隊にはジル・ド・レさんとジャンヌがいたわ。サン=トレノ門に向かって突撃したジャンヌは外側の堀は越えることができたんだけど、何故か内側の堀は水で満たされていたの。ジャンヌはそれ以上進むことができず太腿に矢が刺さってケガをしたのよ」
「何か気になることがあったのか?」
「なんていうか変だったの。ジャンヌだけが堀に水があることを知らなかったんじゃないかと思ったわ」
「天使のカンというやつだな」
パリ攻略に積極的だったのは、ジャンヌとアランソン公だけでシャルル王と侍従長のラ・トレモイユは消極的だったいう。ラ・トレモイユに重用されていたジルの気持ちはどうだったのだろう?一説によると、ジルはラ・トレモイユからジャンヌを見張るよう指示されていたと言われている。だが、ジャンヌと行動を共にするうちに段々とジャンヌに心酔するようになったとも言われている。
仮にそれが事実なら自分の後ろ立てであるラ・トレモイユと心酔するジャンヌの間で板挟みになっていたのではないか? パリ攻略においてもラ・トレモイユから何らかの指示があったのではないか? そう考えても不自然ではないだろう。
「でも、ジルはジャンヌと協力して懸命に戦っていたんだろう?」
「うん……そうね。ジャンヌが矢傷を負った時も、自らジャンヌを助けに飛び込んでジャンヌを担いで脱出したわ。ジャンヌを救いたいという気持ちは本物だったと思う」
負傷したジャンヌは再度パリに攻撃を仕掛けようとした。だが、そこへシャルル王からサン・ドニへ撤退するように命令が下った。さらにその数日後、ロワール川沿いの都市ジアンへの全面撤退が決まった。これ以降、ジルがジャンヌと行動を共にすることはなかった。
「おお、ルグラン様、アイヒへルン様、お待たせしました」
少し重苦しい雰囲気になっていた時、戸口にフーリエ司祭が現れた。前回会った時よりもかなり顔色が良い。やはり無事、盗賊を撃退することで聖遺物を守ることができて重圧から解放されたのだろう。
「司祭様、明日トゥールを離れることになったのでご挨拶で伺いました。司祭様には本当にお世話になりました、お礼を申し上げます」
フーリエ司祭は、恐縮したのか体の前で手を振った。
「いえいえ、ご迷惑をおかけしたのはこちらの方です。まさか身内に……あのような……申し訳ない」
「トゥール城にいたのは『ただの賊』です。そのことは忘れましょう」
「……ありがとうございます」
モロー司教から口止め料を受け取っているのもあるし、その話はここで終わりにしよう。
「逃げた賊について何か分かりましたか? 司祭様」
アイヒが雰囲気を変えるように明るい調子で言った。
「衛兵を使い後を追わせたのですが、トゥールを出たところで足取りがプッツリと途切れており行方がつかめません。一体何が目的だったのか? 謎は残りますな」
謎という言葉にアイヒの目がキラリと光ったのを俺は見逃さなかった。
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