第46話 戦争論

【ドンレミ村のジャンヌ】


 パチョーリさんがいう『ヴェネツィア式簿記』とは商人が行う取引を記録する方法だという。お金が入ってきたのか?出て行ったのか?という「結果」と、なぜ入ってきたのか?なぜ出ていったのか?という「原因」、この2つを記録していく。お金が増えた場合は「借方」へ、お金が減った場合は「貸方」へ記入するそうだ。またこの「借方」と「貸方」は必ず同じ金額にならなければならない。


 それ以外にも仕訳のやり方、財産目録の作り方など商人がどうやって帳簿をつけていくかということについて丁寧に解説してくれていた。私が大好きな代数幾何など数学についても書かれている。


 しかし、神様がこの『新しき知識』を私に学ぶように言われた理由はなんだろう? 私に商人になれというのだろうか? フランスを救うのに商人となる必要があるのだろうか?


 そうだ! 手記だ。手記に書いてあった黄金に関係あるのかも。何も知らない私に黄金は必要ない。だけど、私が商人なら商売の才能があるなら黄金を上手く使えるかもしれない。


 黄金を使いこなせればシャルル王をお助けできるかもしれない。そんなことは今まで、全く考えたこともなかった。ヴェネツィアとはどんなところなのだろう?この簿記というものを使ってお金の管理をしている人たちが沢山いるのだろうか?出来ることなら行ってこの目で見てみたいものだ。フランスのパリでさえ行ったことがないのに贅沢な悩みだろうか?


 目の前にある巨大な書棚には、まだまだ沢山の本が並んでいる。ここから本が持ち出せればいいのだが、家には隠しておく場所がない。教会の地下室にある本棚に移しておこうかとも思ったが、さすがにシモン司祭も気がつくだろう。どんどん司祭様に隠し事が増えてしまう。司祭様は私を応援してくれているのに、なんだか心苦しい。


 せっかくだ。もう少し書棚を探ってみよう。


『戦争論』


 タイトルを見てとても気になった。著者はプロイセンという聞いたことがない国のカール・フォン・クラウゼヴィッツという人だ。元々はプロイセンの言葉で書かれたものがフランス語に翻訳されたもののようだ。書かれた年は――


 1832年!!


 なるほど、未来のことを想像で書いた書物なのだろう。さっきのパチョーリさんの本は単なる年代の間違いなのだろうが、これは空想で書いた本に違いない。この本によるとクラウゼヴィッツさんは、プロイセン軍の軍人なのだそうだ。そしてこれはよくわからないのだが、フランスでは将来『革命』というものが起こって王様が処刑されるという話になっている。さらにナポレオン・ボナパルトという人が権力を握りまわりの国を征服していくのだそうだ。


 ナポレオンは、カエサル様をモデルにして書かれたのだろうか? とても戦争がうまい人として描かれている。クラウゼヴィッツさんの国、プロイセンはこのナポレオンと戦争をして、2倍の兵力がいたのに負けてしまった。クラウゼヴィッツさんはフランスの捕虜になってしまう。


 クラウゼヴィッツさんによると、ナポレオンの登場によりそれまでの戦争の形は大きく変わることになったそうだ。具体的には『絶対的戦争』と『現実の戦争』の2種類に分かれ、ナポレオンの戦争は『絶対的戦争』とのことだ。絶対的戦争の目的は――


 ――敵の撃滅


 この言葉を目にした時、私は稲妻のようなショックに襲われた。神様は私に言われた。


『イングランド兵をフランスから追い出しなさい』


 追い出すだけではダメだ。私の目的は敵の――イングランド兵の撃滅でなければならない。


 私は『絶対的戦争』を行うのだ。そう――ナポレオンのように。


 少し長居をしすぎたようだ。そろそろ家に帰らなければならない。取り出した本をもとに戻し、この部屋へ入ってきた扉の方へと歩き出す。


 あれ? 確かここに金属の扉があったはずだが?


 突然現れた真っ白な部屋に気を取られて扉の位置をよく確認しなかった。だが、書棚以外何もない部屋なのだ扉はすぐに見つかるはずだ。少しあたりを歩き回ってようやく扉を見つけた。扉を開けて通路を進んでいくのだが、さっき通った道と微妙に違うような気がする。


 通路は教会の隠し扉ではなく、たて穴に突き当たった。たて穴には登りのはしごが取り付けてある。穴を下から見上げると真っ青な空が見えた。教会の中ではなく屋外のどこかにいるようだ。はしごを登るとそこは、教会から少し離れた林の中だった。


 なんてことだ。教会にこんな隠し通路があったなんて。驚くと同時にこれは都合が良いと思った。教会の隠し扉を通ることなく直接、さっきの白い部屋へ行くことが出来る。目印として、たて穴の近くの木に石で十字の印をつけた。それからもう一度教会の地下室へ戻ると片付けをしてから家へ帰った。


 その日からは前にも増して忙しくなった。教会の地下室で司祭様の授業を受けた後、例の林へ向かい、たて穴を通って白い部屋へ行く。そこで書棚の本を読むということが習慣となった。白い部屋に誰かが入ってくることはなく、安全だと思った私は家に隠してあったテンプル騎士団の手記もこの白い部屋で保管することにした。


 毎日が充実していた。新しい知識はどんどん増えていったし、なんと言っても自分の目的を達成するために努力をして少しづつ前進しているという確かな感触があった。つらかった農作業も平気になった。私には希望がある。希望を持っていればつらくても前に進むことができる。


 そんなウキウキ気分で畑の草刈りをしていると後ろから声をかけられた。


「――ジャネット」


 振り返ると、またしても婚約者の男だった。手に野原で摘んだであろう花の束を持っていた。


「また、あなたなの……」


 あきれたような私の口ぶりに男は一瞬たじろいだ様子を見せたが無理やり笑顔を作った。


「これを君にあげようと思って……もらってくれるかい?」


 確かに私はキレイな花が好きだ。だが、この花には男の下心もくっついてくる。


「ありがとう、いただくわ。えっと……」


「ニコラだよ。ニコラ・メルロー」


 名前を覚えられていないことに苦笑しながらニコラは花束を差し出した。


「実は明日から数日、親父についてヴォークルールへ行く事になったんだ。何かほしい物とかないかい?」


 ヴォークルールか……私はしばらく考えた。そして、はたとある考えが浮かんだ。


「それならお願いがあるわ。ヴォークルールへ行かれたまま帰ってこないジャン・ミネ司祭が、今どうしているか調べて」


 ニコラの顔がパッと明るくなった。お願いされたことがうれしかったのだろう。ニコラは私より少し年上のはずだが、私には幼く見えた。


「わかった。ジャン・ミネ司祭だね。やってみるよ!」


 ニコラと別れて、家に帰るとジャック父さんが居間にいた。私が手に花束を持っているのを見つけると何か言いたげな視線を向けてくる。


「ニコラにもらったの」


「ニコラって、メルローさんとこのニコラか?」


「そうだけど」


 私はそっけなく答えたが、父さんは少しうれしそうだった。私が結婚に対して前向きになったと思ったのかもしれない。――確かに私は前向きになった。ただそれは結婚に対してではない。他人を利用することについてだった。

 


 

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